第79話 告白。4/4

***


そして一方、決して世界の光など届かぬような巨大な国の影で語らう悪魔のささやきに、



『驚いたな……輸入量とその価格、中々に良い妥協点を突いた譲歩案だ。それを君一人で……しかも短時間の内にエルフ族の長老たちと交渉し、引き出してきたというのか。本当に何者かね、君は』


眉根まゆねに親指でも押し込むような悩ましげな様子の声色で、彼に敬意に似た皮肉を込めて、ロナス周辺を取り仕切る領主ローディアスは称賛を贈る。


それもそうだった。


「近隣の地理的状況を踏まえた希少価値と、エルフ側の生産供給力、ツアレスト側の需要と現在の相場価値を経営学の観点から踏まえた値段です。おだてても、これ以上は不可能と思われますよ、ローディアス殿下」



事前に暗記してきたのだろう、メモ書きの一つも見ずに淡々と的確に——到底ひとりの人間が短期間で成し得たとは思えぬ仕事量、


複数の貿易に関するの数字や言葉を並べ立てる男の提案に、むしろローディアスのメモ書きが追い付かぬとなれば尚更に。



「他の亜人たちとの交易の折り合いもあるものの、決してツアレスト側が提示するような一方的な譲歩案では無いと思われますが」


喋り疲れて一息の後にすする紅茶は、如何いかばかりの味がした事か。達成感に気張っていた肩を落とし、彼は横目で老紳士風の執事を見つめ、身振り手振りで厚かましく紅茶の御代わりを求めた。


そして、今更と提案した譲歩案を纏めた紙の束をカトレアの置いて行ったかばんから取り出して手渡すに至って。



ローディアスはその間に、イミトの提案した譲歩案を検討している様子であった。


『ふむ……しかし、現在よりも商品も多々見受けられる……これほどの規制を一気に掛けるとなると商業組合や利権貴族たちの反発は強まるだろうな』



やがてコチラの話も一区切り、ボソリと溢したローディアスの感想に対し、



を解決するのはだ。我々に、それを案ずる必要が?」


とても淡白に、嫌みったらしく決して問いではない疑問調を口にするイミト。

するとローディアスは、イミトから言わせればと言わんばかりに意味深長に含みを持たせたような重い口振りで語り始める。



『……これまで、エルフ族に対するが横行していた主な原因は、品薄などを理由とした流通価格による物が大きい』



『エルフ族からの品質の良い魔法薬などの原料は希少価値も相まって元々の販売価格が高いものの、その希少性を利用して元手も無しで利益を上げようという浅ましい者どもも増え、正当な価格で販売していた店からも客の手に渡る前の品を強引に買い占め、更に不当に値を吊り上げ始めている者さえいる』



ですか……も、商人と政治家には手を焼くものです」


社会が、ロナスの街で起こっている様々な問題、懸念事項。

長ったらしい前置きを置きながら、彼はイミトの反応を他所に、それらしいもっともな理由付け——大義名分を掲げて交渉を開始するのである。



『故に、適正価格に為——民の手にも届くよう値段を下げる為にも供給量を増やしつつ、政治主導で個数制限など売買の管理を行い、買い占めによる値段の吊り上げを阻止したいと考えている』


