第58話 仄暗き泥沼。1/3



「——……ちょっとは骨がありそうじゃねぇか、


重き鋼色の武骨な大剣は、こうして泥に似た柔らかい草原後に突き刺さる。背後に首の無い馬をく馬車を控えさせる標的に対し、これまでの事を無かった素振りで仕事始めの如く首を鳴らすバンデット。



「……ははーん。その口振り、さてはスライムとでも戦っていたみたいだな。さぞかし経験値が腹に溜まってる事だろうな……脳じゃない所が残念だよ」


そんな彼に首を傾げて挑発的に声を溢すイミトは、何処か気だるげに歩み出し始めてサラリとバンデットの背後に隠れる少女へと目を向ける。



その魔人からすれば皮肉な事に、予見して言語化した通りの光景。



遠く、遠く先を見据えるその眼光には、余りある悠久ゆうきゅうの退屈がにじんでいるようでもあった。


——まさに繰り返し眺めてきたに、絶望を見るが如く。




「ゲーム脳が。どうせ引き籠って脳みそがイカレちまってんだろ、今からでもスキル選択画面を探し回って英雄気分を堪能たんのうしたらどうだ? 寝てる間に殺されんだから幸せなもんだろ」



「はは、そりゃ良いねと言いたいが生憎……電脳ピコピコを買えるような人生は送って来れなくてね。重ね重ねに残念至極」



それでも目の前で繰り広げられ続ける挑発的な言動を彼は楽しげに笑い、或いは嗤い、バンデットから一定の距離を置いて足を止めた。



さもすれば、これもまた彼の計画の一部か。


ただ——敵対と警戒の視線を向けてくるバンデットや彼の背後に隠れていたトンガリ帽の少女が背中から大きな本を開いて飛び出す行動にかんがみて、気を遣った物でない事だけは確かであろう。



「ラック様、——」


盛大な紙擦れの音を掻き立てて、声を荒げたレヴィという名の魔女見習いの如き風体をした少女は威勢よく、何かしらの力を発動しようと試みる。



だが、その時——


「「——⁉」」


これから討伐しようという魔人の背後にあった馬車の方角から、けたたましく唐突に何かが凄絶せいぜつに弾ける無数の音が鳴り響く。



その中身の無い薄皮一枚の銃弾が弾ける発砲音に対し、戦闘を始める矢先だった緊張を張り詰めさせた者どもの驚きは如何ばかりだったであろう。少なくとも、たった今しがた黒い鉄球の奇襲を受けていた彼らは虚を突かれ、突如として襲う緊迫に意識は音の発生源へと向かって体は無意識に硬直する。


しかしながら音の発声で生まれた彼らのすきを突くことも無く、音の発生源と原因を知る魔人は当然と驚く事もなく語るのだ。



「あ、ヤベ。カトレアさん、急いでポップコーンの鍋を火から離してきてくれ」


喧騒慌ただしい状況の中で驚いて目を見開かせる敵を置き去り、魔人イミトは背後で剣の柄を握ったまま唐突な音に敵と同じく驚き振り返っていた黒い仮面を付けた騎士に顔を向けて言い放ったのである。



——

城塞都市ミュールズで彼の仲間が仕入れていた朝方の朝食でも用いていたトウモロコシの粒を少量の油でった軽食の、その調理の方が敵の動きを警戒するより優先だと。



「あ、え⁉ 私がですか⁉」


未だ鍋の中で次々と弾け続けるトウモロコシの音の隙間に飛び交う間の抜けた戸惑いの声。ひたいから角の生えた仮面の騎士は、二度三度と馬車と前方のイミトに視線を動かして。



けれどイミトが仮面の騎士カトレアを名指ししたのは訳がある。



「いや……もうアンタしか居ないし」


それは、先程まで彼女の隣に居たはずの他の仲間三名の姿が既に無かったからであった。その事に——体を硬直させていたバンデット・ラックらも遅ればせながら気付くに至って。



は——空から。


「——銃声⁉ ちいっ‼」


ポップコーンの騒音にまぎれ、否、或いは際立って響き渡る火薬が弾けるような金属音——遥か天空、左斜めの空から迂回うかいした様子で空飛ぶほうきからその音は弾け飛んで耳を突く。



