第43話 開戦。1/6


 そんな不穏な副題を他所に、城塞じょうさい都市ミュールズに降り注ぐ朝の陽ざしは、当たり前と思える程に穏やかに天高くそびえる中央議会城の程高いベランダにも降り立って。


 出入り口やベランダの際に立つ騎士数名に見守られる中で、メイドの二人が朝食の為のテーブルを整える傍ら、イミトとマリルティアンジュはささやかな会話を交わしていた。



「ふふ、料理長が褒めていらっしゃいましたね。流石のお手並みで、仕事が丁寧で手際も良いと。やといたそうな顔をしていました」


「とんでもない。私などは、まだまだ未熟で。それにしても、あの料理長……昔、私に料理を教えてくれた師に少し似ていましたよ」


 出来上がったジャガイモのガレットやホウレン草のバターソテーに加え、城の職人が焼いたパンやスープが次々にテーブルに運ばれていく最中さなか、彼らは自然に誘われるままに席に着き、朝食のひと時を開始していくのである。



「……いっそ、王家に仕えてみては如何いかがですが? 望まれるなら私の方から口を利きますよ?」


 しかしながら朝食の席に着き、マリルティアンジュが躊躇ためらいつつも始めた会話は、イミトにとって思いがけない提案であった。


 旅の最中さいちゅうに出会い、紆余曲折うよきょくせつあって自身の未だ衆目には隠している素性を知りながら、マリルティアンジュは共に行こうとのたまう。



 或いは世辞か、夢見がちな箱入り娘の気の迷いか。

 彼は、そう考える。


 故にわらったのだろう。


「——それも、楽しいかも知れませんね。旅の事情と違い、食材に悩むことも無いでしょうし」


 とても穏やかに、恋に恋する乙女をたしなめる大人びた紳士の如く。至極つまらない夢の話を茶化すように、彼は実現が不可能な希望に敢えて話を合わせ、受け流す構え。



「以前、セティス様とお話した事があります。イミト様は、料理をしている時が一番楽しそうだと」


 「……」


 けれど、そんな事はマリルティアンジュ姫にでさえお見通しであったに違いなく。



「貴方が、いつまでも料理を楽しめるような世の中になれば良いと」


 彼女は真剣に、されど何処ぞの女神像が如く慈愛じあいに満ちた表情で微笑み、イミトに想いを伝えゆく。その清濁も覚悟したマリルティアンジュの様子に——なるほどと、そうイミトは考えを改め直す。


「——……そんな世の中を、姫様が作ってくれるのを期待しておきますよ」



 その上でハッキリと、しかして暗にと、矛盾にまみれた言い回しで当たり障りなく拒絶を告げるイミト。


 瞼を静かに閉じ、小さく音が出ぬように鼻で笑い、彼は彼の絶望を口にする。


「世の中の本当の色を知っていますか? 姫様」


 「……色?」


 やがて至りて唐突に述べた問いは、マリルティアンジュに首を傾げさせ、朝の陽光を斜陽へと誘う。白いベランダに映える赤い花。白いテーブルクロスをまとう黒いテーブル、並べられた色彩の溢れる食器や料理に銀のナイフとフォークが輝いて。



「ええ。今こうして、太陽が世界を照らし色鮮やかにいろどっていますが、陽が沈めば世界は本来、黒に染まっている」


 中央議会城のベランダから見渡す城塞都市ミュールズの広大な街並みは、美しく朝の喧騒とすずめのような群生生物の羽ばたきにおどり、実に美しく多様な色彩を各々の双眸そうぼうに映し出す。



「しかし、それを嫌い、あざやかさに憑りつかれ、太陽を常に真上に輝かせると世界がどうなるか。光を浴びせ続けられた世界はかわき、全てが白へと変わり果てる」


 暗雲が朝の日差しをさえぎって、陰になる世もまた美しかろう。

 様々な命や自然の息遣いに、外を眺めたイミトは笑み、まぶたを閉じて視界を黒に染めていく。


「夜の黒があり、朝のあかつきの色があり、昼の白光はくこうがあり、夕刻のこんがあるからこそ、世界はいろどりを保てている」


 「……」


 彼は何を言いたいのだろうか。何処か優しげで寂しげな男が再び瞼を開く時——その瞳の色が何色かをマリルティアンジュは考える。


「マリルティアンジュ姫、アナタは太陽のような人だ。だからこそ照らす事ばかり考えず、常に考えて動き続けるべきだと私は思います」



 そして——、それを彼女は、水底に沈む黒真珠くろしんじゅのようだと思った。


「決して、光だけでは作物が育たぬ事だけは忘れないで欲しい」


 「陰の中でこそ、育つ命もありましょう」


 とても深く哀しみの紺碧こんぺきを帯びる黒い粒。己を愚者と知る賢人の如き深いは、マリルティアンジュが心を吸い寄せられやしないかと息を飲んだほどに、明鏡止水に澄みきった黒。


 まさに己の愚かさを映し出す夜窓のかがみのようであるのだと。

 マリルティアンジュは、そう——思ったのである。



 「——……胸に留めておきます。必ず」


 慟哭どうこくする心の臓を抑える仕草を隠すが如く、彼女は言葉を沿わせ別の意味合いへと誘導する。


 そして話を変えて、これ以上の深淵をのぞく事を無意識に忌避きひしたのかもしれない。



「今の御話……クジャリアース王子にも聞いて頂きたかった」


 「……体調を崩されているのでは仕方ありません。王子も長旅で疲れているのでしょうから」



 朝食のテーブルに席は二つ。事前に取り付けていたアルバラン国の王子との約束は反故ほごにされ、イミトとマリルティアンジュはメイドや騎士たちに囲まれる中で二人きりの朝食を取る事になってしまっていたのであった。

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