第77話 ロナスの砦。2/4


その頃、森の端に辿り着き、遠くの崖の上に灯台の如き人里の光を確認したイミト達。


『それは——確かだったような気がします。少し甲高く、若い口調で……あまり教養を身に着けているとは思えませんでした』


「女か……クレア、を確認した。残りの事情は聞いといてくれ」


『うむ、気を付けよ』


と呼ばれる特殊な通信能力を用いてクレアらの会話を盗み聞いていたイミトは、クレアに己らの現在地を伝えると共に継続してレネスという人物の調査と尋問を依頼する。


「まさか本当にレネス殿が、エルフ族の裏切り者だったとは……」


そんな傍から見れば、イミトが独り言を語っているような見栄みばえに相変わらずの違和感を覚えつつ、イミトと共に森のしげみで腰を低く隠れひそむカトレアは、移動の途中でイミトから聞いていたという人物の推論についての感想を不意に漏らした。


しかし、そんなカトレアの言動で心の琴線きんせんを揺らされた彼は否定する。


「そりゃ解釈によるだろ。聞いてた感じだと、誘われたけど断ったみたいだしな……それを報告しなかったのは、まぁ……責められるべき事なんだろうけどよ」


——裏切りではない。背信はいしんでもない。


「一族を纏めて尊敬されてる姉に対する嫉妬しっとだったり、姉と比べてくる周りの反応だったり、劣等感とかそんなもので後ろ暗さを抱えたりして、つい魔が差すってのはあるもんだろ」



「報告できるような状態じゃなかったとか、報告しにくい環境だったとか、情状酌量じょうじょうしゃくりょう余地よちってのは充分だと思うけどな、人情としては」


とても些末さまつな——構われたいだけの子供の悪戯いたずらが、単に偶然が重なって大事になってしまっただけのようだと彼は評する。



「そういうレネスさんの事情を加味しないで一部分の首根っこを掴まえて、一方的に悪者扱いってのは俺は嫌いだね」


「そもそも、客観的に見て今回の件はエルフ族とツアレスト全体の責任だ。裏で糸を引いてるレザリクスは言わずもがな、糸を簡単に引かせてる連中もレネスさん一人に罪をなすり付けてを責める資格は無いだろ」


もっと先に血祭りにすべき巨悪が居る——すべからく等しく全てに罪を問う無気力な瞳に映る世界は、あまりにも虚しい色合いが溶け込んでいて、力なき言葉に失望を重ねた男の人生の徒労が滲んでいるようであった。



責めやすき相手を責め、溜飲を下げて見逃す者どもを酷く嫌悪して見下げるような口振り。



「……言葉の表現を間違えました。申し訳ない」


その全ての言葉の意味合いを理解出来ずとも、珍しく茶化すでもなく僅かな真剣みを帯びさせて不快感を滲ませた男の言動にカトレアは己が恐ろしい事を言ったのだと悟る。



「まだ間に合うさ、謝罪する必要もない。何もかも、にする旅だ」


しかし、。そう、ついになってしまった己を自嘲じちょうする。そして改めて遠くの目先にそびえるがけの上を見上げ、滑稽こっけいな道化の如く首をカクリとかたむけたイミト。



「——……警備の状況の様子を見ながらを待ちます。もう少し、時間が掛かると思われますが」


カトレアもまた同じく目的を見定めながら、待ち遠しそうに時を待つ。急く己の心をいさめる為に、彼女も敢えてそれを言葉にしたのだろう。



すると、そんな未だ申し訳なさそうな彼女への暇潰し代わりに、


「はっ、せっかく二人きりになったんだし愛の言葉でもささやき合うか?」


イミトは、己の失態をに弁解するようにそう尋ねた。


「……気持ち悪い事を言わないで頂きたい。たまに貴殿を見直せられる部分が見えたと思えば、そうやって人を不快にさせる不埒ふらちな言動ばかり」


故に空気感の張り詰めた息の詰まる場をにごし、茶化す道化の悪戯いたずらと、解っていても尚——カトレアの口から疲労の溜め息が絶える事は無く——されど、もうと淡々と感情的にならず言葉を返すのみにつとめる彼女。



