第82話 薄幸の双眸。1/4


何者の平静を許さない騒乱にひたされた街の片隅、屋根から跳び下りて少女は数人の武骨者の男たちの前に立つ。


随分ずいぶんと発育の良い体してんじゃねぇか、お嬢ちゃん。だが——じゃねぇな、なにもんだテメェ」


下劣げれつな眼差しで少女の肢体と顔を隠す黒い顔布を下から順に舐めるように眺める武骨者たちのリーダーはそれでも、騒乱の只中にあって平常で堂々とした雰囲気をかもす少女の立ち振る舞いに、危険と隣り合わせだった人生の経験を本能に走らせる。


すると、少女は困り果てた。


「むむぅ、名前を名乗るのはされてるのです。あ、でも——名前を聞かれたら、答えて欲しいと言われた事があるので、それを教えて差し上げるのです、ますよ」


己の行動に掛かる幾つかの制限に抵触する武骨者たちのリーダーの質問を馬鹿正直に受け取って腕を胸の前で組んで首を傾げる。


そして思い出したように、相手へと告げるのだ。



「——


とても冷徹に、冷酷に。表情の見えぬ黒い顔布が、殊更に彼女のそういった無機質さを際立たせる一幕。


されば武骨者たちは、その様子に——武骨者たちの流儀を披露する。



「へっへ……の仲間か。コイツの首ぁ、高く売れそうだ、ついでに顔が良けりゃあ、少し遊んでやろうぜ、テメェら‼」


「「へっへ……」」


それぞれの武器を手に、少女を囲むように立ち位置を動かしながら敵には無法を、手段など問わぬ弱肉強食のおきてを。腹を空かしたのように舌なめずりのうなり声の漏らすような雰囲気。


けれど、少女はそのような多勢に無勢の威圧を意にも介さずに——


「そういえばワタクシサマ、の男に御話するのは初めてで御座いますね」


とても呑気な口振りで過去を振り返るように感想を漏らす。

戦いは——


以外も、経験させてやるよ‼」


 「——でも、なんだか。していたより」


武骨者たちの、である。


 「なっ——⁉」


前進特攻、峰打ちの心づもりで武骨者の無駄に太い腕で振られる長い柄の斧。

しかし少女は、そのを容易くと掴み——、



「魔物みたいな顔をしているので御座いますね。気配もで御座いますし、種族が違うのでしょうか?」


「それに——……」


 「このっ——ぐおっ⁉」


力を込める武骨者を他所に、グイッと己の近くに引き寄せて男の匂いを嗅いだ。


武骨者には——武骨者たちには、その後——何が起きたか分からなかった。



「——……うわっ、やっぱりくさい‼ ゴブリンのにおいに似てるので御座いますよ‼ アッチ行け、なのです‼」



 「おおおおお——⁉」


引き寄せておいて、鼻に突く汗や油脂ゆしなど人の老廃物が発行したようなされた匂いを嫌い、少女は嫌悪をって、自分よりも体の大きい武骨者を掴んだ斧ごと振り回して投げ飛ばす。



