第76話 イルミリュギィの里にて。2/4


静かに眠るように瞼を閉じて黒い台座に鎮座するクレアの傍ら——、


パチパチと、とても軽快な飛沫しぶきのような音がした。



「——おう、帰ってきたか。丁度いい頃合いだな」


振り返りもせずに黒い布を頭巾として結び、人類の原風景に満ちた緑あふれるイルミリュギィの里には、決して似合わぬだろう無機質な漆黒のシステムキッチンの如き厨房を野外で陣取り、彼は鉄鍋と向き合って。



「イミト様―、今日の晩御飯は何なのです、ますか?」


「ん、おお……流石は森に住んでるエルフ族って感じで、今日は良い野菜とかキノコとか手に入ったから本格的に天婦羅てんぷらもどきに挑戦しようかと思ってな」


「——……」


静かに熱を溜め込む静寂の油の中で、水が沸騰ふっとうするでもなく鍋の中に沈んだ食材がまとう水気を瞬く間に蒸発させ、気泡となって弾ける音がエルフの里に響き渡り、デュエラはいささかの興奮と好奇心を抱えてイミトの調理光景をのぞき込む。



「やっぱり醤油は無いものの——白ブドウの酒を煮詰めた代用みりんとでた木の実やり潰した香草を合わせて試しに作ってみた。まぁ——良い植物油も手に入ったから普通に塩の方が美味いかな。前に作ったウスターソースもどきでも食えるし」


しかしイミトは鍋の中の油に目を落としたまま、デュエラの様子は確かめず、つらつらと別行動をしていた際に自身が試行錯誤していた行動をかえりみながらも言葉を紡ぐ。


「とにかく、穀物こくもつ——やっぱり豆系の発酵食品が多く発達してる印象だったな、色々と面白い調味料とかピクルスみたいな保存食が手に入ったから個人的にはゴキゲンだが」


そして黒く長い菜箸さいばしたくみに用いて、油の中で藻掻もがく気泡の中から、釈迦が天から気まぐれに垂らす蜘蛛くもの糸の如く——白の衣地ころもじが黄金の油を吸って薄黄色になった雲の如き天婦羅てんぷらを拾い上げた後で、


調理風景を覗いていたデュエラがかもし出した違和感にようやくと気付くイミトである。


「——? どうかしたか?」


 「……あ、い、いえ、何でも無いのですよ。凄く楽しみなので御座いますねー、もうワタクシサマ、お腹がペコペコなのですよー」


彼女は明らかに動揺を見せていた。イミトが前に立つ油鍋の傍らで後退るように二歩ほど後方に動き、顔布の裏の視線をキョロキョロと泳がせてイミトの問いに答える。



そんな彼女が何に戸惑ったのか。

イミトには答えが明白だった。


「——ああ、はは……野菜ばっかりなのが嫌なのか。確かに、今日の飯に肉は無いな。ここらのエルフ族の大半が菜食主義らしいから、ヴィーガン程じゃないとは思うがソッチに合わせてんだ」


揚げ終わった天婦羅を油落としの為のあみが敷かれた黒い取り皿に置きつつ、次に何を揚げるかを思案すれば、切り分けられた食材の中にデュエラが苦手とする野菜ばかりが目に付くのだから。


「え、いいいいいや、ワタクシサマ、別にそんな事は思ってないので御座いますよイミト様‼ イミト様の料理は、何でも美味しいので御座いますから‼」


しかしながらデュエラは、イミトの邪魔をせぬよう苦手な野菜を苦手であると悟らせないように行動をするのだ。


、そして


そんな事でイミトの邪魔にはならぬと言われても、彼女の性分がそうさせる。



故に、それを知るイミトがいささかの配慮を微笑ましく彼女に与えるのに躊躇ためらいは無いのだろう。



「ま、試しに揚げたばかりのコレを食ってみろよ。軽く、塩を付けてな」


 「? 変な形の……おいもで御座いますか? いつもの残り物のパン粉を使った唐揚げの衣よりも……なんだかフワフワした見た目なので御座いますね」


彼は、今しがた揚げたばかりの半月輪切りの野菜の天婦羅の試食をデュエラへ勧め、


「小麦粉を水に溶かした衣に芋の皮とかから抽出した片栗粉なんかを少し混ぜた奴だ。中身の野菜は小玉なカボチャ。まぁ、芋の仲間みたいなもんで、揚げ立てだから熱さに気を付けろよ」


