第64話 壊滅の足音。3/5


その後、彼の目的を更に覗くべくわずかに太陽が傾いたような時間が過ぎて。


「イミト殿、戻られたか。風呂はき直しているから暫し待ってくれ」


ゴブリンの軍勢について調査を進めていたイミトが地平線まで続く平原の中でも、小高い地理の丘に陣取る野営地に黒い袋を担いで帰還すれば、それに気付いたカトレアが声を掛ける。



「良いよ別に、水風呂でも。カトレアさんが水魔法を少し使えて助かった」


面倒げな作業をこなしてきたのか、疲労が声にまでにじみ、普段の軽口がはかどらない様子で息を吐く。その姿は血に染まり、白と黒の髪もすべからく元から赤であるようなたたずまい。


「クレアは……はッ、髪を洗ってもらってんのか」


カトレアがそんなイミトの帰還を受けて、そそくさと風呂の用意をしている最中なのだろう近くの黒い囲いの中へと早足を進め、その背を見送ったイミトは次に自分の風体とは対照的な優雅に美しい白黒の髪を丁寧に洗われている姿を見つける。



五月蠅うるさいわ。さっさと貴様も風呂に浸かってその口臭ごと決して来ぬか」


「風呂場の囲いの中に石鹸せっけんがある。デュエラさん、イミトに水とタオル」


黒い台座の上、後頭部から流れるようにガスマスクの覆面を外しているセティスが両手を覆う白い泡でクレアの髪を撫でつつ、背後で髪の洗い方を勉強している様子で見つめていたデュエラに指示を出すと、彼女もハッと我に返り僅かに顔布を揺らしながらセカセカと動き始めた。



「はい、なのです。ソチラの荷物も預かるのですよイミト様」


にわかにせわしなく、水が入っているのだろう水筒からイミトは受け取り、軽く飲んでから血染めの髪の上から残りを自らにブチ撒ける。それからタオルを受け取って肩に担いでいた黒い袋を地面へと降ろす。



「ああ。でも袋は開けるなよ、まだゴブリンの血肉が消えてないから匂いも溜まってるぞ」


そうしている内に、風呂の支度を整えに行っていたカトレアも戻り、仲間の一行が揃いゆく。



「王国の一個師団が出陣する規模の軍勢を、こうも容易たやすく征伐してしまうとは舌を巻くばかりですね。流石さすがと言うべきか」


そこで始まるのは先のいくさ功労こうろうを語り合う場か、或いは——



「……そうは思えないな。あのくらいなら王国騎士長とかアディ・クライドとか上位の連中なら余裕でこなすレベルだろ。なぁクレア」


「ああ。幾ら小鬼とはいえ、アレは弱すぎる。それを調べておったのだろう貴様は」



戦で得た戦利品を並べ語らう場であろう。

肩で呆れの息を吐いたカトレアの安堵を他所に、タオルで雑多に血塗れの顔を拭うイミトの声色は同じく戦場に立っていたクレアと同様に安堵とは程遠いものであった。


まだ嵐が吹き始めたばかりのような不吉を思わせる重みのある言葉。



「まぁな。例えばコイツだ……小鬼の雑魚から回収したもんだが、カトレアさん」


顔を抜いた布を肩に掛け、イミトは次に服のポケットに忍ばせていた小さな小石を取り出し、カトレアが受け取れるように放り投げる。



「——? 魔石の欠片ですか?」


許諾きょだくや覚悟を聞かぬままに放り投げられたソレを、慌てて両手を差し出しててのひらに着地させるカトレアは、その小石をマジマジと見つめ、何の話がしたいのかとイミトの顔色をうかがった。



するとイミトは直ぐ様にカトレアの問いを否定する。


「いんや、それがゴブリン一体に埋め込まれてた魔石だ。消える前に状態の良い死体を解剖かいぼうして見つけた」


サラリと戦場で無傷だった己が血だらけであった理由を漏らしつつ、彼は彼が気になって何を調べていたのかを匂わせる。



「欠片って思うくらい小さいと思わないか? 騎士として魔物の討伐もしていたカトレアさんもだが、魔物に詳しいセティスはどう思う」


そして自身の杞憂が杞憂であれば良いと語り、調査の結果について共有しつつ自分よりも魔物に詳しい仲間の考えを問う。



その答えは——

「……確かに少し小さいとは思うけど。小鬼の魔石ならそんなもの。誤差の範囲」


「そうですね……ゴブリンの魔石は貧民層の燃料として安値で加工される質が悪い物が多いですし、些か気にし過ぎのような気もします」


曖昧あいまい。たったこれだけの証拠品ではイミトが暗に示しているのだろう言説の決定打には至らないと、答えに頭を悩ませた末に出た物であった。



「んー、そうだと良いんだけどな。取り敢えず、今日はここで野営して、ゴブリンの魔石の残りを回収しようぜ。燃料に加工できるんだろセティス」


故にイミトも、返り血が固まり始めカサカサと触感の悪い髪を掻き、このままの有様では考えも纏まらないと黒い囲いの向こう側、湯気が昇り始めている風呂へと足を向ける。



「了解。魔石の放置は再出を防ぐ為にも、出来る限り避けるべき事だし」


「……手が止まっておるぞセティス。貴様も、さっさと風呂に迎え……いつまで阿呆面で阿呆な事ばかり考えておる」



「へいへい、今向かう所だよ。どうやったらカトレアさんに背中を流してもらえるか考えるのは止めて一人寂しく風呂にでも浸かってくるさ」


「なっ⁉ そんな事を私がする訳がないでしょう‼ 馬鹿馬鹿しい‼」



取り敢えず、瞼を閉じたままのクレアのげんに議題は保留と流れ、普段通りとなりつつある平穏が野営地に満たされて。



「冗談だ。お望みなら後で謝罪文と賠償金の示談に応じてくれると助かる」


「のびのびと欲望を語る事も出来ないなんて怖い世の中ったらないぜ」


 「……まったく。貴殿という男は」

それでも尚——、



「へへっ、ロクでもない男の代名詞ってな」


「「「……」」」


これまでの戦をすべからく見通してきた男の実績の記憶が、今回の彼が持ち込んだ疑心の種を既に確信であるかの如く差し迫る不穏を予感させる。



へらへらと嗤う男の背に集まる視線が、それを鮮明に語っていた。

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