偽称編

第63話 小鬼の軍勢。1/4


おだやかな陽光ようこうの下、その異形いぎょうの者たちは進軍していた。


牙と爪鋭く、獣とも人とも付かぬその容姿、の臭いをぎ回り、狩った獲物の死骸を回り囲んで何やら比べ合って談笑する二足歩行とも四足歩行とも付かぬその振る舞い。



彼らの名を、人々は畏怖や嫌悪を込めて呼称する。



——小鬼ゴブリン、と。


この世界の俗説ぞくせつによれば、彼らはいやしい者たちの魔力から生まれる魔物であるという。

本能的に略奪を好み、基本的に自らの手で何かを創り出すことも無い。いびつふくれた腹は飢餓きがの証か。


真似事の武器や防具をそこらの材料で適当に見繕みつくろい、或いは人々から奪った物を手入れも補修もなく使う彼らは、時折——小規模の群れで通り掛かりの商人や村に襲い掛かる。



しかし、他の魔物と比べれば非力で、被害が出ない訳でも無いが、それでも商人の護衛や田舎村の警備団程度でも倒せてしまう脆弱ぜいじゃくな魔物であった。



——悪い事をすれば、ゴブリンになってしまうのだと幼子に言い聞かせる程に見下された存在である。



だが、それもでの話。


が——生まれるまでの話。



小鬼の王は、生まれながらの王である。


小鬼と呼ぶには最早、余りある鍛え上げられた強靭きょうじんな肉体を持って生まれ——時を同じく生まれる屈強な臣下の鬼どもをしたがえる。



彼らは生まれると同時に進軍を始め、周囲の獣は最低限の食糧程度しか襲わず各地に群生する小鬼どもを集めながら、真っ先に人々が住む集落や村々を襲い、文明を蹂躙じゅうりんし奪い去っていく。



だが、彼らに襲われた街に人の死体は失踪したように存在しないという。それこそが小鬼の王がもたらす災禍さいかの特質すべき点なのだ。



彼らに襲われた村の者どもは、皆がいやしき者たちの同胞や奴隷へと変えられてしまうのだから。


刻印による呪法や魔法、王が感染源となる病原菌など、様々な学説が語られているものの未だ解明できていないその増殖方法を知る者は、小鬼の王と従者のゴブリンたちと直接被害にあった人々のみである。



——そうした性質の様々も含め、まさしく略奪の王。


通常のゴブリンを野盗やとうと例えるなら、彼は国盗くにとりの旗手きしゅ

生まれながらの革命児。


そんな王が率いる軍勢が、穏やかな陽光の下、和やかな草原を踏みにじり進軍している。往々にして、近くの村人や警備がその光景を目撃してしまえば裸足はだしで逃げ出し、国の一大事と国家中枢まで報告が走るような切迫した状況。



しかし、それを前にして、進軍の行く先——数里ほど距離を離した場所で呑気のんきな煙が一つ昇っている。



「風向きが向こうで助かった。ゴブリンはくさいから食事の邪魔」


積み重ねたき木の上で、吊り下がる深い鉄製の鍋一つ。昇る煙と湯気にあぶられながら怪しげなガスマスクに似た覆面を被る少女は、鍋の中身をで混ぜつつ独特な呼吸音の後に溜息のように言葉を噴き出す。



するとそんな少女の嘆きに呼応するように、



「……ワタクシサマは正直もう気分が悪いのですよ。さっきから凄い臭いなのです。セティス様ガタは、この距離ならにおわないのですか?」


コチラも黒い布で顔を覆い隠す少女が傍らに力なく座り込んで口の部分に殊更と顔を隠す布を押し付けていて。



更に、

「いや……流石にこの距離と今日の風向きでは、常人であろうと無かろうと臭いは届きませんよ。恐らく、偵察の最中にでも臭いをいでしまって嗅覚きゅうかくにおいの記憶がこびりついたのではないですか?」


角の生えた漆黒の仮面越しに周囲に警戒を巡らしながら、腰に帯びさせている剣のさやから伸びる柄に触れて軽装の白い鎧を纏う女騎士が会話を続ける。



まずは、三人。その者らは皆等しく焚火たきびで温めている鍋の周りを囲い、時を過ごしていて。



されど、その場には他の者も居た。



してやるなよ……大体、その臭いの発生源にって奴を引き止めもしないで呑気のんきに鍋を煮込んでんじゃねぇよったら」


——否、わずかに離れた草原の土が盛り上がる、小高い場所の岩の上。

遠目に小鬼の群れの進軍が巻き上がらせる土煙つちけむり喧騒けんそう見据みすえながら、白黒の髪を風に揺らして青年は首の付け根を辟易へきえきと傾ける。



「お前らの同人誌とやらが出たら買い占めて何処ぞの河川敷にバラ撒いてやりたい気分だよ」


「話の意味は分からないけど、呑気に鍋を煮込んでる事に関してイミトにだけは言われたくはないのは確か」


そんな青年イミトの不満げな物言いに、ここに至るまでの鬱憤うっぷん片鱗へんりんをガスマスクの感情なき透明ガラスの双眸そうぼうに揺らめかせる少女。


本来ならば、ささやかな言い争いになっていたかもしれない。


しかしながら、



「我は別に貴様に付いてこいなどと言っておらんぞ。嫌なら寝ておれば良かろうが」


それを許さぬ最後の一人が青年イミトの傍らで大人びた静やかな声で会話に割って入り、立ち昇る漆黒の煙を揺らめかせながら鎧も鳴らした。



「あの数を、その死霊騎士ナイトメアだけでやると時間掛かるだろ、しかも中途半端なストレス解消になって後々にまで尾を引きそうだし、久々に体を貸してやるから全力で暴れろよ」


だが、青年イミトの視線は真横で立ち上がった鎧ではなく、その鎧が左腕に抱える鎧兜に向けられて。



「……面倒な女扱いするでないわ、たわけが」


 「はっ、面倒な女だろよ、愛しい愛しいな」


そこから発せられる先程と同じ不機嫌な女の声色が静やかに響き、草原の背向こうから流れ来る風と共にイミトに鼻でわらわれる。彼女を抱える鎧の騎士は、彼女の傀儡くぐつ骸骨がいこつの人形。



「——さっさと行こうぜ。が変わる前に終わらせたい所だ」


不吉極まるその容姿に、一切の躊躇ためらいもおびえもなく青年イミトは座っていた岩から降りて風にあおられる背中をゆだねた。ポキリと関節内の気泡が弾けたように鳴った首の骨をいたわりつつ、彼は間近に迫りつつある小鬼の軍勢——或いは己の覇道へと向けて歩みを始める。



その畏怖いふなど微塵みじんも感じさせない、イミトの背にみなぎる気配が魅せしめる未来に、疑いは無いのだろう。

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