第30話 足踏んで足踏む。1/4


 そんな時を同じくして交わされるルーゼンビフォアとレザリクスの陰謀いんぼうただよ邂逅かいこうつゆほどは知りながら、


「よし。じゃあ、始めるか」

 「興味深い。料理の時間」


「「えいえい、おー」」


 イミトとセティスは魔力で創り出された黒い厨房ちゅうぼうの前で、クレアに白い目で見つめられつつ軽い威勢を吐きながら片腕を掲げていた。



「……これ、何か意味があるの?」


 イミトの提案に乗りつつも、遅ればせながらと行動の理由を問うセティス。

 そんな彼女に対し、彼は淡と言った。


「ねぇよ。ただの気分付けだ。最近、暗い展開ばっかりなんでな」

 「とりあえず今回は、うどんだからな。手伝ってもらうぞ、セティス」


 開き直った口振りで、先ほどのクレアとの会話で滲ませた感傷など消し飛んだが如き悪態あくたい。厨房に並ぶ食材の数々を腰に手を当て確認しながら一息ひといきつくや、首をかしげて斜め下のセティスに視線を移し、何の悪びれた様子もなく言い放って。



「うん。勉強させてもらいます」


 けれどセティスはそんなイミトの命令口調を気にも留めずに師事しじを得るべく頭を下げる。前述冒頭の仕込み茶番の中で、彼の作る料理に興味関心があると言った事だけまぎれもない真実であった。


 そしてもう一人——、


「あ、あの……私も……何かお手伝い出来る事はありませんか?」

「「……」」


 別の理由にてイミトに料理を学ぼうとする者が一人。


 美しい気品あふれる流麗りゅうれいなドレスをたなびかせ、胸に手を当てて少し前屈まえかがみに真っすぐ不安げな瞳を揺らめかせるマリルティアンジュもまた、彼女なりの理由で彼らにそう訴えかけてくる。



「私は皆様のように、戦う事も傷の手当てもすることが出来ない……ですが国の為、私の為に懸命に生きていてくれるカトレアの為に……私も何かむくいたいのです」


 背後で未だ眠り続ける忠臣に勇気をもらうように一瞥いちべつをくれて、彼女は強く、か弱く、己の無力にあらがうように語る。



「お、お肉は……見たくないので、そんなに力にはなれないかもしれませんが」


 ほんの一匙ひとさじほどの勇気をふるい立たせ、彼女は言ったのである。


 絶望にからめ取られていた足を一歩前に踏みだして。

 そんな彼女の、一国の姫の、一人の少女の勇気に対し、


「——……おう。じゃあ姫様も手伝ってくれ、今回は肉を使わない作業が多いからな」

「は、はい‼」


 優しい微笑みを浮かべる事はやぶさかでない。気恥ずかしくまぶたを閉じて顔を逸らしたイミト。セティスも素知らぬ顔だが異は唱えない様子。


 その場で唯一、クレアだけが意にも介せずに興味なさげに小さな欠伸あくびをしていた。



「とはいっても、うどんを作るのは割と単純だ」


 が——、そんな睡眠を必要としないはずの彼女が垣間見せた欠伸に興味をいだきつつ、料理指南しなんを心待ちにしている二人に講釈こうしゃくを始めるイミト。


 ——何よりも優先すべきは昼食、料理なのだから。


「必要な物は小麦粉。水と塩くらいかな、分量調整してペースト状にり潰した野菜とか混ぜたりしてもいいが、今回のは冒険なしだ」


「冬場は、ちょっとぬるめのお湯を使ったりした方が良いんだが、今日の気候は夏に近いから水でやる」


「因みに冬場にぬるめのお湯を使うのは、生地きじ馴染なじみを良くしつつ、食塩水……塩と水を混ぜる時に塩がちゃんと溶けるようにする為かな。冷水で手が冷えると素早く混ぜたり、手の感覚が無くなったりして良い感じに出来なくなるってのも理由だ」



 つらつらと、たがえる事もなく言葉を並べ、厨房の上で材料を見せる様に白い粉が小さな山となる程に積まれた半球状の器をセティス達の前に置いたイミトは、更に水の入った器を持ち込み、説明を重ねていく。


「塩と水を混ぜる、これとこれ」


 そんな説明でセティスはおおむねを理解し、塩の結晶の入った比較的小さい器の中身を水の中に流し入れ、き通りながらも水の中で塩の結晶が巻き上がり、白濁はくだくにごり始めた様子を確認して傍らに置いていたスプーンを使い、混ぜ始める。


