第52話 嵐の予兆、名も無き日。2/4


同時刻、彼らのひさしく止まっていた物語も動き出していた。


「本当に申し訳なかったのですますイミト様‼ ワタクシサマの不甲斐ふがいなさの所為せいなので御座いますよ‼」


その表情を黒い布で覆い隠すメデューサ族の少女、デュエラ・マール・メデュニカは開幕一番に盛大にこうべを垂れた。


彼女のつむじが見つめる先には寝違えた様子で首をかたむける男が一人。



「——ふぁ……ああ、うん。悪い、寝起きで頭に何も言葉が入って来ないんだわ」


気怠けだるさを極めた活力の一切ない寝惚ねぼけ眼を指でこすりつつ欠伸を漏らすイミトと、様付けで呼ばれた男はデュエラの唐突な謝罪を受け流し、近場にあった腰を下ろすには丁度良さそうな岩を見つけて足下の森深い茂みを朧気に踏みにじる。



どうやら、ここは川が近いのだろう。小粒の岩がこけむして、耳を澄ませば機能停止に近い脳内でも清流のせせらぎを認識させてくる。



「ワタクシサマが、ちゃんと片づけをしていればイミト様の大事にしていた調理道具が無くなることも無かったのですが……‼」


「いや……うん。取り敢えず、飲み水を汲んできてくれるか。あー、声がガラガラなんだわ」


尚も寝起き状態の脳に届くデュエラの謝罪を他所よそに、己が居る現在地点が見覚えのない森である事を理解し、次にイミトは自身の体の状態に目を向けた。気怠く首の骨を鳴らし、蘇ってくる記憶の中の体の状態との差異を確認し始めた中で、真っ先に違和感を覚えた喉の渇望に気付く。



「は、はいなのです‼ 直ぐに川から汲んで来るので御座います、です‼」


しかし渇望に対して動かぬ重き体。故に不調を極めるイミトが漏らした些細な願い事に対し、罪悪感を抱えるデュエラは誠心誠意と応え、うなずいて。



「——……いや、そこの飲み水で、煮沸も——まぁ、いいや……ふぅ……」


そそっかしく傍らに水の入った蛇口付きのワイン樽があるにも関わらず、森の清流のせせらぎが聞こえる方向へ勢いよく何も持たずに走り去っていく。


残されたイミトは暴走したデュエラを止める気力も無く、早々に諦めて森の木々の隙間から垣間見える空を眺めるべく、重い体を腰を掛けている岩へと更に深々とあずけて倒れ込む。



すると、再び襲い来る睡魔すいまとの争いの最中——


「はい、水。デュエラは、アナタが寝てる間も、ずっと心配して責任を感じてた。ちゃんと話を聞いて、応えてあげるべき」


イミトの空白の脳内に新たな登場人物が認識される。倒れた肢体の眼前に差し出された陶器の器の中で波打つ透明の雫の集合。デュエラと比べれば、まさに風に吹かれぬ湖の水面が如き冷ややかで透き通った声色。



「——ああ。ミュールズから出て、どのくらい経った。体感的には二日くらい寝てた感覚なんだが」


共に旅をしてきた道中の仲間との睡眠時間後の再会に、大した感動もなく水の入った陶器を受け取り、一啜ひとすすりで喉をうるおしつつ言葉を返すイミト。己が寝ていた時間を問う彼は、森の只中で眠った記憶が無く、知らずに辿り着いた現在地もかんがみて、不精ぶしょうあごに生えたひげの状態も考慮に入れて長い時間を寝て過ごしてきた事は既に悟っているのである。



すると、それをおもんばかった上で彼女は答えた。


「——五日目。今はを経由して人目ひとめを避けながら別の街を目指してたけど、に魔力供給が途絶えて馬車が動かなくなったから近くの森で野営をしている所」


「……魔力が切れた? クレアはどうしたんだセティス」



とても神妙にイミトが眠りについてから起きた出来事を端的に説明し、セティスと呼ばれた薄青い髪の少女は説明に対して興味深げに重い腰を上げたイミトを尻目に、自身が先程まで座っていたであろう焚火跡の近くの椅子へと向かう。



そして、イミトが見つめた小さな背中が椅子の背もたれに降りる頃合い、彼女は近くに置いていた書物を開きながら言葉を続けて。



「——貴方が寝て少し経ったくらいに同じように眠りについたみたいに動かなくなった。詳しく感知した魔力の状態に異変は無いから無事だとは思うけど、かぶとが外せなくて様子は分からない」


森のさざめきに髪を僅かに揺らし、風にめくれたページを整えて文字をつづる。意味深くありながら、放つ言葉とは関係の無いだろう世の動きがイミトの目に付いた。


しかしながら、今は本題について考えなければならないのである。


「……ミュールズでの戦いで離れて魔力を酷使してた副作用か何かか。五日ってのは安くないな……いや、安い方か」


自身にも降りかかった五日間の睡眠という、人としての異常を悟らずにはいられない事態に際し、冷えた水を飲んだ事で徐々にめてくる脳内で思考回路が、ようやくとアイドリングを始めた様子。


まずイミトは重い体を岩から起こし、首を振りつつ傍らに水の飲み終えた陶器を置く。


「今はさんが、周囲の警戒と食料やまきを集めている。今日も一日、ここで野営してイミトの体の様子やクレア様の様子を見るべき」



「そうだな……まだ頭が回んねー、体の調子も最悪だ」



そして尚も書物にうつつを抜かしながら現状を説明するセティスを尻目に、岩から立ち上がって柔軟運動の様相でり固まっている腕や体をひねり伸ばし、体の感覚一つ一つを確かめる動作を始めたイミトである。

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