第76話 イルミリュギィの里にて。3/4


そんなイミトの眼差しに、僅かな真剣みを感じたカトレアは腕を組み、今回の件の総指揮を務めるイミトへと質問を投げかける。


「確認しておきますが、説得できる算段は付いているのですか? 一応と釘を刺させて頂きますと、私の叔父おじでありロナス領のとりでの一つの指揮を務めているギルディアは厳格にして敬虔けいけんなリオネル聖教徒です」


「間違っても最高司祭レザリクスの手先に堕ちているとは思えませんが、リオネル聖教の最大禁忌である半人半魔の我々の事をこころよくは思わないでしょう」


これより先——普段より少し早めの夕食の後、エルフ族の命運を賭けた会談に挑もうという若き魔人に、気の抜けていそうな背筋を正すように真剣な眼差しで見つめ、厳しめの指摘をまじえた忠告を漏らす。



どこまで本気で、覚悟を持っているのかを見定めるように。


「……たとえ、身内のアンタであってもか?」


されどもされど、茶化すような腑抜ふぬけた態度は揺るがない。皮肉な笑みを浮かべながら、尚も油鍋の中で藻掻もがくく食材を菜箸さいばしもてあそび、


「——無論です。たとえ、私の命を人質に取ろうと、私が半人半魔であると知ればいさぎよく自害をすすめるに違いありません」


「はっ、人間ってのは、アンタが思ってるより真面目な堅物じゃないと信じたい所だ」


カトレアの進言虚しく、鼻で嗤い飛ばして到底、真面目に受け取っているようには見せかけない。しかしながら、その不安の一つも感じさせない舐め切った態度が、何も考えていないように見えるのは、これまでの実績か——



「安心しろよ、大体の方向性は決まってる。出来る限り穏便に事が運べるのを祈っててくれるとさいわい至極ってな」


或いは、性格の悪さが滲む悪辣の笑みが魅せる底意地の悪い幻なのか。イミトは、軽くカトレアに向けて首を回し、細やかな微笑みを贈るのだ。


「……その話し合いに同席するのは何人」


そんな折り合い、話に割って入る隙を伺っていたのか、それともこれ以上カトレアではらちが明かず有耶無耶うやむやにされかねないと思ったか、背丈の小さい薄青髪の魔女が、冷淡な表情を揺るがさぬままに淡白に話を進める。


すると、少し考え事をするようにイミトは空へと視線を昇らせた。


「俺とカトレアさんのだな。セティス、クレアとデュエラは周辺で様子を見といてくれると助かる」


「エルフ族の代表は必要ないの?」


それは恐らく、イミトが現段階で唯一と言っていい程の懸念けねん材料だったのだろう。

今回のエルフ族の騒乱に置いて、ツアレスト側とエルフ族の仲介を任されたイミトにとって交渉の場に当事者とも言えるエルフ族の姿が無い事は、致命的と言っても過言では無い。


交渉時の約束事の信憑性をいちじるしく疑われ、そこに浸け入られれば不利に働く事も多いだろう。


しかし、

「居た方が良いんだろうけどな……ここの老人たちの腰は話した感じだと重いし、責任が持てる程に発言力のある連中は殆んど捕まっちまったみたいだからな。居ない方がマシな気もする」


それらを重々承知の上——居たら居たで、イミトの思惑を成功させる為に不利に働くどころか身勝手な動きで足を引っ張られる恐れもある——故にイミトは、取捨択一と信憑性を初めから捨て置いて、自身の自由裁量で事を思い通りに出来ないものかと悩ましげに思案しているのだろう。



「このリエンシエールさんの妹は? 立場的にも問題は無さそう」


 「……」


「——レネスさんは、残念ながらリエンシエールさんの妹とは言え、それは妹ってだけだからな……交渉する上で、妹であるという事は何の説得力も無いと見てる。ハッキリと言えば、幾つかに別れてるエルフ族を纏められる程に実質的な権威や実力は無いだろ」



「ここの老人たちは監視役の為に同席させようとしてたけど、断っといた。あの口振りだと、レネスさんが自分たちの思い通りに動くか何かだと思ってそうな所も苛ついたし」


「……」


よって度重なるセティスの指摘に、目の前に居る薄幸の美女エルフのレネスをチラリと横目で見ても尚、その考えは揺るがずに淡々と言葉を突き返し、話は終わりだと再び油鍋あぶらなべに向かい合って調理作業に意識を戻すイミト。



「ふん……結論として、リエンシエールを安易に相手に引き渡したのは失敗であったという事だな」


代わりにと、ここまで静観して眠るように瞼を閉じていたクレアの双眸が開き、イミトの懸念と周辺の状況の滑稽こっけいさを鼻で笑い、会話に参加し始めて。



「そうだなぁ……まさか、リエンシエールの血族ってのが、周辺の違うエルフ系の部族を纏めた呼び名だとは思わなかったよ。面倒くさい話だ」


「土地柄も何も知らねぇ事が多いのに、政治に関わろうだなんて発狂もんだよ、ホントに」


そんなクレアの指摘には、さしものイミトも黒布の髪留め代わりの頭巾越しに頭を掻き、過去の浅慮せんりょを憂い、止めどない現在進行形の悩みに表情を少し歪めて眉のしわけわしくするのだ。


「……お役に立てず、申し訳ありません」


その時——、どのような想いでがちに彼女は言葉をつぶやいたのだろうか。


さちうすく、己を肯定するすべを持たぬような表情で、ツアレストに囚われた姉や同族の事を憂いたのか、それとも里の長老たちの大人しい人形とハッキリと蔑まれた言葉に反論できない己を責めたのか。



或いは、その両方。はたまた別の要因。



「……良いさ。あくまでも俺達は仲介するだけ、捕まってるリエンシエールさんを何とか交渉の場に引っ張り出すまでが仕事だからな」


恐らく、イミトは察している。

知られている事をレネスもまた悟ったのだろう。



しかし——、

「イミト様、それは——もしかしてカレーパンで御座いますか⁉ 少し小さいで御座いますが」


「……いや、中身は入ってない普通の揚げパンだ。玉ねぎ嫌いなのに、玉ねぎ入りのカレーパンは好きだよな、お前」


それを語るのは、いま性急せいきゅう。丁度よく話の隙間を見つけて、無邪気に夕ご飯についての質問を溢したデュエラに救われる形で水に流され、その新たな登場人物についての話題は、もうじきに迫る夕焼けの先の闇へと送られる。



「へへへ……イミト様のカレーパンは、茶碗蒸しの次に好きなので御座いますよ。何かお手伝い出来ることはありますですか?」


「ん―、大体の下準備は終わってるからテーブルの上でもセティスと一緒に片づけといてくれ」


「はい、了解なのです‼」


一先ひとまずは、食事の時間。


「さて——これから俺は揚げ物に集中するから、カトレアさんとレネスさんは休んどいてくれ。話しの続きは飯を食べながらしよう」


 「「……」」


今後の事を憂い続け、食事が喉を通らなそうなカトレアやレネスの表情を尻目に、イミトは熱き油鍋の中から揚げ終わった天婦羅を取り上げて、新たな食材を優しく丁寧に油の中に沈め始めた。


——。

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