第40話 春の下、虫二匹。4/5


 ——ゆがんだ悪を幾度いくども目にし、けがされきった怪物が目の前にいる。


 悪にさらされ、悪と向き合い、悪にくっし、悪に染まり、

 ゆえに悪とは己であると知る男、イミト・デュラニウス。



 純粋な白と黒の共存が、セティスの眼前にまぎれもなく存在している。


「でも外交上、ツアレスト側が警備がし辛いと言ってもクジャリアース王子にも護衛や側近が居る。その人たちの目を盗んで変身するのは不可能じゃ」



 裏表、正邪の混在、歪み。それらとは違う灰色では無い——白と黒を明白に握り持つ中立。どちらの側にも立たず、ただそこに居るだけの傍観者。



「そんなもん、パニックホラーみたいに全員を順番に捕まえて行けばいいだけだろ。例えば、浴室で体を洗ってる隙に排水口から忍び込んで初めの一人を捕まえれば時間の問題だ」



「……全員に一度に変身するのは無理」



「そりゃ先入観だな。死体を操る能力があって、変身能力を同時に——、そして他人に使えないと誰かがお前に教えたか? 呪われた時の事を思い出せよ、お前だって顔が変えられてただろ」



 ただ善もなく、悪もなく、物語の道筋を淡々と予想して語る男は、それゆえに偏見を持たず、願望を持たず、未来を辟易へきえきと予知していくのである。



「つまりは変身の対象を監禁。あらかじめ用意してた死体に分身スライムを張り付けて顔を変える。その死体人形を操り、和平調印式を成功させたフリをする、アルバランに帰って本格的に暗躍を開始して——それが、最悪で最善だ」



 ——或いは、そうなのかもしれない。



「……狂ってる。じゃあ今回の和平調印は成功しても失敗しても大した問題じゃないという事」


 ——狂っている。それは決して、途方もない陰謀いんぼうくわだてているレザリクスをたたえる賞賛では無かったのだろう。


 瞼を閉じて見つめてしまった片鱗へんりんを心に刻むセティスは、胃のに理解がストンと落ちた声色で最後の疑問調。



「そうなるな。だから俺達の戦いは、もう和平調印式より先に進んでるって話だ」


 「……分かった。でもイミトの予想通りだとして監禁場所を特定するのは難しい。ミュールズは広すぎるし、そもそも街の外に監禁されてる可能性もある」


 ——納得。そうしてイミトの予測の根底に納得し、吐いた溜息。そしてそれらを踏まえて飲み込んだ上で、彼女は先にイミトが放っていた可能か否かの問いに理由を述べて否定で答える。



 きっと、これも予測の範疇はんちゅうなのだろうとは——思いながら。


「いや……街の中に居るだろう。それも中央議会城の周辺の何処かだ」


「クレアに聞いた話じゃ、空間転移や瞬間移動は移動人数や距離に応じて相当の魔力を消費するらしいし、クジャリアース王子を含めて側近数名を移動するのは骨だろうからな」



「レザリクスたちと違って、ルーゼンビフォアの本命は俺やクレアの命だ。クレアとの戦いにそなえて、そこまでの消費はしないだろうさ」


 案の定と言えば聞こえは良いが、もはや話し合いでは無い作戦立案に彼女の意見は求められていない様子で。


 あらかじめ用意されていたかの如く、否定意見が潰される一方的な思想虐殺しそうぎゃくさつの様相。


「探すべき場所は、使用人も住んで居ない没落貴族の廃屋はいおく……地下の用水路。リオネル聖教の教会って可能性もあるが、リオネル聖教が疑われるリスクもあるから避けるかもしれない」


「ぶっちゃけ、セティスの魔力感知能力だけが頼りだ。俺が王子に化けてる奴の変装をあばいて騒ぎになったら、クジャリアース本人の身が危なくなる。時間との勝負だからな」


「別に王子自体に何の思い入れは無いけどよ、助けた方が、利点があるからな」


 「……」



 頼りにしていると語るその口で、最初から当てにはしていない口振り。

 少なからず、善の無い心地いい程の現実主義。



 そして——、それを非難する気もおこらぬ自分に、セティス・メラ・ディナーナは己の悪を改めて悟る。


 ——あばかれる。そこら偽善は、薄ら寒い博愛は、眼前の巨悪に踏みにじられる。


 彼女は自分をないがしろにされる怒りよりも遥かに恐れていた。



「出来ないなら、別の策を考えるけど……どうだ?」


 目の前の男に、自分の中の良心がズタズタに引き裂かれていく事を何より恐れたのである。



 故に黙し——、

 故に唐突に部屋の中に響き渡ったノック音に驚き、安堵あんどした。



 コン、コン、

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