第32話 嘆きの峡谷。3/4


「——二人とも、そこまで」


 何処に撃たれたのかも分からない銃声の後に現れたのはセティス・メラ・ディナーナ。ほうきで宙を揺蕩たゆたう覆面の魔女。


 対峙する二人のデュラハンのあいだに割って入り、上空に己の武器である銃口を向けたままの彼女は何故か二人の戦いを止めにも入ったのである。


 その理由とは——


「どうやら、それどころじゃなくなった」


「ちっ。また魔物が集まり出して——いや」


 仲間内でのいさかいなど差し置くべき異常な事態。セティスの到来に、イミトも遅ればせながら周囲に警戒を巡らし、その異常な事態の気配を感じ取る。



 しかし時すでに遅く、それは——今まさに差し迫っていた緊急事態だった。


「——……ウオォォォン」


 唐突にして暴烈な遠吠え。嘆きの峡谷の深き森の奥から威圧感を乗せて響き渡る。

 その響きには敵を敵と認識しているような怒りの響きがあり、峡谷に足を踏み入れた愚者を嘆くようでもある。



『噂に聞く……嘆きの峡谷のヌシのようだな』


 地面すら揺れているのでは無いかと錯覚するほどの空気の震え、肌を削ってくるような魔力の気配。されど脳裏には静かに、その声の主について想いを馳せるクレアの声。


 故にイミトも不思議と落ち着いた面持ちで槍の矛先を降ろし、声のした方へと体を向けたのであろう。



 ——だが、それはイミトの話、場合。


「イミト様、凄い敵の感じを感じるのです‼」


「イミト殿‼ クレア殿‼ この気配は危険です、急ぎ馬車に乗って退避を‼」


 イミトの下へと続々と集まる仲間たち。デュエラはクレアの頭部を抱えて馬車の方から跳んできたのか空から飛来し、馬車に待機するマリルティアンジュ姫を警護する女騎士カトレアも馬車から飛び降りて警告の声を吠える。


「いやぁ、もう遅いだろアレ……」


 そんな二人の反応を察するに相当の敵が来ている事は理解出来ていた。しかしながら、それ故にイミトはその先を察し、諦観ていかんじみた気怠けだるい辟易とした表情でカトレアの提案の虚しさを指摘したのだろう。


「ふふ……我の威圧を跳ねのける魔獣とは久々の邂逅かいこうであるな」


「確かに結構な強さの魔物だな……熊に似てるし、完全にコッチを威嚇してるじゃねぇか。というか、なんかのゲームにあんなの居たような気がするんだが」


 なにより彼女——性格が戦闘狂だと身に染みているクレア・デュラニウスが殊更に御機嫌ゴキゲンに呟けば、イミトの予感は最早、確信なのである。そして遠目に見えた峡谷のヌシにして先ほどの咆哮の主である四足獣がゆっくりと近づいてくる牙をき出しにした顔つきにイミトは観念して。



「魔物ではない。知能も高く、魔法を行使できる程の強力な魔力を持つ魔獣だ、貴様の大好きな食材になるのではないか?」


 けれど彼女が物を知らぬイミトの予想の間違いを指摘してきした瞬間、比喩ひゆとしてイミトの眼の色が変わる。カラリンと甲高い金属音を響かせて、地面の石へと落ちるイミトの黒い槍。


