第30話 足踏んで足踏む。4/4


 ——そんな暗躍を知ってか知らずか、イミト達のうどん作りも、いよいよと佳境かきょうに差し掛かっていた。


「はぁ……はぁ……これは、中々の重労働なのですね」


 うどんの生地を何度も踏んでは折りたたみ、また踏み直すという繰り返しの作業を意味も分からぬまま終えて、息も絶え絶えにマリルティアンジュは初めての作業に感想を漏らした頃合いなのである。


「はは、雲の上しか歩いた事の無さそうな姫さまにはキツかったか。お疲れさん」


「ん。良い具合だ……頑張ったな」

「……」


 マリルティアンジュが踏んでいた黒い袋から出来上がった平たい生地を取り出し、軽く指で突いて感触を確かめるイミト。


 どうやら彼の満足の行く仕上がりになったらしい——疲労と、そんな想いも相まって、マリルティアンジュは重圧から突如として解き放たれたように、過分に気を張っていた全身の力が抜けて腰から黒い床に落ちてしまう。



「イミト様、イミト様‼ ワタクシサマも出来たで御座います‼」


 「おう。流石だな、こりゃ……凄まじいコシのある麺になりそうだ」



 マリルティアンジュは思っていたのだ。思い始めていたのである。


 嬉々として自分の仕事ぶりを見てもらおうとするデュエラに向けたイミトの表情を、疲労で思考の覚束おぼつかないボンヤリとした意識の中で見つめ、彼女は思ってしまっていたのだ。



「——意外? 彼のあんな顔」


「あ、セティス様。いえ……そんな事は」


 そうかたわらにスルリと座ったセティスに容易に見透みすかされる程に、これまで印象が無かった優しげで裏表のないイミトの表情をマリルティアンジュは呆然と見つめていて。



「料理してる時は、本当に楽しそう。羨ましいくらい」

「……」


 作業を終えて、ガスマスクに似た覆面を被りつつ呟いたセティスの言葉に、そんな事は無いと何一つ言い返せず、一国の姫は黙す。



 それは——彼女が望むものがそこにあったからなのだろう。


「セティス……お前、途中でちょっと飽きて手を抜いたろ。性格が出てるぞ」


「む。そんな事ない……それにそれはまだ途中」


 シュコーと特徴的な覆面によるセティスの呼吸音で、ハッと我に返るマリルティアンジュ。そこから聞こえてきた個性批評のような無邪気なイタズラ声と、立ちあがる淡白ながらも感情をあらわにした声。



「嘘つけ。クレアも、ちょっと雑じゃねぇか」


「たわけが、なぜ我が真面目にやらねばならんのだと言ったはず」


「その割には最後まで付き合ってくれてんじゃねぇか」


 彼や彼女らは、感情それぞれに持ち合わせていた。言葉を交わしながら、個性を浴びせ合いながら穏やかに輝かせていた。



 「——平和になればいいね。あの人が、楽しそうに料理をし続けられるくらい」


「……はい」


 ——本当にささやかで、愛しき平穏。


 胸にともる温かみに、マリルティアンジュは胸に手を当てて祈るように微笑む。


 このような時が、本当に続けばいいと。


 そして惜しむらくは、彼女がここに居ればいいのに、と。



「ううっ……姫、ここは——」

「カトレア‼」


 そんな彼女の願いを叶えるように、騎士は痛む包帯の巻かれた頭を押さえながら、よろよろと姫君の下へとせ参じる。


 だが、

「——姫‼ 何故そのような格好を!」


 「あ……えっとこれは——」


 その時の姫は姫とは言えぬような風体。黒いエプロンを所々に白く汚し、ドレスのそでめくり、ドレスのすそまくり上げている高貴な姫を守る騎士としては、とても信じられないような格好をしていて。


 余りに衝撃的な光景に己の怪我の痛みを忘れ、姫の下に駆け寄る騎士。

 どう弁明したものか、己の醜態しゅうたいを自覚する姫は戸惑った。


 すると、その時——、彼が少し遠くから言ったのだ。



「料理を手伝ってくれたんだよ。お前の為にな」



 平和な一時ひとときにこなれ、起き上がってきたカトレアに気付いたイミトは腰に手を当てて息を吐くように事実を告げる。


「——……え? 姫が私の為に……?」


 カトレアが戸惑うのは無理からぬ事だったのだろう。一国の姫が、一兵士でしかない自らの為に高級なドレスを汚し、衆目にさらされながら無作法な格好をしている事が。

 だが、現実としてその光景は目の前に広がっていた。



「えっと……はい。きっと、お腹が減っているだろうと思いまして」


 照れ臭そうにめくり上げていた袖を元に戻し、たくし上げていた裾を元に戻し、彼女は服に付いた白い粉を叩いて落とす。


 そうして身を整え、改めて魅せた微笑みの頬には白い粉の跡。

 黒いエプロンが余計に際立たせる純白の色合い。


「味付けは俺がするけど、戦いも近いんだから不味まずくても残さず食えよ」


「所でイミト様ぁー、あちらの器具では何をお作りになってるで御座いますか?」


 「なんだか湯気が吹いてる。また燻製くんせい?」



「肉まんだよ。馬車で旅しながら先に生地作って発酵させるために寝かせてたんだ」


「とは言っても、中身は昨日のカレーをアレンジしたもんだし、肉が食えない姫様たちの方も野生のプチトマトとチーズでピザソース風にしたから、うどんに合うかは微妙な所だがな」



「まだ蒸している途中だから開けるなよ」


 視界の端で再び流れ始めていた穏やかな時間も気に留めず、カトレア・バーニディッシュは胸の中に込み上がるものを感じながら彼女を見つめていた。



「……カトレア。おかえりなさい」


 失ったもの多き長い旅路の、ほんの些細ささいな足踏みが、まさに無意味でなかったように触れられたてのひら、互いに感じる暖かみ。


 敬愛する主にひざまずき、カトレアは改めて決意する。

 或いは、マリルティアンジュは改めて決意する。


 ——身を捧げ、必ずや戦乱の足音が聞こえ始めた世に平和をもたらそうと。


 哀しみに暮れ、不安にあおられ、事におびえ、あらゆる足踏みを足踏んだとしても、それが意味のある時間だと信じて、本当の意味での強さになるのだと、するのだと彼女らはうたう。


 故に、カトレアは心の底から同じ志を持つマリルティアンジュ姫に忠誠を誓った。


「——身に余る、栄誉に御座いますピョン。マリルデュアンジェ姫」

「……ピョン?」


「え?」

「え?」



 まだ、彼女らには多くの問題があるのだが確実に彼女たちは絶望の果て、希望へと向かう一歩を踏み出し始めたのであった。



「——……発酵は上手く行ってると思うんだが、魔素が何かしら代わりに働いたのかミリスの所から持ってきたドライイーストが正常に働いただけなのか微妙な所なんだよな」



「あ? 今、ピョンって言ったか?」



 ——断頭台のデュラハン~腐敗の道中と廃の隠村~


 続。

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