第82話 薄幸の双眸。2/4


「——早く行け。が相手では、そんなに時間は持たない」


弓のつるに指を掛け、緊張する空気の中——戸惑いの表情を浮かべる武骨者どもに一瞥いちべつをくれるリコル。


「あ、ああ……お、おい行くぞオメェら……」


 「「……」」


そうして周辺の群衆も退避を終えて二人きりのロナスの街路。リコルの目の前で張り詰めてきしむ弓のつるの僅かな音や、静かにたたずんでいる少女が靴の爪先つまさきで地面を叩く音すらも聞こえてきそうな静寂の一瞬。



「——別に戦う必要は無いのですが……そうですね、この状況なら——やりましょうか。ワタクシサマ、アナタサマの事……ですし‼」


刹那——少女はリコルに戦う必要は無いと告げると同時に、戦う理由の音をその場に置き去りにするかの如く前方へと勢いよく跳び出す。



「——速っ‼ く‼」


リコルは咄嗟に、反射を信じる前に予測にて防御の構え。

されど少女の突進は突如と右へと弾かれて。


「フェイント‼ か‼」


 「なのですよ‼」


縦横無尽、右往左往。多角形の壁がある部屋に玉が投げられたように前後左右と反射して動く少女は、一見と不規則に体を動かし続け、敵としてリコルの眼球運動を惑わしながら虚を突く機会を伺う。


「……舐めるな——受け止め——⁉」


 「打撃は魔力差が出てしまうので」


そして交錯——相手の死角を狙った少女の反射に対し、予測して懐から短剣を取り出しリコルは一矢を報いようとするが、されど少女の方が一枚と上手。


突き出され掛けた短剣を持つリコルの腕を短剣が振り抜かれる寸前で脊髄反射せきずいはんしゃの様相で掴み、彼女は空中でまたしても体をひねりゆく。



「うぐっ——ガハぁ⁉」


螺旋回転に敵を巻き込むように相手を持ち上げて街路へと叩きつける投げ技。

とても肉々しい——にぶい音が衝突音となって街路の地下に響き、が少女の掌から伝う。


それでもリコルは叩きつけられた直後に、体を転がして心許なく衝撃を受け流し、少女へと咄嗟に距離を取った。



だが——たった一瞬の交錯にて、は大きく、


「——……うぐぁ……」


しまいましたですか? もうそれでは弓も短剣も使えませんですね」


弓矢を引く腕がぶらりと肩から力なく垂れ、リコルは思わずと弓を手放し負傷してしまった肩を押さえて。その苦悶の様子に対して心配する雰囲気を纏うことも無いが、追撃をすることなく動きを止めた少女は首をかしげ、そして尋ねた。



すると、歯を噛み締めてリコルが放つは——



「舐めるなと、言った‼」


 「——⁉ 片手の——それも弓無しでも撃てるのですね‼ 凄い凄いなのです!」


肩の骨関節が外れた腕を押さえていた手を離し、掌を弓に負けん気の強い一矢ひとや


されどもむなしく弓で放つソレよりも心許ない威力と速度、まるで飛んできた綿菓子でも弾き除けるように魔法の矢は防がれ、新しい玩具を見つけたような声色を漏らさせるばかり。


「ぐ……うぅ……」


 「何がしたいんだ貴様ら……いや貴様は……何者なんだ……」


そして関節が外れて肩肉や骨にも通う神経がぎょしきれずに重力に引っ張り伸ばされて生じる痛覚が危険信号を叫ぶような痛みに苦悶し、リコルは苦し紛れに少女にいきどおりにも似た問いを言葉にした。



すれば少女も隠し立てもせず平然と答えるに至る。


「ワタクシサマは、アナタサマがだと思っていたので、に頼んで監視させて頂いていたので御座いますだけですよ」


意表を突いたリコルの弓矢の驚き何処へやら、慈悲も無い一歩でリコルに迫りつつ、


「せっかくエルフ族様の為に、お二方様が動いてくれているのにを狙ったり、言葉や声を荒げたり、胸の奧がムズムズするのですよね、アナタサマを見ていると」


「……」


彼女は彼女が此処ここに至る経緯を語るのだ。



「でも——のですよ。一所懸命に魔物を倒して回ってる姿。その事は認めるのです」


怪訝けげんな顔で片膝を地に着けて見上げてくるリコルに、顔布越しに浮かんでいるのは優しげな慈愛に満ちている笑みであろう。


しかしながら、


文字通り、リコルはまばたきをしただけのその僅かな時の隙間すきま



「——ね? だから、エライエライなのですます」


 「——……‼」

されども、その一瞬の内——少女の顔布がリコルのへと突然に現れて。



唐突に頭頂部が感じ取る



——戦慄せんりつした。

若く、後先を考えずに前へと進む勇猛なエルフ族の青年リコルは悟る。



「ですので、今回はこのくらいで許してあげるのですよ、エルフ族様」


これから己が、どうなるか。仲間からの諫言かんげんを跳ねのけた勇み足で踏み入ってしまった、辿り着いた場所が腹を空かした獰猛な猛獣が口を開けていた舌の上であったと。



首根っこを掴まれて自らの意思などがあらがう暇も無いままに持ち上げられる肢体。


「がっ⁉ ——ぐあっ‼」


そして僅かに空へと放り投げられ、再び膝から崩れ落ちるその刹那——少女の拳が頬にめり込む衝撃。そこからは——まるで、今しがた体得したばかりのを試すが如き連撃。


「目撃者も居ますから、多少は傷を受けてもらわないとワタクシサマたちと仲良しと思われてしまいますし、おサボりも疑われてしまいますですものね! ふふっ」


「——がぐっ、ぐあ、がはっ‼」


踊るように、回るように——そして最後は割かしと強めに、人通りの多そうな街路へと弾き飛ばす終幕の一撃。十分にサンドバックで遊んだとでも言わんばかりに清々しく軽々とエルフ族の青年を殴り飛ばした少女である。



「……うーん。それにしても自分で色々と考えてみたのですが、やっぱりワタクシサマの考えは間違ってしまうで御座いますね。あの方も、裏切り者では無かったですし」


二度、三度と街路を遠く転がっていくリコル。その最中には既に少女の興味はリコルではない別の所へと向いていて。



「あ、セティス様からのが来たのです。ワタクシサマの仕事も開始なのですよ、危ない危ない、急がなきゃ‼」


そして街の片隅に転がった彼に焦点など当たらないとでも言うように新たな異変が街の外のから天高くと伸び始める。少女はそれを機に、もはやリコルなどには目もくれず頭上の空へと飛び去っていく。


残されたリコルは、攻撃で乱された覚束ない意識の中、



「り……、リエン……シエール……様——」


敬愛する人の無事を祈り、己の無力を倒れ伏す街路の砂と共に握り締める。


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