第70話 魔の王と人。2/4

——。


一方その頃合い、否——ほんの僅かに時をさかのぼりて、


誰も通れぬ黒い結界の向こう側には外界と変わらぬ穏やかな陽光の日和ひよりの空と静けさが時を封じられているが如くただよい、歓迎とは決して取れない世俗への無関心で満たされている。


「あーくそ、魔王石が無いって話で困ってんのに、なんでな奴が居るんだよ。そんな展開、先に読める訳ないだろ、ボケが」


そんな中にあって、その場に地面を引き摺られる形で無理矢理に連れてこられたイミトは、連れてこられた格好のまま地面に背を預け、衣服や自身の身体が削ってきた土の汚れや泥を厄介そうに手で払っていて。


「——……よっと、常識を捨てて考え直してみるか。ファンタジーだったら、どんな理屈付けをする?」


やがて起き上がりて、結界内の異常すぎる程の静寂に視線を流しつつも仕上げのように衣服の汚れや乱れを整え、このままでもままならぬと気分を切り替える息を深々と吐きながら伏し目がちに思考を始める。



「……封印の巫女とやらが居ない所為でだった魔王が居た。その封印の隙間かなんかから漏れ出た魔王の意識や魔力——んで、周辺の結界の魔力を完全復活の為に吸いつつ、浸食して擬態ぎたいしていた」


服の汚れや土埃を払った両手をそれぞれ叩き合わせて行く旅情、靴の爪先も片足ずつと水平な地面を用いて整えれば、叩き合わせた手もその頃合いには綺麗とは行かずとも泥の無き手。


下唇に当てた右手人差し指の第二関節がき止めるのは、適当に言葉として放つ軽々しいイミトの推察。



「そこにレザリクスが現れて本体の魔王石が奪われて、残った残りカスが今の状況を作ってるって感じか」


なんとか結界から出る方法が無いかとも考えているようで、今しがた引きられて来た方角に振り返れど、そこにあるのは水鏡の如く己と世界を映し出す揺らめく壁に相違ない。



「ドヤ顔で考察動画とかネットに流して収入を得たいもんだ。にしても——」


恐らく結界の外に出る事は出来ないのだろう。未だ勘の域を出ない経験則がイミトの脳裏に走り、早々に結界の破壊を試みることも無く諦めたイミトは、他の手段が無いものかと背後の光景の隅々に改めて目を流すに至る。



「ここが遺骸跡ダルディグジッタ……小一時間、鼻歌でも歌いながら昼寝でもしたい場所だな」


「……墓場みたいというか、墓場なんだろうが」


頭の中で想像するようなレンガの積まれた黄土色なレンガ調の建物が中心にそびえ、背の低い物から少し波打つように高い石垣が、高床の街並みの残り香を漂わせる。



しかし、イミトが墓場と表現したように、遺跡の所々には小石を積み重ねた——まるで仏教に伝わる地獄への入り口、三途の川の川岸にあるというさい河原かわらのような寂しげな面影を語る苔生こけむしたが見て取れる。


加えて他には様々な場所に無造作の如く並び立つ、神格を思わせる何かの偶像のちた姿。


ながき時の中で木々や雑草に囲まれたそれらは、何処か人類の故郷のような不可思議な穏やかさでイミトを迎え入れているようであった。



だが——どうやらと先客か先住民。


イミトを引き摺って連れてきた者の姿は無く、中心の一番大きな建物の入り口にある比較的に新しい観音扉が風も無いまま、軋みながら開きゆく。


とても、意味深く。



「——奥に来いってか。王様がナンパの仕方を知らないのも無理ない、王じゃなくても知ってる奴は少ないけどな」


その意図する所を大まかにではあるが把握したイミトが、服のポケットに手を突っ込みつつ息を吐いたのは、まぎれもなくその先——今以上の面倒事を自身の両肩にのしかかってくる事を予見していたからであろう。



