第52話 嵐の予兆、名も無き日。4/4

——。


やがてイミトが辿り着いたその洞窟の入り口、重い冷気が足下にからみつくようにただよい、洞窟内部は時が静止しているかの如き静寂が支配している空気感。



「「……」」


そんな場所へ躊躇ためらいも無く、故郷の地に足を踏み入れるかのように突き進んだイミトは氷の壁を背に鎮座する中から白黒の髪の伸びた兜を一つ見つけ、足を止めた。


そして、その脇の壁にもたれ掛かりつつ腰を落とす。


兜の中に居る者こそが、彼が会いに来た首と胴が別たれる人型騎士の魔物、デュラハンのクレア・デュラニウス、その人である。


かつて体を奪われ、頭部のみをとある場所の洞窟に封印されていた彼女は、イミトと出会った時と同様に眠りについているかの如く静かにその場に佇んでいて。



「初めて会った時も、洞窟だったなクレアさんよ」


そんな黙す彼女に語り掛けながら、あの時とは違う洞窟の天井を見上げ、あの時と同じように小さく嗤うイミト。



「——あの時、お前が俺を洞窟に呼んだ時……なんて言ってたのか思い出せないんだよな。どうもさ」



「ノスタルジーにふけるには、短い付き合いな気もするが……けったくその悪い夢を見たせいでエモーショナルな気分だよ」



未だ体に残る気怠さに首をかしげ、洞窟の入り口から見える空の雲の色合いを確かめる。確かに曇天どんてんが増えてきているような、青の隙間に灰色と白が厚みを増している様子で。



少なくとも、近々と雨が降るのだろう。

そんな彼のうれいに、


「——……我を恨むなら、寝てる間にでも斬ればよい。貴様には、その権利も資格もあろう」


ひさしく聞いて居なかった気さえしたクレアのまぶたを閉じたまま放つ——呆れ果てた声が、洞窟内を木霊こだますることも無くたんと響く。


彼女は、いや——彼女も起きていた。



「はは、そんな事したら俺もお前も死んじまって、神様に慈悲じひを掛けられる事だろうさ」


「胸糞の悪い話よ。いっそ、本当にでも奪いに行くか」


寝起きとは思えないハッキリとした、しかし静寂に溶けるような神妙な雰囲気を帯びる声色に安堵の声で返すイミト。


外に向けていた首を回してクレアへと顔を向けると、そこには魔力で創られている兜をはずして美しい白黒の斑髪まだらがみを殊更に露にしつつ不機嫌にまゆをしかめる女性の顔がある。



「神様の椅子ねぇ……そんな椅子に座って何をするってんだか。管理だの支配されるのは御免ごめんだが、支配するなんてのも御免こうむりたい所だ。支配するのもされるのも同義語だしな」


我儘わがままな事よ。放蕩ほうとうして何の責任を負わず気ままに生きるなど、世の何を手にするよりも難儀な事であろう」



久しい再会もつかに、彼らは今しがたの出来事を語らうように言葉を重ね合い、旧知の仲を洞窟内に響かせて。



「矛盾してこその人間ってな。頭では無理と解かっていても、心がソレを求めるんでね」



「野心の欠片も垣間見かいまみせんクセに、強欲がにじみ出ておる。はなはだ貴様らしいわ」


「……デュエラには、次の行き先を伝えたのか? 寝た後の事を記憶できる機能は脳みそに実装されてなくてな」



「——ふむ。伝えたと思うが、意識が途絶える前後の記憶が我も曖昧だ」



それでも互いに現在の状況と状態を探り合うが如く、密やかに遠回しに様子を伺い合う。


「そうか。寝惚ねぼけ眼には、何の文句も無いようには見えたには見えたけど」


 「ふん、どちらにせよデュエラの意思など関係あるまいよ。が貴様の考えておる最良の道であるのは揺るがんのだろうが」



洞窟の奧の凍結が生む外との温度差で、入り口のふちからしずくが落ちる。

かろうじて斜陽の差す暗がりの中で、彼らが交わすそのような会話。


「最良だと分かってても最善を選べるのが愚かな人間の特権でな。正直、これからの戦い……ただでさえ少ない俺達の手駒を失うのは辛いからな」



陰と陽の狭間で吐露する心内こころうちに抱えている葛藤。

彼らしく軽口で溢すではあるが、裏で滲む真剣みは彼女に対する信頼の証であるのだろう。



「ふむ。確かに、貴様と会ってからここまでで、我とマトモに戦える実力を持つのは奴だけであるからな。性格も含め、駒として見れば失うのを惜しむ気持ちも分からんではない」


