第76話 イルミリュギィの里にて。4/4


それから僅かな時が流れ、油が水気をはじく音も静まって、これから事を成す一同はイルミリュギィの里の住人たちに密やかに監視されつつ黒いテーブルで食事を囲むに至る。


「ほいっと、野菜天ぷらの盛り合わせと大根サラダの出来上がり。ちゃんと人数分あるよな?」


全ての食材の調理を終えて、手伝いのデュエラと共に料理を運んだイミトも席へと着いて、黒いテーブルに並ぶは——色とりどりの料理の品々。


黒い長方形の皿に盛り付けられた天婦羅は、余分な油を吸う為にかれたエルフ族製の白い紙の光沢も相まって黄色の衣を輝かせ、瑞々みずみずしい大根のサラダの上に飾られた緑の大葉やドレッシングで殊更につやめきをいろどられて黒いテーブルの上で映える。



「……本当に私まで頂いて良いのでしょうか」


それは同じく食卓の同席するレネスが、目の前の料理が余りにも芸術的に精錬されて美しく見え、この場に居るのが身分不相応ではないのかとイミトに尋ねる程の品々であった。



「悪いと言った奴は居ないね。アンタが良ければ食ってくれ、その為に——肉も卵も使わない野菜天と揚げパンを作ったんだし」


天婦羅に用いたエルフ族の育てた野菜と同じく、イルミリュギィの里で汲める天然水を器にいで、未だ申し訳なさそうに眉を下げるレネスの前に置くイミト。


「当然、エルフ族の教義とか風習に反するような食べ物とか、口に合わなかった物があったら残してくれても良いからな」


それから彼は残りの者たちにも水をそそぎ入れて、とても穏やかに寛大に、相手を慮る口調で息を吐きながら言葉を紡ぐ。



「イミト様、イミト様、この揚げパンの横に置いてある黄色い粉と黒い液体は何なので御座いますか?」


すると、レネスがそんなイミトへと言葉を返そうとする間もなく、イミトの隣に座る無邪気なデュエラがそれをさえぎり、今回のもう一つの料理である揚げパンについての質問を投げかけて。



「ああ、だ。乾燥した大豆をってから粉にして少し砂糖を混ぜてある。黒い液体は黒蜜くろみつだな、砂糖を溶かした水を煮詰めながらハチミツとか入れてみて作ってみた。きな粉を振り掛けた揚げパンの味を、もっと甘くしたかったら少し垂らして食べてくれ」


掌サイズの普段のパンより少し小さく茶色に揚がったパンのかたわら、一つの皿と小さな小瓶こびん


その二種類の調味料を用いて完成する一品の説明しつつ、


「揚げ物ばかりで悪いけど、エルフ族の油が良質なのが原因だから責めるならエルフ族の技術を責めてくれ」


水を配り終えたイミトは一仕事を終えた息を漏らし、己の左肩に右手を置いて首の骨を鳴らす。


そして——

「では早速、皆様で食べるので御座いますよ。ね、イミト様?」


 「おう。それぞれの風習にならって好きに食べてくれ」


ワクワクと食事を前にソワソワ落ち着かないデュエラに微笑み、ようやくと彼らは食事を始めるに至る。


「頂きます、なのですよ‼」

「頂き、ます」



「「……」」


それぞれが、見様見真似に祈りをささげ、夕刻前の未だ陽の沈まぬ明るい斜陽が彼らを照らす。



「——このパンに、きな粉を掛ければ良い?」


「ああ、割と多めでも大丈夫だぞ。天ぷらも塩でも、タレでもお好みでな。塩原理主義者は発狂するかもだが、意外にウスターソースでも美味しいと思うぞ」


だが、食事を始まったのもつか——その平然とした温和な日常に異を唱える者も居る。



「……ちょっと。その前に、が呼ばれてる理由をそろそろ教えて欲しいピョンけど。まさか、懐かしい食べ物を作ったから気を利かせて呼んだわけじゃないピョンよね」


着慣れぬ鎧が重いのか、テーブルに無作法に頬杖を突き、見るからに不満げに不貞腐ふてくされた態度を見せる騎士カトレア・バーニディッシュの身に宿るうさぎの魔物ユカリもまた、その一人でった。



