第26話 廃の隠村。4/5


 更に時は少し進み、馬車は再び動き出す。


 僅かに地面から浮いたひづめを動かす首切れ馬の手綱たづなをデュエラが持ち、木々の生える森をゆっくりと右往左往しつつ慎重に進み、村からの帰還の際に見つけた馬車が通れそうな道を通り、一行を運んでいく。



 一方、馬車の内部では、神妙な空気感で会話が進んでいた。


「バンシー? なんだそりゃ」


 疑問の灯が揺れたような、首を傾げたイミトの問いが馬車内部を木霊こだまする。


 ——バンシー。

 それは、廃の隠村の状況を観察したクレアが、心当たりと示した存在の名。


「泣き女とも呼ばれるタチの悪い魔物の一種だ。唐突に街や村に現れ、そのすすり泣くような声を耳にしただけでも死ぬと言われておってな」



「——戦場ではデュラハンをおそれよ、夜の街ではバンシーにおびえよ。この国に昔から伝えられている言葉です」


 その存在について説明を始めたクレア、それに追随して捕捉をしたのはカトレアであった。


 どうやら、この場に居るイミト以外の人物は、バンシーという名前に聞き覚えがあるようで。脅威の質としては同種の認識を抱いて居るらしく、一様いちように真剣さを声ににじませている。


「だが実際の目撃情報は少ない。バンシーと遭遇した者のほとんどが、あの村人共のように魂を抜かれて死に絶えるのでな」


 それは不正確な民間伝承による未知の揺らぎ。朧気おぼろげに語られ、増長した不吉や不安がりなす感情の結露。バンシーという名ばかりが先走り、実態の掴めぬ亡霊の如く暗雲を心に持ち運ぶ。クレア達の口ぶりから存在は確かに居るらしいが、事の真偽も含めて何かもが情報不足で信じ難い。


 正確に把握できない存在の認知にイミトが戸惑うのを他所に、


「でも、バンシーの被害の特徴である【】が聞こえなかった。ホントに、バンシーの仕業?」


「い、今からでも道を変更する事は出来ないのでしょうか。もしも本当に相手がバンシーであれば、姫の命が危険にさらされてしまいます」


 彼女らは己の目の前で議論を重ねていく。

 イミトは腕を組み、小さく息を吐いた。


「——崖を飛び降りて正規ルートで行くのか? 刺客も居るかもしれないのにデュラハンの馬が和平交渉に向かう姫を乗せて歩いてると宣伝しながら」


 どちらにせよ、選択肢は多くない。実際、クレアもバンシーという存在の危険性を認知しながら現在進行形で馬車に乗り、廃の隠村へと首切れ馬の足を進めさせているのだから。



「そ、それは……そうかもしれないが。また別の移動手段を探すとか——」


 しかし唯一、と食い下がったのはカトレアである。守るべき姫の為、わざわざ危険の臭いの濃い場所に向かうのはこのましくないとさやに納められた剣を握りながら何とか凶兆のきらめく村を避ける名分を探す。


 されど、

「カトレア。私を心配してくれているのは解ります。ですが、その村に生き残りが居るかもしれない。国に認知されていない村の人間だからと放ってはおけません」


「姫……」


 守るべき姫が己の使命感を胸にともせば、そのあかりを吹き消す事も容易ではない事柄で。


「ま、そうなるわな。とはいえ、デュラハンの馬車を見て生き残りが姿を現すかは難しいんじゃねぇかな……」


 イミトも薄々そうなるのだろうと予見していたかの如く息を漏らし、呆れ気味に小窓の外の景色に目を配るに至る。


 そして、再び辿り着く住民を失った沈黙の隠村。


「クレア様、村が見えてきました」


「各々、魔力感知は鋭くしておけ。生き残りを探すと同時に敵への警戒を強めるのだ」

「ずいぶん警戒してるな。それほどの敵なのか?」


「知らん。我とて、バンシーとは実際に相まみえた事が無いのでな」



「「「……」」」

 デュエラの報告を機に、一層に神妙さを増す馬車の車内。カトレアは剣のつかを握り締め、セティスは覆面を深く被り直す仕草、マリルティアンジュは両手を祈るように組み直す。


「取り敢えず、姫とカトレアさんとセティスは村人が死んだ原因と、この村の人間の素性を調べてくれ」


「了解」


「……分かった、仕方ない。そちらは?」


「俺達とデュエラは、周辺の警戒と探索だ」


「デュエラは超感覚と高機動だからな。一番、索敵さくてきの範囲が広い。そっちに残すセティスは魔力感知の精度が高いから姫の護衛にも適任だろ」


 そしてイミトは馬車のソファーから腰を上げ、クレアの頭部を抱えながらこれからの行動についての指揮を率先して。事態に対し、もっとも効率よく現実的に思えるその施策に異を唱える者はいない。


 しかし傍ら、左腕に抱えられる最中、

「——本来であれば、我らはカトレアを連れて行きたかったのだがな。バンシーが現れるかも知れん以上、姫と引き離すのも容易ではあるまい」


「あ、おいクレア‼」

 クレア・デュラニウスは徒労とろうの息を吐くように唐突に目論見をさらし、イミトを驚かす。


 彼女には思惑があったのだ。


「……どういう事だ」


 チャキリと揺れて鳴くカトレアの剣のつばさや。クレアの漏らした当初の目論見に対し、身の危険と姫に迫る危機を察知したカトレアが声を重くするのは自然な事だった。


 だが、それを知った上で彼女には思惑があったのである。


「良かろうよイミト。状況も状況……ここは姫の手を借りた方が速かろう」

 「——まぁそれもそうだが……乗ってくれる気がしないんだよな」


「なんだ。一体、何の話をしている」


 開き直ったクレアの声色に引きずられ、諦めの肩落とし。イミトは気晴らしの如く顔を斜め上に向けて頬を掻く。カトレアには、未だ彼らが何を企んでいるのか分からなかった。



 すると、クレアが明かすのだ。今度は明確に目論見が伝わるように。


「我らは貴様の中に潜む魔物に用があるのだ、カトレア・バーニディッシュ」


「ま、今後の憂いを解消する為にな。最悪、カトレアさんを殺す事になるかもしれないが」


「なっ——⁉」

 二人で一人のデュラハンは阿吽あうんの呼吸で酷く冷静に思惑を告げていく。


 カトレアが動揺する事は無理からぬ事だった。


 ——彼らは彼女を【】と気も楽々と言ったのだから。


 しかし、カトレアが次の言葉、反応を表す前に意外な人物が声を発する。


「——それは……カトレアの中に居る魔物が再び暴れるから、という解釈でよろしいのでしょうか」


 騎士であるカトレアに忠誠を捧げられ、臣下を想うマリルデュアンジェ姫である。

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