第77話 ロナスの砦。1/4


夜のとばりが降りきりて、淡くむらさきに発光する幾つもの気泡が、とある森の奧に存在する魔法陣の上に噴き出して彼らはそこへと唐突に現れる。


「さぁて、腹も膨れてゴキゲンになった所で胃もたれしそうな政治のお勉強と行きますか」


案内役のレネスが片手にぶら下げるほむらが揺れるような静かなランタンに照らされながら、空間を転移する魔法の感想代わりに手製のつま楊枝ようじを口にくわえつつ、適当な息を吐いたイミト。


「凄く美味しかったので御座いますよ、やはりワタクシサマはカボチャという黄色いお芋の天ぷらが好きだったのです」


「私はナス天か、あのエルフ豆とろした山芋を混ぜたフワフワな奴、かき揚げも良かった」


「割と油を使うから、旅では頻繁ひんぱんには出来ないのが難点だな。一応、漉して明日も揚げ物にしようかとも思うが——カロリーの事もあるし、衛生面も難しい所だ」


続々と魔法陣の外に歩み出し、語るは先程まで皆でかこんでいた食卓の感想。

到底、ここからツアレスト王国の要人と密談を交わし、国の政治中枢に関わろうなどとは思えぬ雰囲気、佇まい。



「——……いつまで飯の話をしておる。少しは周囲の警戒をせぬか馬鹿者ども。近隣の森深くとはいえ、デュラハンの襲撃を受け、ロナス周辺の警備は高まっておるだろうからな、これから向かうとりでも同様だろう」


すればふくろうのような間の抜けた鳥の声が妖しく夜の静寂に支配された森に響く中、空気も読まずに能天気に会話を交わす一行に、黒顔布で顔を隠すデュエラの胸下に大切に抱えられたクレアが辟易と息を漏らし、諫めの言葉を呟いて。


「……先に様子を見に向かわれたカトレア殿は戻ってきていない様子ですね」


案内役のレネスは自身が持つランタンの光を動かしつつ、周囲の様子をうかがった。

されど——、


「もう来てる」

「え?」


間は抜けていても、気は抜けていない。周囲に他の者の気配が無いと断じたレネスの間違いを振り返らぬまま指摘し、覆面の魔女セティスは覆面ゆえの独特な呼吸音をかなでながら、森の中の一点を指さした。



すると、

「——流石さすがセティス殿、貴殿の前では命を絶たねば気配を消しても無意味なのでしょうか」


森のしげみの一つがガサリと嘆き、ランタンの光の照らす範囲に騎士の鎧をガシャリと鳴らしながら先んじて森の先に向かっていた漆黒の仮面を身に着けるカトレアの姿が夜の闇に浮かび上がる。



「そんな事は無い。キチンと魔力は隠せてたと思う、普通の魔力感知なら気付かないレベル」

「……」


そんなカトレアの登場に驚くレネスを尻目に、大袈裟おおげさに感嘆の意を示すカトレアの言葉を謙遜けんそんもなく受け取ったセティスとの会話は揺るがない。


「それで——結果は?」


そしてイミトもまた、淡々と話を進めるように会話に割って入り、先に森の先で様子を見てきたカトレアの報告を急かすのだ。


やはり夕食の話から一転、確かに気分は切り替わり——、



「第一の合図は確認しました。どうやら話し合いに応じてくれるようです」


 「てなると……とりでへの潜入が次の課題か。大まかな地図も頭には入ってるけど、目星を付けてる道筋の様子は?」



「そこも問題なく。新人騎士の時に少しの間だけ身内びいきで配属していた事もあるくらいですから、デュエラ殿ほどの身体能力が無くとも潜入は可能です」


彼らは本格的に、世の影を密やかに這いずるような暗躍を始めているのである。



「じゃあ行くか。セティスとデュエラは、クレアと待機しててくれ……クレアも感覚共有を切っといてくれよ、万が一にも魔力で感知されたら面倒だからな」



「分かっておるわ……貴様こそ緊急時は連絡をおこたるなよ」


面倒げな息を吐きつつも淡々と事の示し合わせを重ね、外様とざまのレネスでは会話に割って入る余地も無い程の手際てぎわの良さで話は進む。夜の闇が、まるで——否、やはり夜の闇こそが彼の領分であるように、遠目に身を置くレネスは伏し目がちの眼差しで彼らの動きの傍観を続けた。