「——ジャダの滝に向かえば、奴が我らとは違う道に進むと貴様は読んでおるのだな」



「……いや、逆かな。俺達の代わりに死んじまうんじゃねぇかってさ」

「——……」


この場に居ない他の誰にもきっと明かせない憂慮ゆうりょ。その愚かさをいさめるが如く後頭部を軽く背後の壁に打ち付けながらも、語られたイミトの言葉にクレアは言葉を詰まらせる。



——何故ならば彼はと述べて、彼女はを思い浮かべるのだから。



「アイツと居ると、罪悪感が込み上げてしかたねぇ……ロクでも無い俺達の旅に巻き込んで、独りぼっちだったアイツの依存心にけこんでるみたいでよ」


「……アイツが俺達に向けてくる信頼も、一人に戻りたくないって恐怖に駆られてのもんだろ? きっとさ、アイツは俺達と違って……もっとこう、別の幸せやら穏やかな人生を送れるはずだって考えちまう」


何処か寂しげに、嵐を控える前ので交わされているような終末感の溢れ出る一幕。



「くだらぬ博愛を吐きおる。躊躇ためらっておるのは、その所為か」


そんな泣き事のような一幕に、目を逸らし反吐を吐くように一瞥いちべつをくれて瞼を閉じたクレア。



あたかも——己の吐く反吐すらも見えないようにするようであった。


「ふん。そんなものは知らぬと突き進めばよかろう。いちいちと些末な事で迷いおって」


「……性分でな。我ながら面倒くさいとは思うよ」


しかし彼女は一転、早々に心を整えた様子で瞼を再び開き、イミトを見下すが如く言葉を放ってイミトにささやかな自嘲の微笑みを浮かべさせるのである。



「——……貴様が奴について罪悪感とやらを本当に感じておるのなら、貴様が嫌いな責任を負えば良いだけの話だ」


そして一考の後、改めて話題に幕を下ろすべく面倒げに瞼を閉じて美しい白黒の髪を波立たせた。



「時に殺されるまで奴を守り通し、貴様が傲慢身勝手に考え決めた御大層な幸せとやらを与えてやればよい。それが、あの日……ジャダの滝で貴様が犯した罪であり、課せられた報いだ。甘んじて受けよ、馬鹿者が」



こうして——吐き捨てるように、言い聞かせるように、向き合わせるように。


彼女は、彼の罪をさばく。



「——……かっ、ごうの深い話だ。重罪過ぎて今夜から枕が鼻水だらけになりそうだよ、クレア裁判長」


 「けどまぁ……お前だって、って事を忘れるなよ」



皮肉を漏らせるほどに清々しく、イミト・デュラニウスとクレア・デュラニウスはお互いの罪を裁き合う。或いは、償うべき罪に対して何を為すべきかを突きつけ合う。



「たわけた事を……それで、嵐が来るのであろう。そのような気配を感じるわ」


 「さぁな、俺にはそんな危機察知能力は備わってないさ。どのみち、まだ体も本調子じゃないし飯でも食いながら、今日明日はノンビリしたい所だ」


白々しくも、暗に示し合う覚悟の断崖だんがい。物語を閉じて棚へと納める選択のしるべ



「ふん。寝ても覚めても、貴様は料理の事ばかり言いよる」


 「そりゃお前、俺の唯一の生きる理由だったからな。染みついてんのさ」



魂で繋がる二人のデュラハンは、己と度し難い世界をわらっていた。


「——それで? デュラハンにとって初めての睡眠で、お前はどんな夢を見たんだ?」


「……くだらぬ話を。が夢だというのなら胸糞の悪い夢ではあったが、貴様とは違う夢なのであろうさ」



「そうか。そりゃ何よりだ」


 「いつか——同じ夢を見られると良いな、とは思うよ」



「……」


恐らく、きっと——違う夢を見ているのだろうと。

魂が繋がりながらも、踏み入らない境界線——



「さて朝飯だ。いや、もう夕方っぽいから夜飯の支度かね」


「道具も無いのに料理もクソもあるまいて」


洞窟での割合を徐々に変えゆく斜陽の陰陽。けれど物理表現は比喩でしかなく——イミトは立ち上がり、服の腰に付いた砂利を何の気なしに払いける。



「ははは、道具が無けりゃ美味い飯を作れねぇなら——そりゃ、俺の腕が悪いって話だ」


「道具がないなら、創れば良いだけだしな」


そう言って再び陰陽の混濁した魔人は、右手に禍々しい黒い渦を魔法の如くともす。

それもまるで——これから嵐と共に来る暗雲の如き色をしていた。



彼らもまた、嵐の予兆をくゆらせる者たち。


その名も無き日に、死出の旅路が再び——始まる。

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