第80話 決起の騎士。2/5

***


その後、幾許いくばくかの時が流れ、



「あ~っと、ただいま。一仕事終えた俺を温かくねぎらってくれると有難いね」


露骨に気分を切り替えたイミトは仲間たちが待っている森の奧で合流するに至る。



待ち受けるはエルフ族の管理する森らしく小さな物置小屋の前で、ささやかな焚火たきびが行われ、数名の人物が火を囲う光景。



「セティス様がコーヒーをれて待っていたのですよ。ワタクシサマ、初めて豆をかせてもらったので御座います」


「そいつは景気が良い。砦で出された紅茶と、どっちが美味いかな」


そこから駆け寄ってくる純真なデュエラの声掛けに、肩で息を吐いて安堵したイミト。腕組みで連れられるまま、焚火の側に腰を落として嫌みったらしく言葉を一つ。



「比べる相手が悪い、失礼。はい」


 「かっ、そだな……俺の為にが淹れてくれた物より美味いものは、この世にもあの世にも無いって話だ」


手渡された素朴な色合いのコーヒーカップに満ちる黒の液体に目線を溢し、込み上がる平穏を身の丈に合わぬとわらう。



「あ、そうなのです‼ まずはカトレア様が言っていた傷の手当てをしなくては」


すると焚火の灯りにあおられるそんな彼の表情と肩を塞ぐ黒の物体に対し、喧騒慌けんそうあわただしく用意していた応急手当の荷物の下へ向かうデュエラを他所に、イミトは己に向けられる神妙な視線に気付く。



「——……、肩に刃を突き立てたと聞いたぞ貴様」


その含みのある言葉を用いたのは彼を最も知ってると言って過言では無い、体を失った今は頭部のみの魔物デュラハン、クレアである。


焚火の薪木まきぎの中に眠っていた水気がはじけるパチリとした叫びの後、彼女は意味深く黒い台座の上から焚火のほむらを眺めているままにイミトへと告げたのだ。



それに対し、僅かに空気を走る緊張。


「……くせになってんのかもな。の痛みには、もう慣れた。そんな顔すんなよ、無茶をしたとは思ってる」


されど己をせせら嗤うようにイミトは冗談口調で言葉を返し、彼もまた焚火の炎の向こう側へとはかなげな微笑みを贈る。緊張は、直ぐに解かれて。



「別に責めてなぞ居らん。呆れておるだけだ」


その場に置いて、互いに目を合わせぬ二人の感情を言い当てられる者が居ただろうか。傷を負う事、傷を負わされる事、存在しない傷を思い浮かべる事——業は深く、真意は眼前の焚火のように燃えて消えゆく。



「申し訳ない……私の為に不要な傷を負わせてしまった。もう少し、上手い立ち回りもあったはずですが」


分かりようはずもない、きっと彼らは語らぬのだから。この先も——。

しかして今しがた負ったばかりの傷の原因の一端であるカトレアが会話に割って入り、さりげない寂しげな雰囲気は流されて会話は進む。



「いや、この傷は必然だよ。色んな意味でカトレアさんには砦の中を案内してもらう必要があったし、潜入が決まった瞬間から覚悟はしてた。謝る事なんて何も無い」



「おかげで上手く想定通りになった部分もあるしな」



「——……イミト様。わ……私の姉の様子はどうしているかなど分かる事は?」


そしてエルフ族側の案内人、レネスもまた後悔を抱いているような不安げな顔色で会話に織り交ざり始め、イミトは手わされたコーヒーの存在も思い出して醒めぬ内に僅かに息を吹きかけながらコーヒーカップを小さく啜った。



「ん。そっちも大丈夫だと思うぞ。出来得る限りの事はしたし……交渉中に少し話もした。順調に行けば、明日の昼過ぎにはエルフの里に戻って来れるだろう」



「帰りの途中にクレアから俺達が居ない間のレネスさんが話してくれた大体の話は聞いた。おかげで今回の敵が大まかに見えてきたから助かってる」


「ありがとな、話してくれて」


それからイミトはレネスに対して穏やかな口振りで肩の荷が下りたが如く首を僅かにかたむけ、デュエラが用意していたという包帯や薬剤を持ってセティスと共にやってくるのを確認してから飲み掛けのコーヒーカップをカトレアに預けて肩の傷を塞いでいる黒い物質を構成している魔力をく。



