第52話 嵐の予兆、名も無き日。3/4


「ゴハン食べられそう? 朝に作った野菜スープで良いなら温め直すけど」


 「……鍋は無事なのか。いや、それはセティスが初めから持ってた奴だな」


それから森深い箇所の手前の開けた場所に野営のテントが二つ立ち並び、ふたの乗せられた小鍋が静かに佇んでいる様を横目に、会話は続く。



「うん。イミトが使ってた道具は前の戦いで、ほぼ全滅。熟成してた肉や他の食材を守ってた箱も魔力が消えて駄目になりそうだったけど、ユカリ?さんが近くの洞窟の中で氷の結界で保存してくれてる」



「クレア様もそこに居る。もしかしたら、もう起きているかも」


ペラりとめくられる書物の一枚の隙を見て、セティスの目線が話に出てきた洞窟のあるのだろう方角に向く。するとイミトの視線も自然とその方向に向いて。



「……温度管理が適当になって無きゃ良いが、氷漬けの分、まだマシか」


不思議と感じ取れる気配に準備運動を終えたイミトは腰に左手を当てつつ右手で不精ぶしょうに生えたひげの具合を再び気にしながら最後に首の骨を鳴らした。



その時——首の骨を鳴らす音を掻き消すように、二人の視線が向いている反対方向の森の茂みから草葉を掻き分ける音がわずかにはじけて。


「——セティス殿、少し厄介な事態が。ん、起きたのかイミト殿。良かった、心配していたぞ」


茂みからの音の出所は彼女、甲冑鎧かっちゅうよろいを纏う白髪で額に円錐の角を生やす蒼い瞳の女騎士。先の話にも少し名が出ていたカトレア・バーニディッシュである。


だが——、イミトは彼の目覚めに驚く彼女とは対照的に、彼女の登場に対する興味は薄く、



「ああ、ご機嫌がうるわしゅうね、カトレアさん。挨拶は良いさ、目覚ましも間に合ってるし——それより、何かあったって感じなのが気になる」


挨拶も早々に、片手を挙げたイミトはてのひらに黒い渦をともし、慣れた手つきで剃刀かみそりのような形状の物体を創り出してサッサと髭剃ひげそりを始めた。


「「……」」


そんな彼の何事もないような無神経さに、それを見ていた二人は黙し、何を思ったのだろうか。



「おっと、そうだった。どうやら嵐が森に近付いているようだ、雲行きが怪しい。イミト殿も起きたのなら本格的に野営地を向こうの洞窟の中に移した方が良いだろう」


しかし、それを考える間もなく女騎士カトレアは野営地に急いで戻ってきた理由を思い出して我に返り、事の経緯の説明と今後の方針の提言を端的に済ませる。



「嵐か……寝起きで大層にクソッタレな響きなこった」


 「——イミトは、洞窟の方で眠っているクレア様の様子を見てきて。魂が繋がってるイミトにしか分からない事もあるかもしれない」


そよぐ風に散るイミトの剃り落とされるひげ、風雲急な事態を予見するカトレアに対し、未だ呑気のんき髭剃ひげそりに注力しながらイミトは己が天命に呆れ果てた様子の悪態を漏らし、セティスは書物のページを閉じた。



確かに、話を聞けば遠くよりきたる風に対して、森が嵐の備えをしているような喧騒が周囲にあるような気がしてくる。



「そうだな——洞窟はアッチっと。なるほど……馬車の方は車輪と馬が消えて動かせないみたいだな。とりあえず聞いとくけど、車輪が消えた時に怪我とかしなかったのか?」


故に準備運動をしたとはいえ寝起き早々の気怠さが残る体を言い訳に異を唱えることも無くうなずき、その場で恨み事を垂れるように屈伸くっしんを行い、自身が向かうべき方向に体の向きを変えたイミトは、その最中に野営地の近くに車輪の存在しない半壊した漆黒の馬車を見つけ、起きてからここまで己の事ばかりだった事をかえりみる。



しかし、

「見て分かってるなら聞く必要は無い」


そんな気遣いは要らないとピシャリと言い放つセティスの一言に、頼りになるなぁと嫌味っぽい小さな笑いを溢すイミト。



「ん、了解。ふぅ……それじゃあ、眠り姫のお迎えにでも行きますか」


髭剃りを終えて、使っていた剃刀を放り捨てて剃刀が現れた時とは逆に黒い煙へと還元し、足を一歩踏み出す。



「変わらずな言い回しだな。貴殿が元気そうで何よりだ」


その背中に安堵の息と共にカトレアが言葉を投げかければ——



「はっ、ユカリに寝首を掻かれて二度と目を覚まさなかった未来じゃなくて俺も何よりだ」


返って来る、彼らしい皮肉めいた口調。

その場に居る二人に普段通りの日常が、また始まるのだと思わせる。



「——……流石、お見通しだな。実は何度か争ってはいた……今は私の中でねて寝ている様子だが」


と言葉が通じてたらカトレアさんも誘いに乗ってたかもな」



或いは、数日前に終わった忙しない戦いの日々の再来を予感させて。


「ふっ、そうかもしれない。しかし貴殿らは私の恩人だ、そう易々とは裏切りはしないさ」



「どうだかな。お国なんて崇高な物の為に生きてりゃ、恩義も便意と一緒に水に流せるのが人間ってもんさ」



悪辣あくらつな笑みを浮かべて歩き出した男の旅が再び始まるのだろう。


そして、この何処から来たのかも分からぬ男が世にもたらす新たな波乱に巻き込まれていくのだろう、と。



「——こちらは、移動の準備を進めておく。出来ればクレア殿には、ユカリの件は内密を頼みたい」


「ああ。万が一、クレアにバレても氷魔法が役に立つ内はユカリの安全は保障しとくから安心しといてくれ」



「それは安心とは程遠い物ではないだろうか……まったく」



向かう先にあるという洞窟には、もう一つの凶兆。

残された二人は、徒労の溜息に似た安堵を息に乗せ、今一度と世に解き放つ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る