第65話 護国の御旗。2/5


「あー、セティス。スープの前に水を頼む、それから地図を出しといてくれ」


「——了解」


だがイミトの気配を察知できなかったエルフ族の男たちの驚愕きょうがくを他所に、イミトは素知らぬ顔で囲いの外に歩みを進め、調子の悪そうな喉の具合を確かめながら遠くで鍋を煮込み終わりそうなセティスに指示を送り始める。


そんな全ての準備を終えた様子のイミトへ、カトレアもこれから指示をあおぐべくエルフ族の男に向けていた警戒を僅かに解いて体を振り返らせる。



しかし一瞬のまばたきの後、彼女の視界に飛び込むものは——。


「ここからは貴殿が彼らの相手をするという理解で——、服を着ないか貴殿は‼」


首掛けタオルで局部が隠れているもののあらわになっている男の湯立つ上半身。

未だ湿しめりけを残す白黒の髪が妖艶ようえんに垂れ下がり、そこから頬に伝う汗に似たしずくを首掛けのタオルで拭いつつ、カトレアの罵倒に首を押されて傾けるイミト。



「いい加減に慣れろよな、男の上裸くらい。俺は風呂上りの時間を上裸で過ごしたい派閥の人間なんだよ」


「慣れるものか‼ 君は無作法が過ぎるのだ、仮にも客人の前でもあるのだぞ」



しかしむなしくも傾けた耳から入っていた水を落とすように、小指で耳の穴を調整して右から左とカトレアの叱責を受け流すのみに留まり、イミトが持て余す残りの腕に流し始めるははたから見れば凶悪な雰囲気漂う禍々まがまがしい黒き魔力。



「はっ、アポでもあれば紳士服市場にでも足を運ぶ所だけどな。悪いなアンタら。そこの仮面女は癇癪かんしゃく持ちなんだ、いつものヒステリックだから気にしないでおいてくれ」


「何が癇癪かんしゃく持ちですか……まったく‼」


そうして無意識な警戒を意図的に誘い、相手を牽制けんせいしつつ込み上がらせた魔力で創る漆黒の素朴な椅子に腰を落とし、憤慨にプンスカと息を吐いてエルフ族とイミトの間から距離を置くカトレアを見送ったイミトである。


平然と、軽々と——、穏やかな嘲笑を浮かべつつ上半身を覆う、いつもの軽装を身にまといて敵意など微塵みじんも感じさせないその男に、


「「……」」


戸惑いの冷や汗はにじむ。これから始まる会話の相手は、厳格なカトレアが優しく思える程の一筋縄では行かない相手だと思い、グッと息を飲むエルフ族の男。


ただ——子供の無邪気を装う、純然たる悪意が——確かに顔をのぞかせて。



「それで……話は聞かせてもらってた。エルフ族って奴の歓迎には大いに興味があるけど、その前に少し話を聞かせて貰っても良いか? ちょいとコッチも倒したゴブリンたちの事で気になる事があるんでな」



だが無論、そのあからさまにも思える悪意は、直ぐには槍とはならないのだろう。


黒い椅子の次に場に整えられる黒いテーブル。しかしながらそのテーブル面積は一人分か二人分か程度で、新たな椅子も作られない様子から椅子に座って茶会のように談笑しながらの会話などを予感させる事も決してない。



「……構わない。こちらもゴブリン共が何処に向かったかを知る為にここに来たのだから」


侃々かんかん諤々がくがくを試みると言えなくもない状況で、エルフ族の男はイミトの余裕に満ちた佇まいに警戒を抱きつつ、イミトの話に耳を傾けるべく堂々と腕を組む構え。閉じたまぶたは覚悟を決めた面持ちか。


そうして始まるのはイミトの糾弾にも似た穏やかな尋問である。

黒いテーブルの上、イミトの手からバラバラと零れ落ちる魔力で創られた黒い駒が、甲高い音を立てて転がった。


それにどのような意味があるのか、想像するに容易い。



「オーケー。まずは、そうだな……俺達が倒した数と、実際に存在していた数を確認する為に、ここら周辺で既に被害が確認されてる村や街、集落の場所と名前……それから被害規模を教えてくれ。討ち漏らしがあったら二次被害が増える」


戦況の分析、状況の予測、情報の整理。コツコツとテーブルに並べられていく黒い駒は、遠からず温めていたスープを器に盛りつけるセティスが持ってくるのだろう地図上で用いられるに違いない。



だが、

「ゴブリンは村や街を襲う度に数が増えるらしいし、当然……軍勢の向かってる先から逆算して一緒に調べて来てるんだよな。被害が出てるから調査を始めたんだろ?」


既に形それぞれの黒い駒を見下げて並べ始めているイミトのまなこには、遠く広くと俯瞰的ふかんてきに世界を見下ろしているような色合いが漂う。



「……それは別動隊が調査している。我々はゴブリンどもの動きを監視する役目を担っていた」


相対するエルフ族の男も勘の良い男のようだった。先んじて己らの応対をしたカトレアの態度から、やはりイミトこそがこの只者とは思えぬ集団における厄介な頭脳であると直感し、言動を間違えてはならないと確信し、改めて息を飲み言葉を選ぶ。



「じゃあ、急いで確認してきてもらえると助かるな。監視なんて一番重要な役目なんだから、アンタ方の本陣との連絡手段は当然用意してるはずだ」


「はい、水。それとスープと地図」


「助かる。美味そうなスープだ、仕上げに強い香りの香草を刻んで入れたみたいだな」


「……今朝に焼いたパンを持ってくる」


そうしている内に、セティスがイミトの下に到着しテーブルに湯気の薫る器と水の入った水筒を置き、脇に抱えていた地図も置く。



「——分かった。本陣に問い合わせてみよう、少し待ってくれ」


対応を間違えてはならない。何度も何度も己に言い聞かせ——だからこそ、セティスの動きを目線で追いながら、エルフ族の男は背後に控えさせていた仲間に言葉なき指示を送り、イミトの出した要望を無条件で受け入れたのだろう。



しかし——彼らは既に間違えていたのである。

何時いつからかと問われれば、それは最早——と言わざるを得ない程に。


唐突に、イミトは言った。スープを味わう為の黒い匙を魔力で創り出しながら。



「ああ。ここで三つ——とりわけ明確に、おかしな話が三つある、何か分かるか、仮面の美女さん」

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