第69話 見えざる未来。5/5
——デュエラ・マール・メデュニカ。
その他に類を見ない純朴さ故に、闇に染まりし魔人が戸惑う
だが——、純朴という言葉に多くの者が抱く印象とは違い、彼女は決して絵に描いたような善人では無い。それはイミトも分かっていた。
「え……えっと。ワタクシサマは……その……良く分からなかったで御座いますが……」
良くも悪くも、善にも悪にも容易く移ろう無垢なる透明。
幼い頃から孤独に暮らしていたが故の無知。
「エルフ族の皆様が困っているのなら出来る事はするのですよ……えっと、でも……出来れば皆様にはバジリスクには関わって欲しくは無いのです……弱いのにバジリスクに関わるのは危険なのです」
そんな彼女ではあるが、故郷とも言うべきジャダの滝はイミト達がリエンシエール達に告げた目的のバジリスクの支配領域に存在し、この場に居る誰よりも彼女はバジリスクの危険性を知っている。
——事を、イミトも知っている。
「バジリスクとエルフ族を殴り合いで戦わせるつもりは無いよ。陽動……つっても解からないか。うーん……ツアレストの動きを横流ししてもらいつつ死なない程度に遠くの方から弓を撃って逃げ回ってもらうだけだ」
だから一応は、彼女にこの場での取り決めを納得している言い訳の一つか二つは用意をしていたイミトである。
けれどもそれは、やはり急場凌ぎの急ごしらえ——先程までつらつらと
「『マザー』を倒す時間稼ぎに、他のバジリスクの足止めをして貰うだけのつもりだよ」
「……で、ですが」
それでも大人びたイミトの物量に任せた説得に押され、納得しがたい様相を魅せつつも黒い顔布を俯かせ揺らがせるデュエラ。しかし、その時間が無駄だったという訳でもなく或いは
「……優しい子なのね。けれどアナタ方が与えてくれようとしている物は、とても返しがたい大きな物よ。それなりの代価を払えなければ受け取れる代物では無いの」
イミトと比べれば慈愛に満ちた天使のように見えるデュエラの振る舞いに、未だ悩まし気に眉を下げながらもリエンシエールは肩の力が抜けたが如く息を吐く。
冷徹に思えるイミトら一行の中にあって、御されやすそうなカトレアを除いて唯一の強力な良心に思えたデュエラの存在に、追い詰められていたリエンシエールは冷静さを取り戻し、愚かにも心に芽生え始めていた杞憂や不安を払拭したのかもしれない。
「そして私たちは今、それを欲している……お願いできるかしら」
そうして彼女は選び取る。
「……デュエラ。約束してやる、ジャダの滝に連れて行くエルフ族は一人もバジリスクには殺させない。旅の途中で事故があって死ぬのは知らねぇが」
「それに、その件に関しての話し合いは後でも出来る。今は後回しにさせてくれ」
イミトすら予想も出来ない無垢なる少女に希望を抱き。
——だが、忘れてはならない、
無垢であるが故に、少女は善でも悪でもない、正でも邪でもない——世界の
「あ、だ、大丈夫なのですよ‼ 戦いになれば死ぬ事もありますし、ただ——弱い方がバジリスクに捕まると、毒とかで少し面倒な事になるので御座いますから」
ある意味での狂気性、無自覚の罠。その場の雰囲気から誤解を
「あ、そっちの心配か……なるほど考慮に入れとくわ、後で詳しく教えてくれ」
「あ、はいなのです‼ 何でも聞いて欲しいのですよ」
——イミトにとって、それは先走った杞憂を恥じる程の予想外。でしかない。
全く我ながら考え過ぎたと頭を軽く抱えて呆れる程度のものである。
「「「……」」」
しかしながら同じく先入観に囚われていた他の周囲にとっては、声が殺される程に衝撃的な物だったのだろう。
そして理解する。
——この場において、イミトと肩を並べられる程の合理の
純真であるが故の、イミトとはまた違う怪物の気配。
それぞれの視線は、まるでデュエラ・マール・メデュニカという少女の底知らない人物の奧にある真実を見極めようと向けられているようであった。
ただ、再三と今はそのような場合ではない。
「ふん……そのバジリスクの前に倒すべき敵どもが居る事も忘れるなよ」
人々の容易く揺らめく心模様に呆れつつ、クレアが仕方なしと釘を刺すように言葉を告げる。ピリリと張り詰めた空気を薙ぎ払い、一行の意識を別方向に流すその言に、
「忘れてないっての。エルフ族の反乱組の残党はコッチに向かって来てる訳だし、デュラハンに奪われる魔王石も無い。反乱組の首を回収したら、サッサと撤退して今後の作戦でも練ればいいだろ?」
相も変わらずイミトだけが上手に乗って。
「……そう上手く行けば良いがな」
そして——グダグダと話をしている間にも流れ過ぎていった時が運んできたように近づきつつある足音や生き物の息遣いが耳を突く。
「リエンシエール様……奴らが来ました」
「ええ……残念ですが、同胞とはいえ彼らの犯した重罪を見逃す事は一族の長として出来ません。せめて同胞の我らの手で、今後の
エルフ族が張っていたのだろう侵入者を阻む白い結界が、まるで我が家の扉の如く開いて溶けていくのは、結界を張ったエルフ族自身が到着したからに違いない。
故にイミトは、リエンシエール達の想いを何となくは汲み取りつつ、
「茶でも飲んで見守ってやりたいが……普通に反乱組が結界を抜けてきている所を見ると、あの最後の黒い結界がロナス側で創られた結界で間違いないよな?」
今更ながらと語るように、ここまでリエンシエールの血族たちがイミトらの道を
エルフ族の白い結界と、その中に潜む黒い結界の二重構造。
この地の名前は——遺骸跡ダルディグジッタ。
されど今の今まで遺跡という物の一欠片さえ描写できずに居たともなれば、その黒い結界の中にこそ——かつての魔王が封印されていたという遺跡があるのは
「はい。ロナスの方に現れたデュラハンの目的が本当に魔王石なら、ロナスにある結界の鍵が破壊されるのも時間の問題でしょう」
「——レザリクスが何を偽物として置いて行ったのか見物にでも行くか、クレア」
故にイミトはそう言って、尚もリエンシエールたちの
そう——彼が首をクレアの居る方へと回したその瞬間、
『それは良い。既にハリボテの結界が壊れ次第、王たる余が直々に迎え入れようと思っておった』
生まれた僅かな隙、油断——誰もがそれに気付かない。
『尚——変わらず貴様のみをな』
声が聞こえて
「「「「「「——な⁉」」」」」」
足下の影から唐突に黒い影が飛び出し、
全体像が形作られたその刹那の瞬間に至るまで、
『来い、愚かしき存在の
誰もその存在に気付き得なかった。
咄嗟に掴まれた肩に振り返る瞳孔——
「イミト‼」
余りの唐突に目を見開いたクレアが掴まれた者の名を叫んだ瞬間、
「——クレア‼ 最悪ジャダの滝で待て‼ デュラハンに
『必ず行く』
イミトの思考は瞬く時も惜しみ、抗いがたい未来に対して電流の如く思考を巡らせクレアへと言葉を返す。
こうして突然に、見えざる未来へと引きずり込むように黒い影は指先一つと誰もが動かせない程の凄まじい勢いでイミトの体を引き
——。
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