第30話 足踏んで足踏む。3/4


 一方、時はさかのぼらずに同時刻とも言えぬ概念の中、彼らのうどん作りを遥か天よりとは言い難き宙に浮かぶモニター画面伝いに、あしの長い小さな白いテーブルで優しい頬杖ほおづえを突きながら世界を眺める存在があった。


「ふふふ、とても楽しげね」


 せっせといそしむ、うどん作り。彼や彼女らの足踏みを微笑ましくオペラグラス越しに眺め、貴婦人のドレスを纏う彼女は上も下もなく紅茶をすする。



「ミリス様……お待たせいたしました」


 ——神、とは如何いかばかりのものか。各々の尺度で語られる概念、偶像の極致に至りて共通の姿が存在しえない言葉。


 されど、敢えて彼女は己をこう名乗り上げる。


 神——ミリス、と。


 カラカラと給仕きゅうじの台車にわんを一杯だけ乗せて。テーブルに近づいてくる翼の生えた執事服姿の天使もまた、彼女が神に足り得る根拠とも言えるかもしれない。


「見よう見まねですが、山掛けうどんに御座います」


 神は、うどんを所望していた。


「ありがとう、アルキラル。彼にもらった自然薯じねんじょも良いり下ろし具合ね」


「料理本を見ながらで、麺も彼らのように手打ちではありませんが」


 ほんのりと僅かな湯気をくゆらせかおり立つ、だしつゆに沈む白いうどんの波が如き静止画を摩り下ろされた山芋が塗り潰し、中央に浮かぶ黄色の卵が威風堂々と輝くようにそこにあり、砕けた焼き海苔や小刻まれた細ネギがぎょくを彩るように添えられている。



 ——あたかも神に捧げられし、極上の山掛けうどんである。


 けれど、神はこう、お言葉を授けるのである。


「良いのよ。私は手作り至上主義者じゃないもの。ポテトサラダのお気に入りもスーパーの総菜だしね。企業努力は素敵だわ」


「頂きます」


 なお穏やかに、いと愛しき命の育みに慈愛を差し伸べるが如く、祈るように瞼を閉じて清貧せいひんはしを掴む。


「まぁ、彼らの作るうどんにも少し興味があったのは否定しませんけどね」


 そしてフッと山掛けうどんのわんに微笑みかけて彼女は箸を器の中に差し入れる。


 神は、うどんを所望していた。


「……あまり、特定の人間との接触を増やすのは神々の規定に抵触するものかと」


 そんな神の御業に対し、余計な世話とは知りつつ忠言を放つ天使。


 うどんを啜る神の傍ら、彼女の視線の先にはイミトらの姿が映った宙に浮かぶ長方形の映像。冷静な眼差しで表情の一つも変えずに彼女はジッとその先を見据えていて。


「ふふっ、分かっているわよ。それに今の彼らに会う訳にも行かないものね、敵対関係にはなりたくないもの」


「……彼の妹の件ですか」


 そして天使アルキラルは初めの一啜りを終えた神の意味深な啓示けいじに対し、うつむき気味に瞳を堕とし、瞼を静かに閉じ伏せる。


 すると、女神はそんな彼女をほくそ笑み、尋ねた。



「ええ。それで? 何が無くなっていたか、分かったかしら」


「はい、ドライイーストや粉末出汁の素などの化学調味料を幾つか持っていかれたようです」



「あはは、神様の厨房で盗みを働くなんて本当に悪い罪人さんね」


 事前に彼女に依頼していただろう調査の報告を耳に、イミトらが時を過ごす世界の映像を眺めて笑い声を上げる神の口ぶりは責めるでもなく、まるで寛大に無邪気な子の悪戯いたずらの笑い飛ばす母のようだった。


 天使が持つ調査報告書だろう紙切れが、くたりと倒れ曲がる。


「醤油や味噌など危険な事態になりかねない発酵はっこう食品は、容器が無かったのか荷物に入りきらないと判断した為に持って行かなかったようですが」


 アルキラルはそれでも報告を続け、最後に紙を整えつつ報告書を神の座すテーブルにその紙を捧げるに至り、うどんの器を持ったままの神の視界にその中身を映したのであった。



「ふふ。言ってくれたらプレゼントしたかもしれないのに」


「ご冗談を……いかがいたしますか。めいじて頂ければ事情を説明して回収してきますが」


 そして女神ののたまう冗談を丁寧にいさめ、胸に手を当てて敬愛を捧げながら彼女の意志を天使は問うた。より早く彼女の意志の従う為の翼を羽ばたかせ、僅かに白い羽を星々の世界に舞い散らさせて。


 そんな羽を一枚、箸で掴む女神。


「んー、ドライイーストくらいなら大丈夫かな。量もそんなに持っていかれてないみたいだし、前の発酵食品の時みたいにはならないでしょ」


 困りげな表情で悩んだふりをしながらに、女神が語ったのは寛大な措置だった。



「とりあえず今は様子を見ましょうか。彼が作ったパンにも、食べた他の子たちにも異変は無いみたいだから」


「私たちの……いえ、私の計画に巻き込んじゃったし、マイナスになった時は天罰、プラスに働いたら恩恵……彼いわくのチート代わりのプレゼントとして置きましょうか」


 罪人の行いを不問に処す神のみに許されたが如き所業、箸で掴んだアルキラルの羽を箸と共に手放し、彼女は宙に浮かんでいた映像を縮小させながら掌の上に呼び込む。


 けれど、手放したはずの二本の箸は床に落ちる事もなく、ただその場にて再び神の手にゆだねられる事を待ち望んでいる様相。


「でも近いうちに別件で走ってもらう事になるかもしれないから、その時は宜しくね」


「……はい。神の仰せのままに」



 ——そして神は、また掌の上の映像に映る男の姿に微笑みかけ、天使は異を唱える事もなく瞼を閉じる。



「山掛けうどん、美味しいわよ。アルキラル」


「身に余る光栄に御座います」



 やがて女神ミリスは宙に浮いたまま固定された二本の箸を再び手に取り、アルキラルの作った山掛けうどんを静かに啜る。


 ——。

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