第54話 煙の行方。3/4


「んじゃあ、まぁ待ちきれない奴も居るみたいだし、岩の熱も良い感じだから始めるか」


「岩の板に十分に食用油を塗って……温まってきた所に、まずは猪肉からだな——っと」


野性味あふれる岩の上で行われる文明行為。垂れ流し、四角の面積に満遍まんべんなく広がりゆく油は岩に染み、繁栄はんえいの輝きを放つ。しかしそれでもまだ、息を飲んだように雨音際立つ静かだった世界は、神の采配の如き菜箸さいばしで掴まれた薄切り肉に乗られ不機嫌を口にする。



「「「……‼」」」」


一瞬にして喧騒慌ただしく弾け、争い始めた水と油。その間に挟まれて焼けていく肉が悲鳴を上げるが如く薫りを発し、いろどりを変化させ、周囲を驚かせて。



「よし、こんな感じで両面を焼いて好きな食べ方で食べてくれ。色々とソースを用意したけど、普通に塩を少し振りかけて食うのが無難ぶなんだと思う今日この頃だ」


「俺は、もう少しピザやらの準備をしてから食べ始めるから」



その工程を数枚ほど行い、男はすきを突くように慌ただしく動き始める。


 岩が土台から吸い取り天へと発する周囲数寸しゅういすうすんの遠熱の余韻よいんに調理を任せ、彼は焼けていく肉を最後に飾り付ける様々な方法を用意した。


それは半透明の白い流砂のような塩の小山であったり、先ほど様々な材料を試行錯誤していた液体それぞれであったり。



肉が焼けていく光景から周囲の気を引きつつ、どれがそうであるのか分かり易くテーブルの上で横並びに置き、焼けた肉を置くのであろう小皿も人数分と用意して。




しかし、そんな用意周到の最中——彼は、ある事を失念していたことに気付く。



「おっと、その前に——乾杯でもするか。酒は無いけどレモン果汁入りの冷水ってな」


そそくさと先程まで作業をしていた方向に興が乗ったと早足で歩き、手早く盆に透明な硝子製の水瓶を乗せて戻って来る。その場に居る者たちからすれば怪奇なる料理人イミト・デュラニウスは、その水にも仕掛けをほどこしていて。



されど今回のそれは一目瞭然いちもくりょうぜん。透明な水瓶の中に浮かぶ皮の付いたままのレモンの切り身。薄黄色と白と濃い黄色が透明な水をして染めることも無く、ただ茫然自失に浮かんでいるだけに見えた。



——まるで、只の子供の悪いおふざけのように。



「惜しげもなく……その果物を入れただけで水が美味しくなる?」


 「まぁあぶらっこい物が多いからな。ほんの少し清涼感が出るし、少なくとも大人の味のコーヒーよりは合うとは思うぞ」



懐疑的なセティス・メラ・ディナーナの首を傾げる疑問に、輪をかけて悪童の笑みをイミトが浮かべれば殊更に、それはそう見えるのだ。



「ワタクシサマ、そのコフィーというのは苦手なので御座いますから助かるのですよ……もう二度と飲みたくないのです」


「はは、私も昔は苦手でしたね。いつからだったか平気になってきましたが」


「慣れれば美味しい。落ち着く」



一切の熱も冷気も通さない黒い魔力で創られた幾つものコップにイミトがレモン入りの水を注ぐ中、デュエラの感想から始まる何気ない会話。



肉の焼き音が更に激しさを増し、洞窟内に満面と薫りを充満させていく。


或いは、その薫りに触発される空腹をまぎらわす為の無意識に行った歓談だったのかもしれない。



そして順々に注ぎ終わった水を各々にイミトは手渡し、



「ほらよ。飲み物は全員、そろったな……クレアもこっちに来いよ」


彼は少し離れた場所で静観を決め込む一人の女に手を差し伸べた。

しかし女は首から下が無い食事を必要としない存在。



「——我はここで良いわ。近づかなければならぬ道理も無し」



反吐が出そうになるほどに呆れ果て、不合理な勧誘に息を吐く事は明白で。



それでも——、

「そういうなって。ここは風習に倣ってパリピのノリでやるべきだろ」


誘う男が諦めず、彼女の登壇を周囲が注目して待つのも、また明白。



「訳の分からぬ……ふぅ、時間の無駄だな」


深い溜め息は殊更大きくなるけれど、シュルリと伸びゆく白黒の髪は厄介な面倒事を避けて男の腕にけむりのように絡まり付いて、漆黒の鎧と化すのである。



「ほいじゃ、和平調印式の成功と皆が無事に生き残った事を祝って」



「「「乾杯」」」


「あ、ぇ……えっと、か、カンパイなのですます‼」


こうして人の寄り付かぬ森の中にて孤独で育ったが故に常識な慣わしを知らない純朴な少女の戸惑いや、戦場のみ生きてきた怪物の侮蔑を他所に、宴のかねは鳴り響く。



冷ややかな水で満たされる黒い金属は戦場で怒りを謳うような闇深い色を持つとは思えぬ清涼な音を小さく鳴らし。



「ははっ、そうか。デュエラは乾杯とか、こういう時の言葉や風習とかは知らないんだったな」


「——いいか? 乾杯ってのはな——……」



名も無き日。外は轟々たる嵐、されど白い光を放つ魔光石の散りばめられた洞窟の中にて満天の夜空の如く細やかな歓喜の宴の雰囲気であった。


——。

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