「ああ——、行ってくる。カトレアさん、案内ヨロシク」


「はい……急ぎましょう」


そうしている内、カトレアとイミトは残りの仲間を残し、森の中の闇へと溶けて行くように億す事もなく歩みを始め、しばらくすると走り出した音なのだろう森の断末魔。



一瞬の間に、彼が遠くへと走り去った事をレネスはさとる。


そして——不意に喉から憧憬しょうけいの如き感想が漏れでて。



「——……外の世界とは、やはり広い物……なのですね。彼の創る、そうでしたが」


薄幸はっこうの伏し目がちで暗い表情がランタンに照らされてる事も忘れ、彼女は寂しげにそう言った。



「……ふん。外の世界にでもあこがれておるのか、あの阿呆の言っておった通りの事をにおわすものよ。浅はかな」


「——、あった事は否定できません」


短い付き合いとはいえ、彼女の過去の言動を振り返ればクレアの指摘——或いはイミトの推察は的を射たものなのであろう。


伝統と言えば聞こえの良い閉鎖的な森の一族であるエルフ族の中にあって、レネスは暗きさちの薄い表情で感情を表に出さず世界を眺めていた。



しかし、エルフ族が閉鎖的である事だけが彼女の表情を暗くしている訳ではない事も彼らは悟っているのである。



「奴は、こうも言っておった。貴様はのではなく、に逃げ出したいだけなのだと」


「……‼」


は、は気付かれぬとレネスは思っていた。

自身の胸の奥の奥に押し込む淀み穢れた感情——それは当事者である姉は愚か、他の一族にも片鱗へんりんすら見せていないつもりの秘め事だったのだから。



「リエンシエールの血族の中で、本来なら貴様の姉にぐ実力と発言力を持つ見込みがある貴様を奴が交渉に同席させなかった理由がよな、レネス」



「……私が、姉を……リエンシエールと一族の皆を死地に送り出す為にを働いたとおっしゃりたいのでしょうか?」



夜風なき闇の暗幕、魔力を用いて輝くランタンのあかりが揺らめいて、静かにレネスは覚悟した。


イミトとカトレアが目的地に向かい、残された顔を隠す彼らの仲間の中にあってデュエラに抱えられる隙間から垣間見えるクレアの横顔をジッと見つめて。


しかし、クレアは告げるのだ。


「ふん、姉に似て勘が良いが間が抜けておるな」



「そのような気骨があれば、とうの昔に何処ぞへ逃げ出しておるのだろうとも言っておったよ。は」


 「……」


事も興味なさげにイミトらが走っていった方向に目を向けたまま、レネスの勘繰かんぐりを僅かな鼻息で吹き飛ばし、



「ふふ、気持ち悪かろう? 全てを決め付け、見透かされておるような気がすれば尚の事」


「だが——協力的でも無いと言っておった。何か隠しておる事があれば、何も事が起こらぬ内に話しておく事だ」


それから沈黙をとした様子でと笑い、ようやく彼女へ目論見を匂わせながら目線を動かすのである。



「例えば——……敵方から話などがあれば、な」


 「「……」」


そうして、いつしかレネスに集まる圧力を感じる。恐らく、この場——イミトが彼女ら三人を己の近くに残して去ったのは、この時——この瞬間の為だったのだろうとレネスは悟った。



「確かに……全てを見透かされているとは、気持ちの悪い事で御座います」



「——観念……すべきなのでしょうね。今ここに至り、姉を救う協力をして頂く為とは口が裂けても言えませんが」



「お話いたします……とはいえ私に話せるのは、闇の中で私に話を掛けた邪悪な声の事だけですが」



 「手早くな……奴らが砦の中に入るその前に」


故に彼女は、自らの罪を断じる刃の如く丁寧に、瞼を閉じたのだ。


——。

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