第70話 魔の王と人。1/4


その世界の片隅は今、混沌に満ちていた。


「どういう事だエルフの小娘‼ 魔王石は奪われたのでは無かったのか‼」


魂の片割れが先行きの見えぬ黒き未来に引き込まれ、何も出来なかった己の不甲斐なさへの憤りを八つ当たりで晴らそうとするが如く、この地の理に詳しいリエンシエールにクレアのげきが飛ぶ。


だが、

「馬鹿な……アレは間違いなくの声……うぷっ⁉」


 「リエンシエール様‼」


クレアの怒り、憤りも聞こえておらぬ程に彼女もまた状況が分からず、ただ刹那の合間に耳を突いた男の声と、イミトが引き込まれていった直後から様子の変わった封印の結界を茫然と見上げながら見呆みほうけた後に、


突如として無意識下のが呼び起こされたかのように激しい吐き気に襲われてその体を地面に崩れ落とす。


そのような異変に、彼女を心配した同胞が囲み始めても尚、彼女の瞳孔は震え——体が寒気にすくんでいるようで。


兎にも角にも——場は混沌と、混迷に満ちていた。


「あ、え、あ、え……と、とにかくイミト様をお救いに行かねばなのですよクレア様‼」


「それは無理。さっきまで空間を捻じ曲げている結界だったはずなのに、今はエルフ族の白い結界よりも固い禍々しい結界に変化した。じ開けるのは現状の戦力じゃ不可能だと思う」


体調を崩したリエンシエールよりも心配する者がある者たちもまた、それぞれの思惑と表情で遺骸跡ダルディグジッタに通じる道をはばむ半球状の黒い結界に視線を向けていて。


 「いったい何が……訳が分かりません」


「あの結界の魔力……まるで生き物のよう。


あたふたと状況が分からぬまま顔布を揺らす少女デュエラや、心を満たしていく不穏に鞘に納められた愛剣のつばを震わすカトレア、先の見えぬ結界の向こう側を己の鋭い魔力感知能力で見通そうとするセティス。


その誰もが等しく、結界の奧へと消えたイミトの姿を憂う。


「ううむ……レザリクスの仕掛けか。或いは、あの魔王の仕業か解からぬな」


だが何も出来ぬ現状、打開策なく手の打ちようの無い状況に結界をにらむばかりしか出来ぬ。負けん気の強いクレアでさえもそうだった。


それほどに——眼前にそびえる黒い結界は、この世の負の感情を満遍まんべんなく淀ませたような禍々しい雰囲気を滲ませ、そびえ立っているのである。



そして——

『これより魔王石を奪還する‼ それを以って我等エルフ族の地位と故郷の地を傲慢なツアレストどもから取り返すのだ‼ たとえリエンシエールをこの手に掛けようと、誇りの為に‼』



『おおおおおおおお‼』


時を同じく、エルフ族が矢継の森に張っていた白い結界を通り抜け、読むべき空気をぜ散らせ、土煙が起きそうな足並みのそろった進軍で攻め込んでくるのは、リエンシエールいわく既に存在しないと言われているの奪取を目論む反乱組のエルフ族。


「……と、とにかく……状況は分かりませんが祖先の守ってきたこの先の遺跡まで戦場にする訳には行かない……。エルフの同胞よ、ここで道を違えた彼らを止めるが我らの誇り‼」


突如として現れた魔王の気配やイミトの事も気掛かりではあったが、差し迫っている彼らの相手もしなければならない。


エルフの一族の長たるリエンシエールは、一瞬にしてやつれたかのような青ざめた顔色をしながらに、高貴に思わせる絹織物の服の袖で自らの口から僅かに漏れ出た吐瀉物を拭いつつ決意を口にして今や敵となった同胞へと振り返る。



『あの馬鹿どもを全員、捕らえろ‼』



 『おおおおおおおお‼』


すれば、それを合図に威勢の良い声と拳を掲げるリエンシエール側のエルフ族。


こうして行く末も未だ分からぬ内乱の火蓋ひぶたが切って落とされ、互いの勢力が第三勢力を気にも留めずに剣や弓を抱えて走り出し、


様々な声や土煙が入り混じる混沌の時へと世界を染め上げていくのである。



しかし——そんな折にあって、


「クレア・デュラニウス……アナタ達は後方へ。これは我らの戦……アナタにはアナタの戦がある」


同胞へと号令を送ったリエンシエールは、ふらつきながらも巻き込んでしまった勢力の下へ歩みを進め、謝罪するように言葉を告げ始める。



「……貴様の無様を笑っておる場合では無いな。腹立たしい」


未だ混迷の只中、苛立ちと困惑に塗れたクレアは、そんなリエンシエールに怒る気分も暇も無いと怪訝な色合いの一瞥いちべつをくれて、今後の方針に対する思考に意識を向けた。


それがやはり意外だったのかもしれない、意外だったのであろう。


「……本当に、アナタは少し変わられたのね。あの魔人の子は、アナタを変えるだけの素晴らしい何かを持っているのでしょう……絶対に死なせてはいけない人物」


生まれながらに戦いの申し子である魔物デュラハンが、目の前で起きている現在の戦に目もくれず、たった一人の男を取り戻す事に意識を向けている。



彼女を古くから知るリエンシエールには、そのが、とても意外で——大きいものに見えていた。


故に、彼女は突き放すのだ。


「たとえエルフ族が彼は……いずれ世界が必要とする人物と見ました」


「ジャダの滝へ急ぎなさい。ここより先に離脱し、彼を待つのです。彼の命は私の命をして未来へと送り届けましょう」


一騎当千の力を持つデュラハンに、目の前で行われている同胞たちの無意味な戦いを止める事を願い出ることも無く、すがることも無く、


ただ——これから起こるであろう凄惨な未来を憂いて、もっと大きな大局で世界を見据みすえ、希望を未来へと送り出すように。



彼女は、とても暖かく冷酷に——彼女らを突き放す。


「今の状態のアナタでは——もう一人の、正常な状態のデュラハンには絶対に勝てない。せめて、あの魔人殿が居なければ太刀打ちも出来ないでしょう」


だが——彼女は知らなかった。

まとが外れていた。


「——……やはり貴様は勘が良いが、いささか間が抜けておる。我のが貴様の言う、そのようなぬるい者であるはずが無かろう」


そのような言葉の数々が、彼女らの心を撃ち抜けようはずが無い事も、イミトという男の存在認識に明確なズレがある事も、未だリエンシエールは知らない。



を世界が必要とするなどと……このような時に、笑わせてくれる」


だからこそ、それを知るクレア・デュラニウスは——不機嫌に穏やかなまばたきをした後でも、未だ黒い結界を見据えたまま目線の一つも動かさない。



壮絶な戦いの振動が地面を伝う中で未だ遥か後方ではあるが、もうじきにと迫るを感じながらに。



『魔王よ、待っていろ……そして我に真理を与えよ。強き者をかてとして我を頂きへと昇らせよ』


ジャラジャラと因果の鎖の音が、様々な血に塗れた首を引き摺る音を感じながらに。


***

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