「「「……」」」


 「もう……水筒、水筒……いつもにしないと、に怒られてしまうのですよ‼」


そして唖然とする一同を尻目に、汚いものに触れた手のにおいを改めて確認しながら腰裏のかばんから水筒を取り出して慌てた様子で洗い始めるのだ。



遠くの家屋の外壁に——大男が一人、叩きつけられて。


「ま、か? すげぇ力だぞ……ど、どうする」


 「お、おくする事はありません‼ 相手は小娘一人です‼ 全員で一斉に掛かりましょう‼」


「「「「オオオオオ‼」」」」


そうなると今しがた起きた現実を受け止めきれず、壁に倒れている仲間から目をそむけて武骨者たちは破れかぶれにした。



眼前に居る少女が、かつて孤独に凶悪な獣の群れと争い——生き残ってきている事を知るよしもなく。



「……えっと、使が居たら、から倒せっと」


 「——え、グボぉぉぉ⁉」


一瞬にして移動した少女の姿が武骨者たちには、見えていたのだろうか。

前衛ぜんえいとして走り出した者たちが気付く間もなく、吹き抜けた風の如く後方に控えていた一人の男の眼前に唐突に姿を現して。


フワリと前方に片膝を持ち上げ、ただ目の前の敵の腹部を押し蹴る。


それが——威力いりょくに見えた事だろう。



「ええ⁉ 軽く蹴ったなのですが、防御はしないのですか? 内臓が潰れてしまいますのですよ⁉」


そして二度三度と何も抵抗できずに街路へと転がりゆく男に、少女はカルチャーショックの如き衝撃を走らせたのだ。


「——今……消え、は?」


 「殺すつもりは無いのですが、きちんと防御はしてくださいなのですよ。どのくらい手加減した方が良いか分からなくなるですから」


それから平然と、残りの武骨者たちに振り返り、彼女は注意をうながす。


その時だった——


「く、クソがああああ‼」


先ほど家屋の外壁に叩きつけられ倒れていた男が立ち上がり、大斧片手に少女へと怒号を放ちながら駆け出して。


血眼ちまなこの形相は、もはや明確な殺意そのものを表しているようでもある。



されど——児戯じぎに等しく。


「うーん。ホントに動きがざつなので御座いますね……叫ぶ意味も分からないのです」


 「おらああああ——‼」


「遅いのですよ、人間様」


雑多に迫る巨体の行進ののち、振り下ろされた大斧をかわして、呆れるように息を吐きつつ、少女は武骨者の側頭部、辺りを狙って軽々と蹴りを放つのだ。


だが——

「——聞かねぇなぁ、何だそりゃぁ‼」


「んー。これでは、手加減なのですか」


足の甲を打ち付けられたはずの男は首をかたむけられながらも少女の足を掴み、ニヤリと笑う。


しかしながらそれでも揺るがぬ程に、少女は——で。


「——は? ⁉」


掴まれた足をひねりながら彼女は跳び、男の手を振り解きながら掴まれていない足のかかとを器用に動かし旋毛つむじ穿うが踵落かかとおとし。


まるで空中にでもあるかのようであった。



「あ……これでは、なのですね。むつかしい」


そうして目の前に広がる惨状、頭蓋ずがいを真上から叩かれ巨人に踏み潰されでもしたかのように大斧を持っていた男の顔面が街路へと、地面を血に染める。


「——……」


そんな痙攣けいれんすら始めた男に対する、その後の少女の対応は無慈悲と言わざるを得ない。



「生きて……居られますね、良かった」


手で触れる事を嫌い、足の裏で街路に静まり返る真っ赤な男の頭部を踏み転がして様子を伺い安堵の息。だが決して、傍から見たそれは男の命を気遣ったものには決して見えないのである。


——猟奇りょうき。或いは、未だ無垢むくゆえの狂気。


「ひ……ひぃ‼」


しかして、それらの所作の一つ一つがまぎれもなく他の武骨者たちに己らが体験するだろう未来を思い浮かばせる。



「でも、この様子ではもうかもしれないのですますね。困った困ったなのですよ」


慈悲は無い。逃げねばならぬが、逃げた所で逃げ切れるかも分からない。そんな想いが武骨者たちの体を、その場の街路に釘付けにしていた。


ただ——、


「ん——おっと、っと?」


純粋無垢に思い悩む少女に向けて、躊躇ためらいなくを幾つか撃ちだしたエルフ族の青年リコルだけが、その場にあって違う立場から静かに現状を見届け、行動する事が出来ていたのである。


「——、仲間を連れてここから。この女の足は俺が止める」


 「……を助けるのですか? 



光の矢は容易たやすく避けられた。それでも心は穏やかに、エルフ族の青年リコルは冷静に武骨な人間達に視線を流し、行動をうながし——そして少女に首をかしげさせる。


。誰一人、これ以上の犠牲を出さないのがリエンシエール様のなら、幾ら守る相手が憎かろうと、それが俺の至上命題しじょうめいだい


彼の背に、氷が砕かれる音がしてが聞こえている。



思い浮かぶは、敬愛する者の苦慮くりょの顔。


改めて光の矢を放つ弓の弦を引くリコルの表情には、この時——、一切の迷いがない事だけは確かな事であった。

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