「——そんなつもりは、さらさら無かったんだけどな。お前の事は、料理に気を取られてと忘れてたし」


「今回、お前を呼んだのはだしな」


カトレアの本来の人格と入れ替わった彼女の問いに、何一つ悪びれる様子もなく天婦羅を一つまんで口へと運ぶイミト。


彼が言うには、ユカリとカトレアの肉体の主導権を変えたのはデュエラとは反対側のイミトの傍らに鎮座する魔物のデュラハンであるらしい。


「「……」」


すれば静かにまぶたを閉じるクレアの不可解な行動に、不貞腐れた態度のままユカリの視線が動き、剣呑けんのんで険悪な雰囲気が二人の間に走った。



——何故なにゆえに、私などと語らう事があるのか、と。


そんな嫌味を込めてユカリは、未だ静まり返るクレアをにらむのだ。

されども、それは



「ふぉー、ふぉの……この揚げパンというのは、凄く美味しいのですよイミト様。外側は少しサクっとしてたのに、中はモフモフで……きな粉の甘さが外側の油に溶けてて——」


「優しい甘さ。揚げパン自体にも表面に砂糖水を塗って固めてるから、きな粉の香ばしさと混ざってる砂糖の甘味を感じた後にも、違う印象の甘味を感じる。パン生地に少し清涼感のある香草も混じってて、油のしつこさを中和してる気がする」



「そう、それなのですよ、セティス様‼ ワタクシサマ、黒蜜も掛けてみたいのです‼」


セティスとデュエラ、そしてイミトは無意識か意識的に彼らの間に割って入らず、ただ平常に食事に集中し始めて、彼女らの様子を不安げに見届けるのは外様のレネスぐらいのものであった。



そして——、

「——で、そのクレア様は何の用なんだピョン。どうせは無いんだから、やる事があるなら早く命令でもなんでも言って欲しいピョン」


見るからに不仲者と語らう声色で、クレアから目を逸らしたユカリの発言から彼女らの会話は始まる。


それに対し、クレアの口ぶりは——酷く、


「先のいくさ……が無ければ、我らの窮地きゅうちまぬがれなかっただろう」


「——……」


それもそのはずなのかもしれない。前回の騒乱、幾つもの脅威が語られた戦の中で唯一と語られていない男デュラハンと彼女らの戦い——


同時刻、魔王ザディウスの残滓ざんしと対峙していたイミトが知るよしもなかった戦いの中で生じた歴史は、連戦連勝だったクレアにとってとも言える無様ぶざまな結果だったのだから。



故に——、

「その……なんだ、礼の一つも述べてなかったのでな」



「礼を言うユカリ。助かった」


「「……」」


余りにもその行為に慣れぬ様子で、不器用にを実行する彼女。



——やはり、だったのだ。


ユカリにとっての彼女は魔物としての力を背景に高慢に振る舞い、これまで己の主張など意にも介さず足蹴にしてきたのだから、素直に自分へ感謝を述べる事が意外と思うのも当然の事だった。



「そ、それだけピョンか? なら、もう話は終わりピョンでしょ? カトレアと変わるピョン」


だからこそ、心を如何様いかように動かせばいいのかを戸惑い、ユカリは逃げるように言葉を返す。



——すると、そんなユカリやクレアを愉快に思ったのか。



「天ぷらの一つでも食って行けよ、揚げ物は嫌いか?」


同じく己を道具としてしか見ない男が横槍を入れるように悪戯な笑みで、足止めの食事を勧める。けれど、男のそのような言動は、して意外でもない。



「——……嫌いピョン」


よって、スンと冷静さを取り戻したユカリはゆえに考える。


彼の狙いとも思わずに。



「で、でも……——」


こうしてイルミリュギィの里にて様々な想い、思惑が交錯こうさくし、やがて全てが一つの方向へと向かっていくのであった。

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