第30話 足踏んで足踏む。2/4

 厨房の端で台座を作り陣取じんどるクレアの問いに、ゴキゲンな笑みを浮かべるイミトは、使う食材を整理して置いていたぼんから、人参にんじんらしき根菜こんさいを取り上げて品質を確かめながら言葉を返す。


 すると、そうしている内に斜め上の空の方からの声がとどろいて。


「イミト様ぁ——……ただいま戻りました、です‼」


「おう。お疲れ、どうだった? 何かあったか?」


 驚くほどに何も無かったかのように広大な空から土煙を起こすこともなく降り立つデュエラは、両腕いっぱいに果物を抱え、はためく顔布から金色の瞳を覗かせる。


 どうやら敵は居なかったらしい。イミトは問いつつも、そう思った。


「いえ、敵になりそうな方々は見当たりませんでしたのです。食べられそうな果物は採ってきましたが、他に気になるもの……は特に——」


 そして彼女も敵は居なかったと報告し、かかえて落ちそうになっていた果物等の食料を緊急避難のように厨房の台の上に置きつつ、当たりの状況を確かめる。



「そうか。今、飯の準備してるから、少し休んで待っててくれ」


「……姫様とセティス様は何をしているので御座います、ですか?」


 純朴なメデューサ族の彼女は気付いたのだ。真面目な顔つきで、謎の白い粉や粘り気のある白い物体と黙々とたわむれる二人の姿に。


「うどんの生地を作ってるんだよ。塩水と小麦粉を混ぜてな」


「ほへぇ……わ、ワタクシサマも、お、お手伝いをするのです‼」


 故に彼女は急ぐ。顔布でうかがえないはずの顔から溢れる興味関心の無邪気な光がイミトの双眸そうぼうの内に弾け飛び、彼女はイミトの許可をウズウズと待つ。


「分かった、分かった。そうだ、手伝ってくれるならデュエラも手を洗って来てくれ、ついでに足も綺麗に洗って待っててくれ」



「足も……なのですか? は、はい、なのです‼」


 そうしてデュエラの要求に頷き、厨房に手を置いたイミトは思い出したように必要な準備を唱えて息を吐き、少し戸惑いつつも慌てて近くの水の入った樽に向かうデュエラの背を眺めた。


 すると、

「忙しない事よ……」


「はは……皆で作って、皆で食べれば美味しいの法則なんだろうぜ」


 ボソリと背後で呆れ呟くクレアにイミトは笑い返し、自身の作業にも向き合い始める。最初に手に取ったのは干しキノコや魚の干物。


 それらをまな板の上に並べ、姫の旅路に使われていたのであろう銀色のナイフを手に取ったのである。


 が、その矢先、

「イミト様、なんだかボロボロになってきたのですが、失敗なのでしょうか?」


「ああ、いや大丈夫だ。そこから水を追加して、もうちょっと混ぜたら一つか二つの塊にしといてくれ」


「——パン作りと似てるけど、パンじゃないの?」

 「うどんは麺料理だよ。パスタ……この国じゃ、小麦粉で麺を作ったりしないのか?」



「するけど、うどんやパスタなんて名前じゃないし、私も作った事ない、から。同じ小麦粉で出来てるんだね」


「んー、まぁ小麦粉の種類で色々あるんだが、パンやパスタ麵は強力粉、うどんは中力粉の方が良いとかな。細かい説明していくと科学のお話になっちまうし、この国の言葉じゃ俺には説明できないな。小麦粉に含まれるタンパク質の量がどうたらグルテンの構造がどうたら言っても伝わるのかどうか」


 矢継ぎ早に背後から飛んでくるマリルティアンジュやセティスからの質問に気を取られ、銀のナイフはその真価を持て余すばかり。


「……難解。後で詳しく聞かせて」

「——そういや、この世界の作物ってのは魔素が含まれてんだよな……今更だが俺の世界での科学知識って、こっちでも成立してんのかな」


 そして更には、ふとした疑問が湧き上がり、彼はこの世界の食材を改めて眺めるに至る。この世界に存在する魔力というものを構成する魔素など、彼が以前に居た世界には存在しないのだ。


 故に未知なる魔素がもたらす事象というものをヒトカケラも知らないイミトが、自身が胸に抱える常識を疑うのも無理からぬ事だったのかもしれない。



 しかし——、

「ま、そんな事は追々おいおいためためしでやってくしかねぇか。取り敢えず付け合わせの揚げ物は、うどん生地を寝かした後の茹でる少し前で良いから、まずは出汁づくりだな。苦みや雑味が出そうな部分を下処理しないとっと……」


