第75話 前提条件。1/4


「さてと……くだらねぇ猿山遊びは止めて、そろそろ大人の背伸びした交渉やら段取りと行こうか」


エルフ族たちの疲労の息を吸い取るような矢継の森の風にさらされながら、腹部に負った傷の治癒を大まかに終えたイミトは、傷口の塞がれた腹の感触を確かめながら目の前のリエンシエールに皮肉な笑みを浮かべながら小首をかしげる。



「——……の望みは、バジリスク討伐に対しての必要な戦力の提供でしたか」


恩義にむくいて己の魔力と知識の深淵しんえんたる治癒魔法を用いてイミトの傷を治したとはいえ、様々な懸念けねんを抱く胸中——心を整理すべくリエンシエールは交渉の途中でもあった事柄についての再確認を始めた。


「いや。戦力は要らねぇ……俺が必要としてるのはツアレスト側に忍び込んで情報をしてくれる人数だ。既にバジリスクと応戦しているかも知れないツアレスト側の増援として手を貸せるだけのな」


イミト達の本来の目的地であるジャダの滝に巣食う強大な魔物の勢力に相対すべく、通り掛かりに出会った今回の騒乱に置いて、ツアレスト側と揉めるであろうエルフ族に助力をするという条件でイミトらも彼女らを利用しようという心積もり。



「……ツアレストとバジリスクが応戦ですか。ですが、確かバジリスクとは異例とも言える魔物とのを結び、現状は停戦し、膠着こうちゃく状態のはず」


複雑に織り交ざる周辺地域の事情を思い出しつつ、にわかには信じ難い巨大な勢力に少数の精鋭で挑むという話も、エルフ族の騒乱の最中で垣間見た眼前の者たちの底知れぬ実力をかんがみればまぎれもなく本気のようにも見えて、


リエンシエールは心から懐疑を外さないまでも真実でありそうな事の詳細についての見識を尋ねた。



すると、その遠回しな問いに答えるのは、他を嘲笑するように呆れの吐息を漏らす男のかたわらに佇む、黒い台座の上のクレアであった。


「そのをバジリスクが破り、暴れておるという話を聞いたので我らは動いておる。貴様は、我の身体を奪ったレザリクスの娘を知っておるか。だ」


 「ええ……の事なら生まれたばかりの頃に一度……鎧聖女という呼び名も風のうわさにて」


遠回しには遠回しに、ここまでの経緯けいいさとれるような言い回しでクレアが仇敵きゅうてきの名を語れば、見識が問われたリエンシエールが、その意図する所を知らぬままに答えを返す。



「その鎧聖女が、クレアの本当の体を使って生き延びてるって話をすりゃ、俺達の目的も予想が出来ると思うんだがな」


「……そうですか。にレザリクスは悪にと」


そしてクレアの言葉が足りていなかった説明を先んじて補足したイミトの言葉に、リエンシエールは現在進行形で世界に蠢く謀略ぼうりゃく一端いったんを理解するに至って。


「へ、悪に堕ちたたぁ、景気が良いね。主観の話で、上も下も無いだろうに」


不意にこぼれた言い回しを、イミトに茶化されながら。



「転がった、回った……吐き気をもよおす思い出話だ」


 「……つまりアナタ方の思惑は、我らエルフ族の数名をバジリスクと交戦しているツアレスト側へと送り込み……鎧聖女の動きを含めたツアレスト側の戦力の動向を調べる事が目的なのですね。しかし——」


それでも尚、イミトの物言いを尻目にリエンシエールは話を進め、言葉を話しながら同時に思考をしていたような風体で、思わせぶりに言葉尻をにごらせた。


「ん? 何か問題があるか?」


「噂に聞く鎧聖女ならば、既にバジリスクの討伐を果たしている可能性があります、その逆もしかりですが……バジリスクとツアレストの衝突が始まったのは、いつ頃の話なのでしょう」


考えても見れば、リエンシエールの疑問は最もな物かもしれない。

イミトらがバジリスクとツアレスト側の衝突の『』を聞いたのは数日前、ツアレスト全土で名をせる——、


クレア・デュラニウスという伝説的な魔物デュラハンの本来の肉体を持つ『鎧聖女』という未知数の存在を過大に見れば巨大な勢力を誇るバジリスクの群れとの決着は、イミト達が向かう未だ遠き戦地であるジャダの滝にて既に着いている恐れもある。



だが——、


「ああ、それなら問題ないと見てるよ。俺達がバジリスクの話を聞いたのが、くらいで……ここからジャダの滝がある熱帯地方まで更に程度。幾ら鎧聖女一人が強くても、バジリスクの——マザーまでには届かない」


そんな些末さまつな事は当然と思考済みのイミトである。希望的観測も交えた想像の範疇はんちゅうを越えない推論ではあるが、懐疑的なリエンシエールの杞憂の滲む疑問に的確に応え始めて。


「長い歴史の中——ここに至るまで、誰もバジリスクを討伐出来てない根本的な理由は強さもあるんだろうが、地形の不利有利が多くを占めてるんだろ?」


「ジャダの滝を中心にした広大な密林地帯——密林の中心部から人里に出るまで普通に歩いて二日は掛かる相当な距離を、巨体の群れでありながら小さな蛇の眷属を従えるバジリスクの凄まじい量の監視網をくぐりながら、軍隊が進軍するのは不可能に近い」


「損害や道徳を無視して少しずつ火責めして森を焼き払おうとした所で、ジャダの滝の水資源が許してくれないだろうし」


見聞けんぶんを含めた客観的な状況を分析し、既に整理を終えている予測をつらつらと並べ立て、リエンシエールの疑問を払拭する為の説得力を矢継ぎ早に積み上げる。



「そんな状況で、昼夜問わずに他の兵士を守りながら、数も多いバジリスクの兵隊を削り取り、マザーに到達して討伐なんて無理な話だ」


「単騎か少数精鋭で挑んでも、今度は数の不利でやられちまう……結果として、これ以上バジリスクに攻められないように境界線のとりでに陣を張って膠着こうちゃく状態になるしかない」


「これまで誰も見つけられなかった俺達の知らない戦術や打開策が、そう簡単に見つかるとも思えない訳で、まぁこれも希望的な観測には、なってるけどな」



気怠く重荷を背負った肩の凝りを解すように首と肩を回しつつ、反論の隙も与えない程に淡々と述べられる男の想定。



そしてそれは、全てを語り終えたようでありながら、まだまだ奥行きがあるようにも聞こえ、


それを聞いていたリエンシエールは与えられた多くの情報を脳裏で自ら整理しながらも、またひとつ——浮上する不穏に行き付かせるのである。


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