第48話 平和の柱。4/4


そのような心理戦の只中ただなか、いや或いは神との共闘。


「ふふっ——そのぶりの煮付けも美味しいわよ」


 「これでも和食の修行してたんだ、みりゃ分かるさ」



二人は妖しく笑って、それぞれの飲み物を飲む動作をはかどらせる。平穏を装いつつ、滑稽な道化に化けて作り上げるサーカスの調しらべ。開演間近の演目に、いろどえる下準備。


「因みに、ギリギリでぶりって所だな。こいつぁ出世魚だから」


 「——魚なら私の世界の魚も負けていないわよ。アナタがどう料理をするか楽しみな所だわ」


はしまみ上げる照り焼きぶりの白身。美しく仕立て上げられた静やかな熱量、美食の誘惑を感じさせて。その味をたしなみながら、ミリスが放つ愛情が生む負けん気をイミトは笑う。


空魚くうぎょ砂魚さぎょ……海にも知らん魚が居るんだろうな。期待に胸がおどってるよ」


そしてその自身の性分をもわらいながらの悪辣な表情に、燦爛さんらんきらめく未知なる世界に対する好奇心。


他人の見聞けんぶんにて垣間見た自分が知らぬの食材に興味をそそられ、想像を巡らせる。


「そういや、普通に神様のアンタが魚やら肉やら食べてるけど、人間を食う神様とかも居たりするのか?」


しかし、ふと思い至った食に関連する素朴な疑問。鰤の照り焼きを肴に酒を舐めるミリスを始めとした神々の食生活についての話。



するとミリスは少し考えた。


或いは、答えるべきか躊躇ためらったのかもしれない。


「……普通に好んで食べる神も居るわね。あ、私は食べないわよ? 安心して」


 「ああ……いや、別に摂理せつりとして文句もねぇよ。俺はな」


優しくさとすような表情で、素知らぬ顔の表情で、うつむき気味に水を《みず》啜るイミトへ小首を傾げて僅かばかり、苦い顔で冗談めいて答えを放つ。


その答え方に、またもイミトは鼻で笑って確かに食事中にする話では無かったと自重した。


けれど、何故かミリスはその話題に真摯しんしに向き合い続けて。


「菜食主義の神も居るし、そもそも何も食べない神も居ます」


 「魔法を許さない神や異世界転生を断固として嫌う神、世界に干渉する神や不干渉な神、生き物の造形や地形……創る世界は千差万別。ホントに神それぞれね、人間として変わらないと言ったら怒る神も居るでしょうけれど」



否、或いはそれも遠回しの。いつの間にかの話からの話に移り変わり、



「それに付き合わされる人間の……生き物のあわれたるや、だな」


イミトの他人事の如き皮肉を漏れ出させて。

面倒な、度し難い世の道理に——吐いた息は重く、奪われた気力は大きい。



「ふふ、愛がある事には変わりは無いわよ。愛の形が、それぞれに違うだけ。神のみなが、自分たちの創る世界こそが一番だとほこりを持っている。付き合ってあげて欲しいものね」


「だったら加護かごをくれ、と言いたい所だがな。アンタの世界とやらが産んでくれた良い出会いがあった……今は、そこそこな力もある……楽して手に入れた力だから負い目はあるけどな」


しかし酒と水と己に酔ったかのようにまぶたを閉じた静かな笑みが互いの表情に浮かび、仕方なしと大人びて寛容な酒席しゅせきに穏やかな時が流れゆく。



桜吹雪がまた新たに散り咲いて、命の芽吹きも巡りゆく。



その時——、ミリスはイミトに語る。

小さなさかずき御膳ごぜんに戻し、着物のそでをフユリとおどらせ整えて、座り直した真剣さで彼の顔を真っ直ぐに見つめて。



「確かに……アナタは他人よりめぐまれた力を持った。けれど運も多分にあるけれど、それは与えられたものでは無く……アナタの選択と行動、巡り合わせが勝ち取った力。負い目を感じることはありませんよ、罪人つみびとさん」