そして高速で飛来する光る弾丸に対しバンデットの大剣は咄嗟に動かされ、鋼が弾丸を弾く音が響いた。



だが、銃弾を放ったのだろうガスマスクを被る魔女はイミトの背後に居た仲間の一人に過ぎないのであって。



その他の仲間と言えば——


大丈夫なのですよね」



右から高速で迂回し、しかと後頭部で結ばれた顔布をまとう少女は拳を構え、空を駆るが如く猛烈な突進でバンデットの傍らに控えるレヴィを狙う。



「レヴィを——くっ⁉」


だが何より注意しなければならぬのは


漆黒の鎧を纏う骸骨騎士の左腕に抱えられる不完全な女のデュラハンは、赤い双眸そうぼうを光らせる骸骨の騎士を操りバンデットが持つソレよりも巨大な大剣を明確な殺意を持ってか振り下ろし、


レヴィを狙う顔布の少女の邪魔を阻止すべく大剣同士を交錯させて抑え込んだ。

そして——彼女はおもむろに語るのだ。



「……ふむ。貴様の方がなぶり甲斐はあるそうではあるが、まぁ良しとするか。今回もゆずってやろう」


或いはソレは、遠回しな死の宣告だったのかもしれない。

戦場にて死の象徴としておそれられる魔物デュラハンの死をぎ分ける嗅覚が、刹那せつなの打ち合いで殺人鬼の力量をはかり終え——


己をむしばむ退屈を満たすに足りぬと判断するに至り、何より——この瞬間、彼女だけが魔人と殺人鬼の戦いの顛末てんまつを予見するに至ったのだろう。



「ぐうっ……バンデット‼ アナタはアナタの役目を‼」


 「ちっ——クソが‼」



故に彼女は手を抜いた。彼女にしては珍しくといった具合で溜息を吐くように骸骨騎士に鍔迫つばぜり合いをさせていたバンデットから退しりぞいて間合いを取れば、時を同じくとして黒い顔布の少女は泥に両手を押し当て、後ろ蹴りをトンガリ帽の少女の腹に押し当てる。



手放された本が空気抵抗でバラバラとページを荒ぶらせながら空を舞う中、トンガリ帽の少女もまた顔布の少女の蹴りでななめ上の空へと真っ直ぐに飛ばされ行って。



——


「手加減はしておろうな、デュエラ」


 「はい、なのです! ちょっと押し飛ばしただけなのですよ‼」



男と女の二人組は、まるで事前に示し合わされていたように行動を別たれる。

水気を多く含む草原の土砂が飛び交い、雑草の上でつややかに時を過ごしていた雨露あまつゆも、それらに叩き起こされた様子。



「早く離れろよー‼ たぶん魔力全般が使えなくなるぞー」


 「はい‼ イミト様もお気を付けてなのです‼」


そのような慌ただしい状況下、魔人イミトは前方に声を掛けつつ密やかに空で静観を決め込もうとしている仲間の魔女のガスマスクにも指を差す。



折り曲げた人差し指の第一から第二関節が、邪魔をするなとうたうが如く。



「……」


そこでようやく、バンデットは気付いたのだろう。



「さてと——……ラック様、バンデット。バンデット・ラックかラック・バンデットが名前かね」


目の前のが、憎むべきが、


己との一騎打いっきうちち——ぞくを望んでいる事を。



「……珍しいクズだな。魔物に貰った屈強な肉体でも期待してんのか?」


 「だとしたら見当違いもはなはだしいぞ、今に正体を暴いてやるからよ」


空を舞ったまま——ページが独りでに紙擦れ音を奏でたままの聖典が如き本が輝きを放ち始め、吐き出すように本のページの一枚一枚が意志を持った様子でパラパラと飛び交い始める中で、



「そりゃ楽しみだな……その本にも素敵な説教が書いてそうで何よりだよ」



魔人は、せせら嗤い——バンデット・ラックに彼の思考に答えを与えるように悪辣な笑みを溢す。

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