それでも、ゆるり一歩前へと踏み出して向かい始める遺跡の中心。


「にしても——、一度か二度……いや三回くらいか? 文明の技術が補修した形跡があるな。最初は鉄かな……赤錆の土だ」


まるで観光地を散歩するが如く進む道すがら、目に付くは世界の遺産——過去の歴史を後世へと残そうとする意志。そこらに落ちていた鉄屑てつくずのゴミを搔き集めて出来た意義の分からぬモニュメントなどがイミトの興味をそそる。


だが、

『——』


只でさえ呑気のんきな足取りを止めそうになったのを見かねてか、遺跡の中心にある建物の中央扉が独りでに蹴り開かれたように勢いよく叫べば、その語り出しそうな言葉は明白。



「ああ、もう分かった分かった。ちっ、俺はホラーが嫌いなんだ、あんまり大きな音を立てて欲しくないね」


——そんなものはいいから、さっさとコッチへ来い。

観光気分の抜け切らないイミトの飄々とした振る舞いに、扉の奧で待つ者はしびれを切らし彼の足が早まる事を望む。


そうした遠回しな感情表現に対し、仕方なしとまたしても肩を落としながら息を吐き、歩みを再開するイミト。



「クレアと会った時の事を思い出すったら……まったく花柄はながらでも猫柄ねこがらでも良いからピンクの暖簾のれんでも掛けといて欲しいもんだよ。それか選べる女の顔写真」


そしていざ、中央の建造物の扉の前に立ち——地下へと通じる薄暗い石畳の階段を見下ろしてウンザリした様子で小首を傾げるのだ。



すると——その時だった、


『人とは臆病な物だ。脆弱ぜいじゃくであるゆえか、何も見えぬだけの闇を恐れる』


通路に入って会談前の踊り場の壁に一人の男が両腕を組みながら背中を預けた格好でイミトへと唐突に話しかけてきたのは。



黒い髪、褐色の肌、赤い瞳——確かに人の形をしては居るが、漂わせる雰囲気は明らかに人ならざる者の


その男の突然の登場に、僅かに眉と横目を動かすばかりのイミトの視界にもまた、禍々しい気配と言葉一つ一つに重苦しい威圧感が乗り合わせているような印象を与えているのだろう。



「……命は一個だ、それを失う事におびえるのは、当然の事だろ。何も恥ずかしい事じゃない。それを笑う方が、頭がイカレてんだよ」



しかい、如何いかに驚き戸惑おうとも——表に出さず彼はわらう。

グサリと刺さる言葉の一つ一つを、まるで近づいてきたペットでも撫でるように。


『そのようであるにもかかわらず、他者の痛みを軽んじる。闇の奧を想像する力があるにも関わらず、他の命を軽んじ、他人の中の闇を軽んじる』



「——……へっ、違いねぇな。大事なのは自分の命だけって話さ。そういう鈍感さも自分の正当性やら優位性やら自尊心を保つ為に必要なんだろうさ。それに何より、他人様の闇に気を遣って怯えてちゃ、何にも話は進まねぇってのはガキでも分かる物の道理だろ?」



こうして男もまた、イミトと出会う。


交錯する二人の男の皮肉交じりの眼差しは、これからのを予期しているか如く互いの心に予感させたのだ。



「それで? アンタが魔王ザディウスか。出来たら『うん』と答えて欲しいね。、今でさえ、たまに疑ってる時があるんだ。目が覚めた時にを増やしたくはない」


あたかも、出会った瞬間から戦う宿命をびているような——


如何いかにも、余が魔王……否、魔王だった者の残滓ざんし。人から人ならざる者になった子よ、このまま奥に進むが良い」


互いに太古の昔より知り得ている旧知の仲のような、そんな風体。


恐らく決戦の場、もうじき——加工された魔石が暗黒を暗き環境に変えている階段の奧——闇深き深淵は彼らを招き入れているように彼らの邂逅かいこうをジッと見つめている。

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