 優先すべきは目の前の食材。既に頭の中に描き終わっている作業工程が揺らぐことは無く、彼は銀色のナイフの柄を握り、細々と魚の干物や干しキノコの下処理を始めた。


 そんな一喜一憂、二転三転にクレアはまた呟くのだ。


「全く……忙しない事だ」

 本日は清々しい程の晴天。


 穏やかな廃村に降り注ぐ日和に、戦場で生きてきたデュラハンは退屈にくたびれて、知らぬ騒音をそう嘆く。



 このような日が以前もあった気がすると、そんな既視感に襲われながら。


 ——。


 そして時は流れ、昼食の仕込み作業も中盤、イミト以外の一行はイミトに提示された思わぬ作業を前にいささかの戸惑いを見せる。


「ほ、本当にこれを足で踏むので御座いますか、イミト様?」


 ——うどん。それは小麦粉を一つに纏めあげ、圧力を加えて一つの塊にし、歯ごたえのある平たくした生地を麵状に切り分けて熱湯で茹でることで、ツルリと喉に通す料理である。


 よって技術面に置いて、最も必要な物は圧力。


「ああ、別に直接じゃないんだから問題ねぇよ」

「手でねても良いが、何度もやってると腕が疲れちまうからな」


 それを踏まえ、イミトが彼女らに与えたのは作業場である平たい黒い床板と黒い袋。


 四つの黒い袋の中に程まで水と混ぜていた小麦粉の塊を四分割したものが入っており、イミトはそれらを彼女らの素足で袋越しに踏み付けるように指示したのである。


 これから食べる食べ物を足で踏むなどという経験のない、ましてや異世界の料理を知らぬ彼女らがそれに戸惑うのは当然といえば当然の事柄。


「足で踏みながらうどんの生地を平たく伸ばして、さっき見せたみたいに三つ折りにしてまた踏んで、良い感じに平たくする。それを何回も繰り返すんだ」



「そうする事で、コシ……つっても分からないか。あーっと、小麦粉の繊維の方向が統一されて……いや結びつきが……とにかく歯ごたえの良い食感の麺になる」


 しかしイミトも何とか彼女らに理解してもらえまいかと、あくせくと言葉や表現を思案していたが、案ずるより産むがやすしとなかば説明を諦めて彼女らにその作業をかすに至る。



 すると、真っ先に好奇心溢れるデュエラが息を飲む。


「で、では皆様ガタ……行くので御座いますよ」

「は、はい!」


 その意気ごみに引きずられ、マリルティアンジュも肩に力を込めて。



「私はもう始めてる」

 けれど行動力に溢れるセティスには負けていた。彼女は淡白な顔つきで、文字通りに一足早く黒い袋の上で足踏みを始めていたのである。


「あ、セティス様ずるいのです‼」

 「ぶにぶに、新感覚……」



「あひゃああ……⁉ ホントに変な感覚で御座いますー」

「平たく……平たく……」


 そうして三者三葉に始まった生地踏みの作業。それぞれが未だ塊である生地を踏みにじるように踏み付ける様をイミトは眺め、問題が無い事を確認すると次に彼は彼女に視線を向けた。


「クレアもやってみろよ、せっかく四つに分けたんだから」


「我にどうしろというか……阿呆め」


 厨房に鎮座ちんざし、精神統一が如く気を静めていたクレア。頭部のみしか存在しない彼女はイミトのうながしに、片目を明けて彼をにらみ、再び瞼を閉じる振る舞い。


 初見であれば、或いは傍から見れば、手も足も出ない彼女に対し、不謹慎とも思える提案なのかもしれない。


 けれどイミトは言葉を続け、小首をかしげて彼女に笑い掛ける。


「髪で拳作ってねれば良いだろ。生地を三つ折りにするのは俺がやってやるから」


 四つに分けた最後の黒い袋を片手に、厨房にそれを置いたイミトはその言葉を最後に告げて自身の作業に戻る素振り。


 細やかにイタズラな笑みを表情に残しつつ、上の鍋に湯気の立ち昇り始めている黒いかまどの火を調整するべくかがみ込む姿勢。


 そんな彼に、舌打ちが一つ。


「ちっ、こき使いおって……」


「そう言うなって、ただ見てるだけも暇だろ?」


 不満げなクレアの流し目に見向きもせずに、火ばさみのような黒い棒で焚火をつつく。そして火の調整を終えた彼は、かまどの上の鍋の蓋を開き、お玉で中身を掻き回し、ひとすくい。


「うーん。やっぱり出汁は元居た世界とは比べもんになんねぇな……塩で整えれば形にはなるか……醤油がありゃバッチリ決まるんだがな」


 黒い取り皿に注いだ液体は、ほのかに香り立つ魚介と森の恵みの混ざり合った優しい黄金色。しかしそれを啜ったイミトの顔には、クレアと同様にも思える不満げに眉根にしわを寄せた表情が浮かぶ。


 すると、そんなイミトの失望の顔色を横目に、


「醤油とやらも作ればよかろう」

 厨房の上に置かれた黒い袋に髪を伸ばしながらのクレアがのたまえば、



「無茶を言うぜ……時間が掛かるし、材料も流石に知識も技術もねぇからな……やっぱり、持ってくりゃ良かったか」


 呆れたように息を吐き、イミトは過去を嘆くが如く空を見上げた。



「仕方ない。アレ、使うか」


 そうして彼は諦めのいななきで、近くに置いていた黒いかばんに手を伸ばす。


 ——。

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