「マジか……ここ最近で馬肉は量も減ってきた上に飽きてきたとはいえ、熊肉とは、ずいぶん面倒なモンがやってきたもんだ」



 彼は、気怠く傾けていた首を鳴らすべく、黒い槍を手放したのだろう。或いは、心持ち——己の中にある【何か】を切り替える為だったのかもしれない。



「まぁ良いや、俺が殺るわ。他の雑魚は頼む」

「——なに?」


 背後から見れば、何の変りもない風体で一歩前、峡谷のヌシと呼ばれた樋熊ひぐまに似た巨躯に歩き出す彼の言動にクレアは思いも寄らなかった言葉を受けたような表情。


「イミト様⁉ 流石にアレをお一人では危険なのですよ‼」


 「馬鹿な‼ やる気なのか⁉ ならば私も加勢を——‼」


 周りに居る彼女らも皆、一様いちように驚き、蛮勇を魅せつけようとしてると思い。イミトを止めるべく動き出そうとする。


 が——、イミトは歩きながら両手両腕を広げ、彼女らに向けてか——或いは背後に向けてか、こう語り始める。


「腹も減った。いい加減、飯の支度もしたいんでな」


 「相手が食材なら話は別だし、血抜き解体は速さが命。それに……トチ狂った愛護団体もマスコミも居ない世界で、言ってみたかった台詞があるんだ」


 両手に灯る黒く巨大な魔力の渦。不敵悪辣ふてきあくらつわらう男の背には、紛れもない死の予感があった。そして生の実感でもある。



 罪人が己の罪を自白するが如く、やがてイミトはうたう。



「——……お前、ウマソウだな」



「ふっ……その覇気が飯のこと以外に向けばよいのだがな」


 到底——、市販品とは思えぬ大きく剣ほどに長い出刃包丁が二本。



 その切っ先を眺め、クレアは瞼を閉じてゆく。

 彼女は、或いは彼女も知っていたのだ。


 ——イミトの趣味が、生き甲斐が、料理であるという事を。


 ***


 しかし残念な事に、イミトと峡谷のヌシとの戦闘は語る事が出来ない。


「——あのような戦いぶりを見せられて、姫の護送の件、反論を唱える事は難しい……しかし」


 それはあまりに凄惨せいさんで、慈悲もなく、邪悪で、一方的な虐殺ぎゃくさつであり、捕殺ほさつであり、屠畜とちくであり、事後にて誇り高き女騎士カトレアが思い出すのもはばかられるといった具合で拳を握る圧倒的なものであったからである。


 そのイミトへの評価を受け、白黒の髪で創られた台座に鎮座するクレアは会話を続ける。


「己の意志など知らぬわ。どのみち、リオネル聖教の教義に置いて半人半魔は禁忌きんきに触れるのであろう」


「なれば貴様が姫を送り届ければ、行く末は火炙ひあぶりか斬首ざんしゅの二択。そのような結末を姫は望まぬというのは魔物の我とて理解できる事柄よ」


 カトレアの言い分を前提そのもの否定する文言を吐き捨てて、姫に伴って目的地である城塞都市ミュールズに向かいたいというカトレアの未来の現実を突き付けて。



「よしんば王族の威光とやらを用い、貴様の命が救われ、今後も姫の側近であり続けたとしても、魔物の混ざった死霊騎士を従えておる姫の名を凡俗ぼんぞくいやしい大衆がどのように呼ぶかも自明じめい



「「……」」


 誇り高きカトレアの心の急所を突くような言葉を次々に並べ立て、彼女の反論を次々にふさいでいくクレア。カトレアのかたわらにひかえるマリルティアンジュも胸を痛めているように暗い表情でうつむき、カトレアが辿たどるであろう未来をうれいているようである。



「貴様は既に死んだも同じだ、カトレア・バーニディッシュ。陰で生きねば生きられぬ身……ミュールズの城下に向かう前に姫とは一度、別れるのが賢明であろうが」



「別に我らと共に来いなどとは言わぬ、しかし今回の件は全てイミトに任せ、貴様は陰に隠れて身を潜ませる時期。今後も姫の為に尽くす騎士でありたいのなら——」



 城塞都市ミュールズにて行われる西方の隣国アルバランとの和平調印にてうごめく陰謀。

 マリルティアンジュ姫を助けると決めたイミトら一行の動きに、生きながらに死霊騎士となり他の魔物とも結合した半死半生、半人半魔の女騎士カトレア・バーニディッシュは最早、和平調印と姫に危害を及ぼす因子いんしでしかない。



 その事実を無慈悲に告げながら、クレア・デュラニウスは言葉を結ぶ。


「まず生きよ。我から言えることはそれで全てだ」


「それでも貴様が姫を送り届けるほまれの為に死したいと申すなら止めはせぬ。その際はイミトに余計な嫌疑が掛からぬように別行動で動いてもらうがな。貴様の自殺に奴を付き合わせる義理も無し」


 真っ直ぐな瞳でカトレアの握られた拳と俯いた気落ちする表情を見据え、そして彼女はわずかな感情の機微きびを表すように瞼を再び閉じてゆく。



「——……分かって、分かっているのです。それが正しい判断だという事は」


「しかし、全てを他人であるイミト殿に託してしまえば——ここまでに散っていった同胞が、ただ我らが任務を全うできず……姫を守り切れずに散ったのだと思われかねない。生き残った私のこの身には——失った者たちの誇りと願いも背負っていて」


「カトレア……」



 無論、辛辣だったとはいえクレアの心遣いは、彼女らにも染み入っていた。それでも悔恨を歯噛みする無力さの実感が、彼女らの決断をにぶらせていて。



 しかし、時は無情で、決して彼女らの心の整理を待ってはくれない。

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