 「これからも、懸命に生きなさい。その小さな一歩で、小さな双眸そうぼうで私の世界を見渡みわたして選び取って行きなさい。楽しんで生きなさいな」




「アナタの旅路が幸多き人生であらん事を」


えんもたけなわ、贈られる神の祝詞のりと。舞い散る桜は荘厳そうごん吹雪ふぶき——彼女の祈りを華やかにいろどる。


或いはそれもまた、神の力がせる御業みわざか。



「……神らしい話だけど、幸を与えてくれる気配が無いのが何ともな」


「ふふ、私は傍観ぼうかんが大好きな神様ですもの」


 しかしイミトの嫌味によって一転、肩の力を抜き戻し、親しみを込めた皮肉笑い。

ミリスは再び、天使アルキラルがさかずきに注いでいた酒を手に取り、そでが御膳の上のさかなに汚れぬように抑えつつ片手を高くかかげる。



「乾杯。ルーゼンビフォアにも、……掛けてやれよ」


それに吊られるようにイミトも自らの手で水瓶みずがめから御代おかわりしたばかりのコップを掲げて付き合って、水の中の氷を鳴らす。



「優しいのね。彼女の討伐とうばつリストのがアナタ達なのに。それで——……その身をして和平調印式を守ったアナタは次にどこに向かうのかしら?」



ひどい話さ。オードブルが終わったら、次はスープのはずなんだがな」


そして話し始めたのは、男の次なる旅路について。



「悩ましい事に、どうにもが完成しちまいそうなんだよ。火が通り過ぎるとかたくなっちまう」


……デュエラちゃんの因縁の土地ね」


 「お誘い頂いちまったし、他の連れの様子を見てから行き先は考えるよ」


これまでの意趣返いしゅがえしに冗談をり交ぜながら次の目的地候補をあんしめすイミト。



だが——、それを候補にする事は許されざる事だったのかもしれない。


「……ふふ。そうね、でも……そうも行かないのよね」

「あ?」


イミトのを意味深く笑うミリス。


今までの裏を読ませようと表面の言動が有耶無耶うやむやに霧がかり揺蕩たゆたっていたミリスとは明らかに違う——ハッキリとした目的がある事を予感させる言い回し。


イミトは思わず眉をしかめる。



そして彼女は語った。語れぬ思惑や預言を匂わす作業を終えて——語れることわりの範囲内を、酒を片手にゴキゲンに軽快に、語るのである。



「罪人さんが考えてる通りの事、起こっちゃっているのよねー」


 「ああ……なるほど、お涙がこぼれそうな話だな」


そこでイミトも大まかに察した。

桜吹雪が舞う中で、イミト自身も想定していた最悪の事態。


桜の雨の隙間すきまを掻い潜り、一匹のはちが神の御許みもとに羽をふるわせ現れて。

ミリスは訪れたはちを人差し指に泊める——そして暫くそのはちを見つめ、時は来たかと浮かべるは小さな微笑み。



 「うん。だから——神の厨房から調味料を窃盗した罰として、バジリスクの討伐。お願いね」


「なんとか仲間を説得して頂戴。出来なかったら、私から天罰を与える事にするから、そのつもりで」




「因みに、ここでの記憶はクレアちゃんには見えないようにしとくから安心して」


「そりゃ、有難い事だが——こっちの——」



「じゃあねー」


——時に神は、身勝手で気まぐれである。乾杯の矢先、イミトに交渉の余地も与えずぬ酒を持たぬ右手を掲げ、悪びれる様子もなく親指と中指の第一関節の腹をピタリと合わせ——



「あ、ちょっとま——て……って——……」


指を盛大に打ち鳴らす。無意識に胡坐あぐらから立ち上がり、その指鳴らしを止めようとしたイミトではあったが、気が付くと懐かしきドブ臭い地下水道の真ん中で独り——滑稽こっけいを追い掛けていたような不格好で立ち尽くしていて。



ああ、懐かしき——地下水道。


「くそったれ……ロクでもねぇなホントによ。せめて、この下水道の外まで送れっての」


強制転移された状況を即座に認識したイミト。薄暗闇のドブ臭さに現実を思い返し、ドッと疲労が込み上げて彼は悪態を吐きながら背中から大の字に倒れ込む。



「……——」


遠く目の前にあるのは、見知らぬ天井——激しい爆発や衝撃に耐えてきた薄暗いレンガのおり


そして——地鳴りのように地面を伝い、大勢の足音が鎧を鳴らしながら迫ってくる気配がした。



「イミト殿‼ 皆、イミト殿が居られたぞ‼」


 「……か。外面そとづら、面倒くさいな」


地下水道の中央部の空洞へと繋がる通路に、ようやくミュールズの騎士たちは辿り着き、倒れ込むイミトを見つける。恐らくは、忌々いまいましいのシナリオ通りなのだろうと。



更に、イミトは勘づいた。


パラりとから独りでに転がった瓦礫の小石の音にささやかれて。



「——ちっ……道理で。それで——に戻したのか。


嵐の前の静けさは——ミュールズの騎士たちの足音に掻き消され、それは突如と訪れる。



「マズイ‼ 天井が崩れそうだ、イミト殿、早くこちらに——‼」


——崩壊ほうかいただでさえ古びた歴史ある遺物の整備されて居なかった様子の地下水道のレンガ造り。


そこに今日一日で、爆発、衝撃、湿度に高熱と、如何ほどのダメージがあった事だろうか。



満を持して訪れた最悪の試練、


地上の重みに耐えきれなくなって次々に自壊し、瓦礫を吐き出し始めた天井に、未だ大の字のままの姿勢でイミトは息を吐く。



「人の為に何ぞ働くもんじゃねぇな【千年負債サウザンドデビット……】」




  「【倒産忌避ベンクラプシィ・レペレント‼】」


嘆くようにわらい、微笑む。



 「——あ、あ……」



「折角のクソみたいな平和の日に……下水の臭いを外に出しちゃ台無しだもん、な」



溢れ出るけがれた魔力は、ミュールズの騎士サムウェルが腰を抜かすのを他所よそに地下水道を埋め尽くし、数多あまたとして——皮肉にも、僅かな時を支えゆく。

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