すれば、またしても男は退屈げに嗤うのだ。


「……人に嫌われてた方が楽ってのはあるからな。こんな自分を好きでいてくれる奴を、俺は足蹴に出来る程、肝が据わってねぇから」



「臆病なのさ。失うのが怖いから、最初から手に入れない方が良いってな」


「——そのが、通りがかりのエルフ族の為に動くとは私の目には少し、奇妙に映ります」


渋々とうたう行動原理。さびしげな月明かりが空の雲から再び顔を覗かせて、そのはかなげな表情を見つめる頃合い、カトレアは男の情緒に慣れた様子で真面目な言動の裏を読む。



「そういう自分が嫌いだから、足掻あがこうとしてるんだろ? それに——」


「そっちの方が格好いいじゃねぇか。金が無くて絶世の美男子じゃないのに女にモテる方法は、自分勝手に女を振り回すミステリアスで何を考えているか分からない口だけ達者な夢追い人の紐野郎ヒモやろうってのが相場が決まってる」



カトレアの予想は的中していた。男は、やはり道化に違いない。


「……何処でそんな与太話を聞いたのやら」


それらしい適当な口振りで周囲を振り回し、驚かし、虚を突いて迫ってはアッサリと身を退く。


恐らく全てが本当で、全てが虚像。その実——、決して己の芯を見せはしない道化師の如く嗤い続ける男の真実は有耶無耶の霧の中。


カトレアは諦観の息を大きく吐き捨て、そして夜空の月を見上げて思考した。



「私は——そうですね、直向きで誠実な男子の方が好感を持てますけどね」



「かっ、何処ぞの聖騎士様の姿が目に浮かぶよ」


他人を踊らせる道化の口車くちぐるまには乗らずとも、持て余す退屈な時間の暇潰しに彼女は、己と向き合うように男が茶化すだろう言葉をつむぐ。


だが——御しがたい事にそれを機に生じた男の嘲笑は、予想以上の物であった。



「女の語る男の好みほど、変動激しく信用できない物は無いって言えば、差別主義者だとののしられるんだろうけどな……優しいとか、誠実だとか。ただし金持ちのイケメンに限るって注釈を削りやがる」


「そう言っとけば勘違いした性欲目当ての馬鹿が、馬鹿みたいに利用しやすくなるから、そう言ってるだけだろ? テメェが優しく誠実になってから出直して来いって話さ」


「男も男で似たような奴も多いけどな」


何を解ったように語るものかと言いたくもなる偉そうな口振り、恐らくこの時——これから彼らが向かう崖の上のロナスの砦からが飛び立たねば、多少なりとも腹立たしさ込み上がる口論になっていた事であろう。



しかし、惜しい事に時をしらせるは飛び立ったのだ。


「酷い偏見です……合図が飛びました。魔力を最小限に、空中歩法で砦の壁を登ります」


故に、優先すべき行動を優先し、話題を捨てるカトレア・バーニディッシュは隠れていた森の茂みから立ち上がり、イミトを見下げるのみに留めて。


「——あいよ。ま、アンタは本気で真面目な堅物だから、優しく誠実で直向きな男性とやらと、いずれ添い遂げられる事を願うとだけは言わせといてもらうよ」



そしてイミトもまた、軽々と立ち上がりり固まっていた体をほぐしながら他人事のように語り捨てるのだ。



「……それは、どうも」


まるで——いや、今は未だ語るまい。


さぁ、いよいよここから、彼らの踊る舞台はロナスの砦へ移りゆく——そこが戦いの舞台となるか否かを知る者は、彼と、ロナスの砦で待ち受ける者たちのみである。


——。

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