第58話 仄暗き泥沼。2/3


——。


 その光景を巨大なモニター画面のように真っ白で埋め尽くされた部屋の宙に浮かべ、成人しか飲む事を許されない飲み物を優雅ゆうがたしなむ者たちが居る。



「始まったようね。一応……聞いて置かなければならなくなったのだけど何の入れ知恵もしていないのよね、ミリス」



ワイングラスの中でかたむ白濁色はくだくしょくの液体。その色合いを眺めつつ、椅子の肘掛ひじかけに肘を置いて頬杖ほおづえを突く妖艶な魔女はユラリと傍らに同じく座る貴婦人に言葉を贈った。



「え、ええ……ふふ、彼が彼なりに考えた結果よ。アレは」


すると貴婦人は口元を抑え、手に持つグラスの水面を揺らめかしながら込み上がる笑いを堪えている様子で魔女へと言葉を返す。



 「それにしても……ふふ、あのタイミングでトウモロコシが弾けるかしら。本当に神がかった物を感じてしまうわね、ラムレット」


そして——その笑いを堪えたせいで目の端、目尻からかすかにこぼれる涙を指でぬぐいミリスと呼ばれた貴婦人は心持ちを整え、皮肉めいた優しげな微笑みを妖艶なる魔女ラムレットへと押し返すのである。


「……私には、あの子がアナタから神の座の争奪戦があると聞いていたように見えたのだけど事前の盟約でそれは禁じたはずよね」


僅かに質量を持って波立つ白濁はくだくにごり酒、その事柄が伝える持ち主の感情は如何ばかりか。静かに瞼を閉じるラムレットにそれは伺えず、彼女は口直しの如くワイングラスの縁を艶やかな紅色の唇へと運ぶ。



「あら、本当に言っていないのよ。彼には彼が以前に私に行った不敬の罰を伝えただけ……過去を確認して貰っても構わないけれど?」



「それに……アナタのお気に入りの子も争奪戦について知っている様子なのだけれど、についての不公平感は覚えないのかしら。事前の盟約で開始前に説明して良いのはルーゼンと候補の天使だけだったはずよね」



そんな白濁の酒を一口飲んで細やかに舌を舐めずるラムレットに対し、ミリスは自らの潔白を証明を試みつつも、協定の穴を突く行為を暗に糾弾きゅうだんしながら持っていたグラスを背後に控えている彼女の執事に預ける素振り。



——ソチラがそのつもりならば本格的にをも交えても良いと言った雰囲気である。


「……いいわ。今はアナタを信用しておきましょう、そちらの指摘についてだけど私自身は伝えていないわ。私の天使の先走った判断なのでしょうね」


その普段は穏やかな気象の貴婦人のミリスが放つ威圧感は、ラムレットが掴んでいた言葉の刃の柄を鞘に納めさせる程であった。



詭弁きべんね……お互いに。私はアナタよりマシだけど」


言い知れない只ならぬ気配、預けていた泡立つ黄金色の中身が煌くグラスを取り戻すミリス。喉に通す苦みのある口直しの一杯は、とても静かに飲み干されて。



「さて、先手は取られてしまったけれど——ここからはどうなるかしらねミリス」


 「ふふっ、目を閉じていても分かりそうなものでしょうに……神の眼など無くてもね。アナタって、本当に可愛くて素敵よラムレット、可愛らしい掌サイズ」



上唇に残る黄金色の液体に浮かんだ泡をハンカチーフでき取って、話題を変えたラムレットにビールの味が如き嫌味を返す。



「「……」」


よって悠々と悠久、二つの席しかない白き世界で部屋の中央に浮かぶモニター画面の如き時の流れ、世界の流れに傍観者はチリチリと険悪な雰囲気を漂わせる。


「アルキラル、私もポップコーンが食べたくなったわ。用意して頂戴」


 「かしこまりました。神ミリスの仰せのままに」



背後に控える執事服の従者のみが、その光景を傍観する事を許されていた。


——。


故に、時を同じくと言っても良い別の人物たちの視点に移す。


「まったく……理解は出来るが、どうしてこうタイミングが悪いのか、あの方は」



イミトの指示を受け、未だに空気を読まずに騒音を周囲に撒き散らせ続けるポップコーンの音を止めるべくカトレア・バーニディッシュは二階建ての馬車の外側に設置された梯子をよじ登っていた。