「……いえ、今さら私に感謝されるなど……その肩の傷、私が治癒魔法を掛けてもよろしいでしょうか? 姉ほど高位の治癒は使えませんが」


止めどなくこぼれ始める命のしずく。カトレアが僅かに目をそむける中、エルフ族のレネスは薄幸の眼差しで肌ごとあらわになった鮮紅の傷口を見つめ、イミトへと許可を求める。



このような浅ましい己を信じるにあたいするのなら、と。


「——俺は別にここまで来て、この囲まれた状況でアンタを疑うつもりは無いよ。ただ、のがって顔してるから、治癒魔法を期待してなかっただけでな」


「……‼」


その考えを表面に浮かべている事すら浅ましいと見られているとも思わずに。



「偉そうな上からで見当違いかも知れねぇ物言いだけど、自己否定ってのは自分を殺す為に使うもんじゃねぇさ、レネスさんよ。自分の道を間違えないようにテメェの魂をふるい立たせる為に使え」


だらだらと血が流れていく滑稽こっけいを尻目に、


「自信が無いのは悪い事じゃない。自信が無いからこそ精一杯——、一生懸命に目の前の出来る事に向き合うしかねぇんじゃねぇか?」



「お上手に自己肯定が出来ない事が、自己を否定する根拠になるなら……そいつぁクソ喰らえな論法だろ」



「でもよ。少なくとも、今のアンタの言葉を聞いて迷ってるのは期待を裏切ってののしられるのを恐れてるからであって、自分の治癒魔法が使を怖れてのもんじゃねぇってのは分かった」



だらだらと語らい始めたイミトは、デュエラが差し出した白い布を傷口を抑えつつも止血などの処置をこばみ、冷や汗の通る頬の口角を持ち上げて首をかたむける。



「俺から言わせてもらえばアンタは充分に自信家で、自分を信じる事が出来る人間だよ。だから俺もアンタを信じる……信じる理由はで、アンタの姉なんて関係ねぇ」


挑発的で、扇動せんどう的で、相も変らぬ悪辣あくらつ悪戯いたずらな笑みを瞼を閉じながら贈る青年。



「くだらない事で迷ってないで、さっさと数少ない自信そのままに出来るもんなら怪我を直してくれると有難いな」


「……」


レネスは、胸の奧を締め付けられているような表情で尚もイミトにうつむき気味の薄幸の眼差しを向け続けた。暗く深く沈む瞳孔の色合い。


僅かに噛んだ下唇に如何様な感情が込められているかすらも悟られているかもしれないとでも言うように。



「貴様が喋り続けるから時間を無駄にしておるのだろう」


 「へへ……違いねぇやな」


——後悔。過去の愚かな己に眼前の光景を、受け取った言葉を聞かせてもらえれば、浅ましい嫉妬しっとと嫌悪に取り憑かれ、現状のような苦境には至らなかったはずだ。


押し殺していた様々な想いが込み上がり、まるで己が己に課していた影の労苦が報われていくような感覚すら感じていたのかもしれない。



だが——彼らとは今、つい数刻前に出会ったばかり。

犯した罪は消えず、もはや時は戻らない。



「……本当に、私をエルフ族を裏切った敵だとは思わないのですか? これまでの全てが嘘で、敵に寝返っている可能性があるのは間違いない。命懸けで、アナタ方の邪魔をしようとしているのかも」


多くが死んだ、多くを失った。

己が——何かをする事に疲れ果て、考える事を放棄したその隙に何かもが、自分が想像していた物よりも酷い悪夢と成り果てて。


重い。重い。今さら、このような——求めていたような物を手にする資格など無いと彼女は苦しみを求める。



否——、彼らから言わせれば未だ——甘え。


「はは、やっぱり敵なのか? じゃあ、裏切って俺達の味方になれよ。一回、裏切ってるなら裏切りなんて慣れたもんだろ?」


「どんだけアンタに罪の意識があろうと、死んでつぐなえなんて俺達はそんな……駄々こねてねばったって言わねぇよ、レネスさん」


彼は言うのだ。お前は未だ、背負ってしまった業から逃げて——薄ら寒くそこらに転がる【死】という希望に淡い夢を見て、救いを求めているだけのいやしい者なのだと、とても優しく冷酷に。




「——……治癒を、始めさせて頂きます【夜樹フリュエリオ・安寧エンペリレ】」


故に的を射て——胸元のきぬを掴んだ彼女は、殺されたがっていた己の無意識な企みすらも見透かされ、涙腺に込み上がるような熱を感じつつ己の新たな罪を自覚する。



やがて、その表情に悔恨は消えぬまでも——彼女は【幸福】を、己の欲しがっていた【否定】を、自らを軽蔑しながら微笑み、受け取ったのである。

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