第64話 壊滅の足音。4/5


***


けれどもそれは未だ疑心の種、カトレアやセティスが否定したようにイミトの考え過ぎである可能性も否めない。故に穏やかに時は流れ、風呂のふちから溢れる湯の音が地面の泥を鳴らした頃合い、



「なぁ。そういや、さっきスープの仕上げ前に入れてた野菜は何だ? 削って入れてたよな」


全身の緊張を湯に溶かされていくように湯気に息を奪い去られていくが如く息を吐いたイミトが、暫くしてかおもむろに黒い囲いの向こうに何の事は無い世間話を放り投げる。



すると、その声に応えたのは先程までスープを作っていた魔女セティスであった。



「……マンドレイクの事? 魔女の薬膳やくぜん料理に使われる魔生物。ミュールズで干物を手に入れたから久々に作ってみた」



「ほー、魔生物ねぇ……興味あるな。ぱっと見、顔のある大根みたいだったけど……いや、高麗人参こうらいにんじんとかの方が近いか」


イミトの耳に聞き馴染みのない言葉の響きが伝わり、湯船の水音が彼の動きを音として伝えた。



湯に沈んでた手を浮かばせて顔の近くまで動かしたのだろう。言葉の通り興味深げに顎に手を当てて、顎髭あごひげが伸びてないかをなぞるイミト。



「最近は人工培養じんこうばいように成功しているらしいけど、本来は魔素の濃い場所でしか生息できない魔生物、特にマンドレイクの毒抜きした後に乾燥させた干物は持続的な回復力を高める魔法薬に使われる程に健康に良いとされてる。傷の治りも早くなる」



「クレア様。お湯を掛ける」

「うむ」


そうしている内に、質問混じりの独り言の受け答えを片手間で始めたセティスは、泡で覆われたクレアの長髪に許諾きょだくを得てゆっくりと丁寧におけに入った湯水を流し始めた。



「……漢方みたいなもんか。それか漬物」


「はは、野菜嫌いのデュエラが布の下で嫌な顔してないか? 今日のスープ、肉の一つも入れてないだろ」


きらびやかでつややかな白黒が泡を流されあらわになるクレアの頭髪を夢想しつつ、湯船の中で首を傾け耳を澄ますようにイミトは語り、そして少し遠くから近づいてくる足音に気付いて思い出し笑いを軽く弾けさせる。



「え⁉ わ、ワタクシサマは別に嫌いな食べ物は、ななな無いのですよ、イミト様⁉」


クレアの髪を拭く為の柔らかそうなタオル地の布を持ち運んできたデュエラが、その身に覚えのない唐突な物言いに戸惑うのも当然だったのかもしれない。



それは彼女自身、料理が趣味なイミトの邪魔をせぬように内緒にしていた——内緒に出来ていると思っていた事柄だったのだから。


「はは、でもそんなに好きじゃねぇだろ。いつも野菜を他の肉やパンとかで誤魔化しながら食べてるからな」


「なぁ、カトレアさん」


そしてそれは、凛々しい黒き仮面を身に着ける女騎士カトレアも同様で。



「は? え、ええ……私は、そのようには感じていませんでしたが……」


周囲の警戒監視をしていた彼女は咄嗟の話題振りに焦り、無意識に首を振り返らせて、しかしその後にイミトの言葉を考え直してバツが悪そうに監視業務へと彼女の意識を逃げさせる。



明らかに何かを誤魔化しているようであった。



「カトレアさんとデュエラは仲良くなれるよ。味の好き嫌いが似てるからな」


「「……」」


そうして風呂の熱で虚脱きょだつするイミトの言動を他所に、僅かに走るデュエラとカトレアの間に流れる互いを密かに見つめるような神妙な雰囲気が漂い始めて。



「まるで私と他の人の味覚が違って仲良くなれないみたいな口振り。クレア様、終わった。濡れた髪は風魔法で乾かしながら拭いた方が良い」


するや留まりつつあった会話に割って入ったのはセティス。特に気にもしていない様子で仲間外れの雰囲気に、冷たく無感情な不快を口にしながら自らの手に付いた最後の泡を流し、クレアの髪を湯で最後に洗い流して一仕事を終える。



「あ、クレア様。タオルの用意は出来てるので御座いますよ」


「うむ。今から風を生むゆえ、貴様が拭く事を許す」


そして入れ替わるようにデュエラとセティスは居場所を変えて、ほのかに白い湯気を纏い小高い台座から夜露の如く水気が滴るクレアの髪をデュエラが両手で抱えるタオルが、ぎこちなく受け止めた。



「別にセティスが飯の所為せいで仲良くなれねぇって言ってるわけじゃねぇさ。共通の趣味趣向は話が合うキッカケになるってだけの話だ」


一方のセティスはデュエラ達の代わりに黒い囲いの向こうに居るイミトとの会話に入り、疲労を湯に溶かすような声色のままの不遜な物言いを聞かされるに至って。



「そもそも、俺もカトレアさんの事になると人の事は言えねぇが、そろそろデュエラくらいには敬称を外して呼び捨てで読んだらどうだ」



「もともと腰の低いデュエラの様呼びは兎も角、お前が人の名前を呼ぶ時のぎこちなさったら見てられねぇよ」



「「……」」

「手を止めるでない、デュエラ」


「あ、すみませんなのです、クレア様‼」



そうして再びと絶妙に気まずい空気感を囲いの外に作り出し、ほんのりと周囲に風を生み出し始めたクレアだけが唯一人ただひとり、状況を無関心に時を過ごしゆく。



そそくさと風に荒ぶり始める白黒髪をデュエラが目で追いかけ、タオルで包むせわしない一時にセティスの瞳は逸れて、彼女はイミトの居る囲いの向こうに遠い目を向ける。

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