「姫様は——とりあえず手を洗おうか。そこの樽の水を使ってくれ」

「え、あ……はい‼」


 一方、その様子を眺めていたマリルティアンジュにイミトは指示を出し、厨房の脇の台座に置いているたるに対して肩越しに親指を差す仕草。

 その指示を受けて、頷いたマリルティアンジュのそそくさと樽へと向かう背中を横目に見守りつつイミトは腕を組んで時を待った。



 そして、やがてと言うべきか、


「出来た、イミト」

「早いな。ちゃんと混ざってるか? 塩の結晶が残ってるとムラの原因になるからな」


「うん。大丈夫」


 塩と水を混ぜ、食塩水にし終わったセティスが自身の仕事ぶりを魅せつけるように食塩水の揺蕩たゆたう器を持ち上げていて。はたから見れば確かに塩の結晶による白濁は無く、あたかもただの水であるように器の中身は彼女と同様に素知らぬ顔色。


 その様を確認し、イミトは僅かに微笑み、そうしている内に手洗いを終えたマリルティアンジュも作業に再び合流した。


「それじゃあ次は、小麦粉と混ぜる作業だ、姫様」

「は、はい‼」


「……少しそでまくって、スカートたくし上げた方が良いかもな」

「え?」


 しかしイミトは一考する。姫の着込むきらびやかなドレスが、これから始める白紛はくふんの作業には相応ふさわしくないと考えたからである。


 料理というものに慣れていないならば尚更にそう思えて。


「腕はひじくらい、足はひざ下少しくらいまで上げた方が良いな。汚れるし、作業の邪魔になるかも知れねぇ。それからエプロンとかも付けてみるか」


 けれど、さしものイミトも「服を脱げ」などと露骨ろこつなアンチ・ジェントルメンのような振る舞いの言葉を言い放てず、あごに手を当てて何とか彼女に配慮して頂こうと譲歩案をひねり出すのである。


 そうして魔力で創り出す黒いエプロン。平たいひもが数本伸びる簡易な布切れ一枚をマリルティアンジュに手渡して様子を伺う。



 マリルティアンジュは少し不思議そうな顔をした。


「そう、ですね……分かりました」

「ん。頼むわ、ほらセティスもエプロンを付けとけ」


 それから何となく自身の服装をかえりみ、イミトの危惧を理解したマリルティアンジュを確認したイミトは、安堵の息を吐きつつ次はセティスにも気を回す。


「了解」

「——それにしても結構な量の小麦粉」


 そのエプロンを淡々と受け取ったセティスは、マリルティアンジュの視線を浴びながらエプロンを装着しつつ、興味の矛先を半球状の器に積まれた小麦粉の山に向けていて。


「ああ。一応、研究目的のお試しの分も入れて十三人前くらいだな。俺が水を回し入れるから、二人は器の中の小麦粉と水を馴染ませるように混ぜてくれ」


「素早く丁寧に、目標は全体的に均等に水を馴染ませて、しっとりさせる事だ」


 そんな彼女らを横目にセティスが混ぜた食塩水を小麦粉の器の傍らに置いたイミトは、次にマリルティアンジュに目を向ける。


「ほら、後ろむすんでやるよ、姫様」

「あ、ああ……ありがとうございます」


 恐らくエプロンを自らの手で付ける事すらも初めてなのだろう少女の背後に回り、黒い布切れから伸びる平たい紐を結ぶイミト。マリルティアンジュは少し気恥ずかしそうにつたなく礼を述べてイミトを微笑ませる。


「こっちが手伝って貰うんだ、礼なんか要らねぇさ」

「そいじゃあ、いくぞ」


 そして彼らは、いよいよと作業を始める。

「「……」」


 厨房から少し離れた位置のテーブルを陣取り、イミトが持つ水の入った器の到着を小麦粉の入った大きめな器の前で待つマリルティアンジュとセティス。


「よし、混ぜてくれ」


 流し入れた水は、当初は小麦粉の粉と混ざるとは思えなかった。ゆっくりと流れる水は半固体のように小麦粉の山を削りながらも粒のように流れ、器の中の小麦粉の脇に溜まっていくばかり。


 しかし、イミトの合図でセティスが手を小麦粉の山に押し入れて水を無理矢理に染み込ませようとする様を見て、マリルティアンジュもならうように小麦粉と水を混ぜ始めた。


 すると小麦粉はサラサラとした性質のままで居たかったと嘆くように、性質を粘り気のある物に変え始めていくのである。


「残りの食塩水は、小麦粉が水と馴染んできたら追加で入れて適当に混ぜといてくれ」


「その間に俺は他の準備をっと……」


 熱心に小麦粉の嘆きを押さえつけ始めたマリルティアンジュとセティスの表情を確認したイミトは、近くの厨房に足を進め同時進行で別の作業に取り掛かろうと頭の中で行動の手順を整理する様相で。


 そんな折、ここまで傍観ぼうかんつとめていたクレアがイミトに声を掛ける。


「……用意している材料を見るに、ずいぶんと作業が多そうだなイミトよ」


「まぁな。野菜切って揚げたり、茹でたりな。ひまか?」


「……別に手伝う気は無いぞ」


「特に期待もしてないよ。作業が多いって言っても、すぐに終わるものばかりだからな」


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