「それにしても、ポップコーンとは何だ。凄まじい音ではないか」


こぼ愚痴ぐちすらも掻き消してくれる騒音の元凶の下へ辿り着いたカトレアは、未だ付け慣れていない漆黒の仮面を外して息を吐く。一度、高熱で形が歪んだ物を叩き直したような不格好な深い鉄製の鍋の中、天井を覆う蓋が隠す内部で弾ける音は凄まじく、まるで外に出せと蓋に特攻を仕掛けているような佇まいであった。



 「蓋は開けるなとおっしゃられていたものの、このまま放置しておいて大丈夫なのだろうか」


「……」



その初めて見る佇まいと鍋を熱している魔石の装置から遠ざけても尚、鍋の中で続く爆発にも似た音に対し、不安に駆られるカトレアは息を飲み、怖いもの見たさの好奇心にも同時に駆られて利き手の右手をうずかせた様子。



だが、彼女の理性は大人びて。


疼いた右手を左手で押さえ、己の好奇心をたしなめる。



その時だった——物語は激しくページを進め、紙擦れ音を世界に響かせたのだ。



「いかんな、早く戻らね……ば——⁉ なんだ⁉」


めくられたページからの風圧のような微々たる物が体を通り抜ける感覚。


一瞬だけ僅かに体を走った猛烈な違和感に言葉を殺され、戦いの場に戻ろうとしたカトレアの足を止める。そして彼女は立ちくらみに似た眩暈めまいも感じ、よろめいた彼女は慟哭する胸を抑えて馬車二階の厨房に寄り掛かって。



「ぐっ……こ、これは——何が起きてる⁉ 私の中から、何か……あああああ‼」


けれど痛みは無かった。まるで透明な腕で胸の中を不快な感覚におぞましい寒気を感じてカトレアは顔をしかめているのだ。



そして更に感じる胸の中から重要な何かを掴み取られていく虚脱感に彼女はあえいだのである。


「——……」

「はぁ……はぁ……何だ、何が起きた……」



やがて抗う事も出来ぬまま起きた異変、事象が自然と収まるまで時を過ごしたカトレア。息を切らして無意識に引き摺り出された声に頭を抱えて、状況を確認しようとした。



刹那、カトレアしか居なかったはずの馬車の中——別の人物の欠伸あくびの如き呆けた声がとどろいた事で彼女は起きた事象を紐解く一つの糸口を目撃するのである。



「——うるさいピョンね……何の騒ぎピョ……ぴょあああ、なになに⁉ 何の音ピョン⁉」


聞き慣れぬ声色がよどみ流れ、長い黒髪が流れるように馬車の黒い床にれ、それもつかの間——空気を読まず弾け続けていたポップコーンの騒音に寝ぼけを叩き起こされた様子で荒ぶる。



「え?」

「は?」



瞬間、目と目が合う交錯。

互いに状況を全くと理解出来ない呆けた顔で、互いの顔を鏡映す両者。



「……何でカトレアが、目の前に——ここは魔石の中、え? からだ?」


 「その聞き慣れない言葉と口調……まさか、ユカリなのか?」



けれど片方は、その騎士の顔を知っていた。

片や騎士は、彼女の言葉を理解出来ない事を知っていた。



初めてにして幾度目かの邂逅かいこう——初対面とは思えぬ既視感きしかん



「え? カトレアが、目の前で——じゃあ、これは誰の体なんだ……ピョン」



カトレアの胸にきらめく蒼い魔石の輝きは懐かしく、突如として馬車に現れた少女は自身の体を確かめるように両手を開いてジッと見つめる。



そして気付くのだ。


「ていうか裸‼」


 「と、取り敢えず服を——いったい、何が起きているんだ」


理解の及ばぬ只ならぬ事が現状、現実として巻き起こっているという事も。

淑女しゅくじょ、文明人が羞恥しゅうちするに至るに不思議でない状況であるという事を。

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