第40話 春の下、虫二匹。3/5


 意図せずに落ちた一滴ひとしずくが、赤い絨毯に染み渡る。寝巻にと用意されていた白いネグリジェが、魔法石の光源に照らされ輝いているようだった。


 高級なタオル布で薄水色の髪を拭き、やがてセティス・メラ・ディナーナは自分に見向きもせずに、机上で黒い駒を動かす一人遊びに興じている白黒髪の男に目線を移す。


「シャワーのノズルの形が気に入らなかった。もう少し、お湯の勢いも欲しかった所」


「この城の魔法構築した奴は、その辺を分かってない。微妙に水道が詰まってる感じがするし、整備が怠慢たいまん


 自身が清浄を極めた風呂上りという蠱惑こわく的な状態という事を示唆しさしながら、彼女は白黒髪の男のかたわら——、男が真剣な顔つきで並べもてあそんでいる机上に近寄り、黒いこまを見下げて。



「風呂から上がって、いきなり愚痴ぐちかよ……良い御身分だな」


 けれど男は、肩が凝った様子で幾つかの駒の集団の中から一つの駒を動かし、孤独の端に追いやるばかり。恐らくそれが何なのか、セティスはおおよその見当を付ける。



「……イミトは何してる?」


「明日の行動予測。セティスが手に入れてきたミュールズの地図を参考にな」



 しかし敢えてそれを尋ねると、イミトも敢えてと淡々と答えを返した。

 盤上ばんじょうではなく、地図の上で繰り広げられる一人遊び。そこには様々な勢力が息づいているようだった。



 地図の上には、四つの勢力。


 現在地の城を中心に置かれた和平を望まぬ者、和平を望む者。


 そして自分たちと敵対者ルーゼンビフォアの一味。

 地図の外に置かれて居る駒が三つである所を見ると、ミュールズの街の外で暗躍待機あんやくたいきしているクレアやデュエラやカトレアなのだろう。



 そこから逆算して自分たちの駒の種類をさとるセティス。

 ミュールズに居る二人はイミトの一人遊びの中では、別々に行動している様子で。



「割とこまかいのを見繕みつくろったつもりだけど、参考になる?」


「ああ……いや、どうかな。欲を言えばキリがないしな」



 「そう……それで? 私は何をすればいい」


 遠回しな話題から会話に入り、その理由を問う。明日に控える決戦の孤独の理由を。

 髪を拭き終えたタオルをたたみ、彼女はそっと机に置いて。


「とりあえず横に座れ、明日の俺の動きの説明からだ」


 「ん。分かった」


 彼の指示に従うようにソファーの横に腰を落とす。



 すると、何故だかしばしの沈黙があった。


 横に座り、イミトの説明を待つ心構えだったセティスが、その数秒の沈黙に疑念を抱きかたわらの男の顔色をうかがうと、男は横目で低身長のセティスの風呂上がりの髪を見下げていて。


「——……中々、良い匂いのシャンプーだな。風呂場にあった奴か?」


 「……ううん。今日、街で買ってきた奴」



「そうか。センスが良いな、割と好みだ。後で貸してくれ」


 腰辺りから持ち上がってくるイミトの手、悪戯な微笑を覆い隠すようにその掌はセティスの髪に触れようとしていた。



「別にイミトの為に買ってきた訳じゃない。クレア様に色々と頼まれただけ」


 「はは、そいつは残念だ」


 しかしながら折角とおろし立ての洗剤で丁寧に洗った髪にけがれた手で触れさせてなるものかと、イミトの手をはじくセティス。素っ気のない無表情ながら、風呂上がりの紅潮こうちょうが誤解を招くとイミトもわらう。



