第77話 ロナスの砦。3/4


砦の中心にそびえる城の主が執務しつむを行うのだろう上階の部屋のバルコニーへと通じる扉窓とびらまどは本来、夜風の新鮮な空気を取り込む為に開放的な姿で時を過ごしていた。


「……随分ずいぶんと早い。これは警備計画を見直す必要があるな」


しかし、執務室の机に座りながら眉に皺を寄せつつ黒墨のインクを紙に走らせて、見るからに厳格そうな少し歳を重ねた風格のオールバックで黒き髪を固めている男は、夜風では無い来訪者の到着に際し、そう悩まし気に息を吐くように言葉を呟く。


すると、まずは夜と通じる扉窓から照明の灯りに溢れる室内に少し押し入り、漆黒の角付き仮面で顔の上部を隠す女騎士が片膝を突いてかしずくのだ。



「ギルディア叔父様……お久しぶりで御座います。此度こたびの急な申し出、受け入れて頂き、まずは感謝いたします」



「——その声は、本当にカトレアなのか……だが人に感謝を示すのならば、その奇妙な仮面を外すべきだろう」


礼節丁寧な女騎士の挨拶に、紙に走らせていた万年筆の動きを止め、ギョロリと目線を動かすこの男の名こそ、ギルディア・バーニディッシュ——女騎士カトレアの叔父にして、このロナスの砦と周辺の守護をツアレスト王国に任された屈強な城主である。


多くの兵の上に立つその男の威圧感溢れる厳格な物言いに、ひるむ事の無いカトレアではあったが指摘には素直にしたがい、ひたいから生える角からを引き外し、その変貌へんぼうあらわにする。



「はい。仰る通りです、髪の色も変わり、うさぎの角が生えてしまいましたが、心は未だツアレストを守護する騎士の末席、カトレア・バーニディッシュに相違なく、以前と変わらぬ信を置いて頂けると嬉しく思います」



かつて——カトレア・バーニディッシュは美しい絹糸のような金髪で、肌は白かった。


その頃と変わらぬ所と言えば、蒼いサファイアのような瞳くらいの物だろう。



「……ふむ。私の横に居る執事しつじの名は」


そんな彼女の変容に、叔父であるギルティアは顔色一つ変えぬまま万年筆を机に置いて、かたわら壁際に黙々とたたずんでいた老紳士風の優しげな表情の執事へと意味深く目を向ける。



恐らく、その問いで本物か否かを見極めようという心積もりに違いない。


故にカトレアは、正直に答えた。



「——初めてお目に掛かる方と御見受けしますが。間違いであるなら申し訳ありません」


かしずうつむいていた顔を上げ、老紳士風の執事に目線を流し遠き記憶を呼び起こす。最後に叔父と会ったのは、いつ以来の事であっただろうかと。


そしてすぐさま目を閉じて、戻れぬ過去への未練を彼女は捨てゆく。


「良いだろう、お連れの方と共に中に入り、座ると良い。話を聞こうではないか」


 「……感謝いたします。では、イミト殿」


そのような冗長じょうちょうな雰囲気が、ギルディアの選眼にかなったのだろう。ギルディアもまた、疲れ目を癒すように瞼を閉じて目頭を片手の指二本で揉みほぐした後、机より立ち上がる応接用のソファへと先んじて彼女らを迎え入れるべく歩み始める。


そして入室を許可されたカトレアは、あの男を呼んだ。



「——お初に御目に掛かりますギルディア卿、私の名はイミト・デュラニウス。此度の会談、受けて頂いた事、私の方からも感謝を捧げさせて頂きます」


「「……」」


普段とは全く別の人格であるかの如き、礼儀礼節が整う黒の紳士。

いつ着替えたのか、普段の動きやすい軽装から、男は黒の礼服で身を包み、白黒の斑髪も整った様相でギルディアに向けて敬礼の口上を述べ贈る。



「話には聞いている。ミュールズの和平交渉に現れた謎の傭兵ようへい、君が和平の舞台の裏でした功績と、ミュールズから逃亡した君を見た貴族たちの間で流れている不穏な噂まで、な」


「奇妙な覆面を被る魔女と共に行動していたと聞いたが、別行動かね」



——邂逅かいこう


「潜入に置いて多人数は適しませんので、案内役と実務の交渉をする私とカトレア殿のみ……この場に至っております。所在が気になりますならば、お教えいたしますが?」


厳粛な雰囲気に満ちる赤い絨毯じゅうたんの目立つ広々とした砦の城主の執務室にて、いよいよと始まるエルフ族たちの今後の命運——いや、エルフ族を含むツアレスト全体の命運を賭けた夜の会合が始まるのだ。


世界をもてあそぶように穏やかに笑む魔人と、その魔人に剣を突き立てるが如き鋭い視線を放つ騎士。


されども、未だ両者——敵と断ずるに早し。



「……構わない。互いに敵対する事が目的ではあるまい」


挑発的なイミトの物言いを聞き流し、ギルディア卿はイミトらに会談場所であるソファに座るように身振り手振りでうながし、自身も上座へと座った。


すればイミトもカトレアの後を追うように動き出し、ソファの前へと至って語るのだ。



「確かに……所で、そちらの執事殿は、お茶の用意は宜しいのですか」


まるで催促するように、物言わずに御大層に装飾された剣が飾られている壁際に佇む老紳士風の執事を横目に眺めながら。


それに対し、ギルディア卿が問いを投げかける。



「——茶が必要かね。手紙を信じれば私のめいに」


 「必要ありませんね。姪御めいご様の命を救った男に茶の一つも振る舞わず、騎士として叔父として矜持きょうじが保たれるのならば」



「「……」」


互いに互いを信用していないのだろう牽制を行い合い、ぎこちない雰囲気は殊更に剣呑に張り詰めて。



「イミト殿、あまり不敬な物言いは——」


耐えきれぬようにカトレアが二人の間に割って入り、本題を進めようと仲裁を試みようとする程には空気が重かったのだ。


けれど——カトレアは知らなかった。



「問題はありませんよ。ギルディア卿、アナタの姪御めいご……カトレア・バーニディッシュ殿は今でこそ半人半魔でありますが、時が来れば人に戻れる事になっています」



 「——⁉」


イミトがロナスの砦の城主ギルディア卿に語り掛けようと目論んでいた本題が、まさかエルフ族とのいさかいについてではなく、己の——カトレア・バーニディッシュの今後の未来についてだなどと。



彼女には思いも、至らなかったのである。


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