『その為にも、幾つかの魔法薬の原料となる物資の輸入量を増やす事は出来ないものか。値段は一割……いや、提案の二割増しで構わない』



様々な問題に対する煩悩、焦燥、不安、懸念、真摯、懇願。


それらを抱えつつ、未だ納得の行かない譲歩案の一部に対して異を唱え、ローディアスはイミトの情に訴え掛けようとしていた。



だが、やはり相手が悪い。


「お断りします。結果として、二割増しにしたとて、買い占め業者が人を雇い、個数制限を掻い潜って三割増しで売れば良くなるというだけの話」


「それに昨日は供給できた量を、明日は供給できないなどと言われて納得できる程に国民は賢くない」



血の気も通っておらぬような冷たい声色で、温かい紅茶を啜りながら一切の迷いも無くローディアスの提案を断じ、無感情で冷淡な言葉を並べ返すイミトである。



「人の欲望は果てしなく、そして理不尽だ。そのような事をしても火に油を注ぐだけ、エルフ族の生産量にも限りがある」


「そうなると、ツアレスト側が次に考え、提示するのはするの提案でしょう。初めは歩み寄り、そして結果、技術だけを吸い取り、エルフ族を斬り捨てる……」


「小銭を稼ぎたいだけの一般人は別として、利権関係者、商業組合の転売などのではなく、ソチラが主な狙いなのでは?」



『そのような事は——』


浅はか、浅はか、浅はかである。



「無いと、断言できますか。俺はとして、断言はできませんよ。そのような未来など予想できる」



ローディアスは知らない。知る由もない。

眼前の天才かと思えるような数多の人類が積み重ねた叡智を抱えているような男の背後に、そのじつ——絡みついているが天から舞い降りた物ではなく、


とは異なる世界で様々と泣きを見て地に堕ちた農林水産業者や技術者たちの恩讐や悲痛の叫びである事を。



「最近ツアレストでは単独でにも成功し、その実績をたずさえてツアレストとエルフ族のとでもうたいながらの提案をするつもりだったのでは?」



 『……』


——もはや彼にとって世界は信じるに足らず、希望や細やかな夢をき潰し絶望の叫びを搾取さくしゅする為の拷問器具に相違ない。


とでも語るが如く——イミトは、白々しい眼差しでテーブル上の通信機器を穿うがち抜き、その先に居るだろうローディアスを見つめて呆れるように瞼を閉じた。



「そもそも、品薄で値段が高価だからと言って略奪行為に寛容になるべきという考えが狂っているとしか思えません。であればツアレストという国は、腹をすかした野盗が、貴族の屋敷の玄関を蹴破って住人を凌辱し、厨房の食糧をスラム街で売りさばいても罪に問わない国なのですか」



テーブル上の受け皿に戻された淹れたばかりの紅茶のカップが、中身ごと見る見ると冷めていくのもであろう。


乞食こじきを哀れに想い、食料を分け与えて教会に連れて行き、生活に無理のない細やかな寄付をする事、或いは——そのような事が無いように世に変革をもたらそうとする事は美徳かもしれませんが、秩序なき無法をゆるす事は他を害する愚行でしかない」



「労を負うべき……罪を背負うべきは、やはり盗賊どもでしょう」


つらつらと彼が語りゆく言葉が、あまりに冷たく無機質で、周囲の熱を奪っていくような響きであるのだから。



「それに何より——ツアレスト王国の、ロナス領主のアナタの言葉が信じるに足りて、実力がともない、エルフ族をと思っているのならば、エルフ族内部で反乱など起きる程の不満など溜まらなかったはず」


「盗賊や密猟者に裂く人員、死んでしまったエルフ族も含めて労働力を農作業等に回せれば、生産供給量も少なからず増えていたとも言える」


「ソチラの要求している需要に対する供給を満たせない原因であるすら、ツアレスト自らがいた種……自業自得なのでは?」


「信頼とはだ。安定とは平和の信頼があってこそ保たれる。その場限りで今しがた思い付いたような言葉に何の重みや信頼がありましょうや」


「違いますか……ローディアス殿


 『……』


もはや返せる言葉など、再三と聞かれても出てこないのかもしれない。



——。あまりにも、


「綺麗事であろうとなんであろうと、良い商売は信頼と安定が無ければ成り立ちません。現段階でのでは、この程度の査定さてい譲歩じょうほが限界……」



「それを認めずに無礼な私を嫌い、いやしいのように略奪に憑りつかれ、戦争を仕掛けるなら私は一向に構いません。こちらの準備は、既に整っておりますから」


人類社会のよどみが産み出してしまったがまさにそこに居て、



『それは……だけでなく、と受け取っても構わないと?』


それでもローディアスは勇ましく、言葉を振り絞る。



「——どちらにせよ、ここであらがわなければ直ぐにでも第二、第三の反乱するエルフ族が現れ、彼らは滅ぶ運命にあるでしょう……本来の私に、彼らを絶対に助けなければならないなど有りませんし」


だが相手はも無き狂人。浮かべられた小さな微笑みには、優しさなどは皆目も無く——


ただ、そこら辺の花をも考えずに摘み取って、花が似合いそうな女性にでも送ろうかとを働かせたのみがある。



『……半人半魔などと、随分と口振りで言ったものだ。君たちの何処にがあるのか私には分からぬ』



——勝てぬ。そう思う、ローディアス。


そして——、


『良いだろう、魔人殿。君達の要求は、捕らえたエルフ族の即時解放と、今回の件の情報操作、そして今後のエルフ族に対する態度を改め、エルフ族への略奪行為と違法操業の徹底した取り締まりに相違は無いか』



「……違いはありません。が、加えて


全面的な降伏に諦観ていかんの息を吐き、悪魔が差し出した契約を受け入れたローディアスは、最後に負け惜しみの如く、彼へ苦々しい告白をするに至る。



『——私は、君がだよ、イミト・デュラニウス』


 「はは、それはとても——良く言われるたぐいですね」



すれば——とても楽しげに、ローディアスの気持ちの籠った告白を嬉々として受け入れて悪魔が漏らすは、いつも通りの安穏とした嗤い声——なのであろう。

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