 そして脱線した話を既定路線に戻し、彼らは話を始めた。


「じゃあ、まずは明日の俺の動きだけどな」


「とりあえず、朝食の仕込みをしてる城の厨房ちゅうぼうに潜り込む」



 「……イミト。ふざけ過ぎるのは良くない、本題に入って」


 不機嫌ではあったのだろう。

 込み上がってくる得も言われぬ感情の名をセティスは知らない。


 自分を表す駒を動かすイミトの横顔を真顔で見つめながら、普段から身に着けている覆面を今すぐにでも被りたいという衝動に駆られて。



 それでも彼女は真面目に明日の作戦に集中しようとイミトごと己をとがめる。



「いや、本題なんだが……姫様とはミュールズに入る前の事前に打ち合わせで、厨房に入れるように根回しもしてるし……」


 しかし、どうやらイミトは真面目な話をしているらしく、セティスの不満に不満で返し、どう信を得たものかと頭をく始末であって。



「そこで何やかんやと話を進めて、俺は姫様と一緒にアルバランのクジャリアース王子と朝飯を一緒に食ってくるから、お前はその間に街で買い出しの続きに出掛けといてくれ」



「……私の朝ご飯は抜き」


 そんなイミトに神妙な話を期待していた自分が間違っていたとセティスは息を吐くセティスは、取り敢えず肩の力を抜いて話を聞こうかという構えに至り、仕切りを直す。



「街で済ませりゃいいだろ。俺だって街に跳び出したい気持ちを我慢してんだぞ、絶対に寝坊するなよ」


「……分かった」


 だが、肩の力を抜いた瞬間——或いは誰も期待をいだかなくなった瞬間、そのすきを突いて牙をいてくるのが彼だという事を、この時の彼女は失念していた。



「んで、まぁ——姫様に協力してもらってクジャリアース王子に変身しているかもしれないスライムをブチ殺すから、そうなったらそこからが、お前の本当の仕事だ」



 「——……は?」


 唐突に、何の気なしに、サラリと重大事を日常会話に織り交ぜる奇人狂人に、普段から表情を変えずに世を過ごすセティスの首が思わずもたげる。



 そこからのイミトは、少々と矢継ぎ早であった。



「クジャリアース王子か、アルバランの関係者に被害が出てるって話」


 「今回の和平調印式を潰したって、俺の印象じゃ両国の王族は和平を望んでいる。遅かれ早かれ戦争は回避されるだろ」



 唐突な言葉の引っ掛かりに思考を止めたセティスを他所に、机上の地図の上、形が違う駒が次々に動かされ始めていく。



「なら、片方の王族を乗っ取ってから戦争を仕掛けた方が確実で効率的だ。和平協定を結んだのに一方的に裏切れば、次の和平交渉も難しくなるだろうからな」



「……」


 イミトの言動を簡易な動きとして表現する駒たちは次々に動き——、



「てなると、ホームグランドで警備や調査がしやすいツアレスト王国の関係者より、こっちに客としてきているアルバランの方が狙いやすい」



「レザリクス側に居るルーゼンビフォアって奴は瞬間移動や空間転移が出来るからな。もう今頃はアーティー・ブランドに襲われて乗っ取られて監禁されてる頃だろう」


 イミトが予想する未来をセティスに共有させるべく次々に倒れていく。

 それはあまりに平然と、何の罪悪感も後ろめたさもなく、他人事のように——あたかも本当に駒で遊ぶ遊戯ゆうぎの如く語られて。



「推測の域は出てないけど、アーティー・ブランドの変身能力は変身する対象が生存している場合に限るって説が濃厚だ」


「だから国盗くにとりの為にクジャリアース王子も何処かに監禁されて生かされてるだろう。セティスには、街で買い物をするって名目で外に出て、俺から連絡が来るまでに人を監禁できそうな場所に目星を付けといて欲しい」


「アーティー・ブランドの本体を見つけたら、先に始めててもいいぞ」


 やがて地図上からイミトの掌中しょうちゅうさらわれる駒の数々は、また一から仕切り直しのように並べ始められて元の位置へと感情もなく佇んでいくのである。


 ——それをセティスは、悪辣な神か悪魔の所業だと思った。



「……出来るか?」


 未来の可能性を具体的に映像として魅せられて現在に引き戻される感覚。イミトの問いにハッと意識を取り戻し、セティスは白昼夢から覚めたばかりのような様相で己だという駒を手に取った。



「ちょっと待って……なんでそんな事がそんな風に分かるの?」


 未だ残る不可思議に思考が追い付かず、地に足が着かない浮遊感と、違和感を覚えた言葉が脳裏を幾度いくたび木霊こだまし、反響してくるような現状。


 手に取った自分の代わりである駒を握り締め、眉根を少しひそめて彼女は喉に詰まっている疑問を一気に解消したい欲に駆られた。



 すると、イミトは紅茶をすする。



 ——何故、それがそのように解かるのか。

 まるで彼自身がその答えを探しているように。


 そして彼は小さくわらい、こう答えるのだ。



「俺だったらそうするって可能性を潰してるだけだ。別に分かってるわけじゃないし、確定されてる訳でも無い。あくまでも一番最悪だと思う可能性に備えておこうってな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る