「——……お芋なら。はひゅ、熱い……ほふほふ——‼」


「甘いだろ? ここの野菜、マジで良い質してやがってさ」


サクりと噛んだ途端に息を白くする根菜が衣の中に隠していた熱量と甘味にて、デュエラの舌を混乱させるに至る。



「ふんふん——衣がサクサク軽くて、あまあま、ふにゅふにゅなのですよ‼」


そうして大きく首を何度も縦に振る少女に、ご満悦な男は次に悪戯いたずらな笑みを浮かべながらカボチャの天婦羅とは明らかに違う円形とも言い難いクシャクシャの野菜天を勧めた。


「こっちも食ってみるか? 、ミュールズで仕入れてたトウモロコシをメインに使ってる」


「は、はいなのです‼ もみゅ——……」


すると少女はカボチャの甘味に惑わされ、純真を裏切られる。

イミトの勧めに、疑うことなく明るく返事をしたデュエラ。


だが、咀嚼そしゃくを重ねるたびに——みるみると元気が奪われていくように、あからさまにほおの動きも遅延して行って——。



「他には玉ねぎと人参の細切り……小海老とかありゃ、豪勢な所だな。そうなると、トウモロコシが邪魔になるかもだが」



それもそのはず、彼女はを美味しいとは思わない。


「ふみゅふみゅ……が、美味しいのです……」



 「ま、で克服できる程、好き嫌いは甘くないよな」


何故なら彼女はイミトの知る通り、というシャキシャキと瑞々みずみずしい、独特の苦みやエグ味の味わいを持つ野菜を好ましく思っていないのだから。



「で、でも‼ なまの玉ねぎサラダを食べるよりは大丈夫なので御座いますよ、イミト様‼」


「はは、玉ねぎが苦手なのを、とうとう言い切りやがったな」


 「ぁ……え、あっと……それは……そのなのです。はい」


慌てて否定する少女の頭を撫でて、悪戯をして悪かったと快活に笑みを浮かべたイミト。そんな男に、少女は淡く照れた様子で少し、はにかむ。


観念したのか、それともか恥じたか。


——全ては黒き顔布の裏の出来事。



ちなみに、カトレアさんは人参が嫌いだもんな」


 「なっ⁉ 何故なぜそこで私の名前が出るのですか⁉ わ、私は別に人参は嫌いでは……」



うさぎと相性が悪いわけだよ……なんて冗談は置いといて、そっちはどうだった? 急いでる様子が無い所を見るとんだろ?」



そうして帰還した仲間たちをねぎらったイミトは、ようやくと己らの平穏な一時をおもんばかり、静かにこちらを見守っていた者たちが望む会話の流れに話を進める。


「——……はい。こちらの事情を含めて要求を書いた手紙が届いた事までは先に砦に潜入し、偵察していたデュエラ殿が確認済みです。後は陽が降りた後にでも会談の有無をしらせる合図があれば、話し合いをする事が出来るものかと」



「そこも、かなり大きい関門だからな……付け入る隙も無く捕まったリエンシエールさんやらエルフ族に対して強硬姿勢を取られたら、話は御終いな訳だし」


茶化されて、僅かに息が荒れたのも束の間、心を整えて背筋を伸ばしたように声色を重くするカトレアを尻目に、


イミトは夕食の準備に戻りつつ、面倒げに——そして何より悩ましげに小首をかしげて遠くをうれう。

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