第26話 廃の隠村。3/5


 その森は、巨大な崖の上の高地にあるにも関わらず陽光に煌く、深緑の清々しい森の息吹を感じさせる。湿り気の薄い空気は清浄で、透き通っているようであった。



「本当にこっちの方角であってる? 結構な距離」


 そんな森の中を掻き分けて進む三人。実質、その中で足がある内の一人、セティスは顔を覆う覆面から漏れる特殊な呼吸音を鳴らしながら傍らのイミトに問いかける。


「デュエラの歩幅で近くだからな。でも、そろそろだろ」

「……」


 男は黒いマスクをしていた。モゴモゴとあごを動かす様を左腕に抱えるクレアの奇妙な頭部に奇妙な目で見られながら。


 そして彼らは辿たどり着く。


「——確かに。人が整理したような道」

 「足跡もあるな、ここに死体があったみたいだ」


 人間の生活が垣間見える通り道、デュエラのくつが踏んだのだろう新しい足跡と成人した人間ほどの大きさの【何か】を少し引きずったような跡もあって。



「という事は、アッチの方向に村がある——んしょ」


 恐らくは、デュエラが倒れていた人間をこの先にあるという村に運んだのであろうと一行は考えた。そしてセティスは本格的な調査を始めるべく腰の後ろに巻いていたかばんから道具を取り出す。


「それは何ぞ、セティス」


 四角く薄い長方形の箱と、そこから伸びる一本の触手のようなひも。紐の先に付いている細かく文字の掛かれた金属がクレアの興味をそそって。


 イミトはそれを、まるで電気屋が電力を検査する計器のようだと思っていた。


「これは周囲の魔素を採取して細かく調べる道具。空気中の瘴気の濃度や異常をきたした魔素が無いかを詳しく調べられる」


 そしてそれはおおむね的中しており、セティスは計器の紐の先にある金属で周囲の空気を探り始めた。


 その頃合い、

「ほう。そのようなものがあるのか、ん——」

「どうした、イミト」


 文明の利器に感心するクレアを他所に、イミトは腰を地面近くまで降ろし、ある事に気付いていた。セティスが空気中を調査する最中に彼は地面にそっと触れていたのだ。


「あ、いや……ここら辺だけ、地面が湿って泥になってんだよな」


 これまで歩いてきた森にも空にも、肌に纏わりつくような雨の気配が無かったにも関わらず、押せば簡単に指が沈むほどに柔らかい地面。よくよく考えてみれば、デュエラの足跡を容易く見つけられたのは足跡が残る場所が一寸いっすんほど深々と沈んでいたからだ。


 そして足跡は、村がありそうな方向まで明確に残っていて、イミトには、それが異常に思えて仕方が無かったのである。


 しかしながら、

「死体が小便でも漏らしたのであろう。その右手で我に触れるなよ」


 クレアには、それが大した脅威とは思えない。イミトの右手の指に付いた泥を横目に些末な事と断じながら呆れの吐息を吐き、彼女は別視点の脅威に嫌悪を告げて。



「どんだけの量の小便が溜まってたんだよ……畜生、そう思いつつ凄まじく手を洗いたくなってきた」


 イミトは眉根に酷いしわを寄せて怪訝けげんな顔つき。右手を軽く振って泥を振り払う仕草。


「空気中に魔素の異常は感じられない。その土も調べてみる?」

「尿か、どうかも分かる」


「……ああ、有難いな。神にでも祈りたい気分だったんでね」



「それで、あっちが村って訳か」


 そうしている内、空気中の調査を終えたセティスが気を利かせると肩が凝ったようなイミトは首の骨を鳴らし、行くべき道を見据みすえる。


 暫く歩くと、デュエラの言ったように小さな集落のような村が見えてきた。

 人工の規模は二、三十人と言った所だろうか。木造建築の簡易な山小屋が幾つも通路を挟んで並び、畑や家畜を放牧していただろう柵も見て取れる。



 そして何より、確かに人が居た。過去形として生きていた。


「なるほどな……何となく、デュエラの言っていた意味が分かった」

 「うん。普通に暮らしてて、突然に命を落とした感じ」


 村の人々は畑の作物の収穫や乾物を製造する作業や、はたまた日向ぼっこでもしていたのだろう。その村の皆が突然に息を引き取ったように、死に足掻あがけた様子もなくその場で倒れ、村の中は静寂に閑散としている。


 明らかに——異常。正常ではない惨状。


「……ただの人間のようだな。このような脆弱な者たちが何故にこのような土地で」


「初めての人間の集落で心踊らせたい所だが、若干の腐敗臭で吐き気をもよおすね。死んでからどのくらいだ? 二日……とか三日か?」


 イミト達は、村の入り口の柵付近で倒れている二人の前にかがみ、様子を探る。


 一人は男、恐らくこちらがデュエラの抱えてきた最初に見つけた死体なのだろう。

 柵にもたれ掛かり、他の死者と比べれば不自然な格好である。


 もう一人は女だった。畑で採れた野菜を運んでいた途中だったのだろう、地面に散乱する干乾びた野菜と共に突然と命を吸われたが如く瞳孔どうこうが開いたまま、そこにあって。



「ここの死体の周りも泥になってるみたい。さっきの土と同じく水の魔素が過剰に集まってるんだと思うけど」


 そして、セティスは死体の傍らに屈み、またも魔素を検知する機械を用いて調査を始めようと言葉を放ちながら金属を泥の地面に突き刺した。


 だが——、

「——ふむ。急ぎ戻るぞ貴様ら。デュエラ達と合流する」


 唐突に何かを決断したようにクレアが声を放ち、指示を出しセティスの手を止める。


「? ……私は、もう少しここで調べたいから後で合流。その為に来た」

 「ならぬ。この症状には心当たりがあるのでな」


 その時のクレアの様子は、普段とは少し違うものだった。まるで強敵と対峙したような真剣な瞳、かもす雰囲気は神妙。



「全員で行動した方が良いって訳か」

「——了解した」


 そのクレアの判断も相まって、事の深刻さを察したイミトとセティスは、それ以上の異を唱えずにクレアに従う事にした。



「では戻るぞ。さもすれば奴らの方が危険かもしれぬ」


 こうして先陣を切った住民が謎の死を遂げた廃村を背に、一行は一度体勢を立て直すべく他の仲間と合流する道を選んだのである。



 静かにクレアが呟いた『危険』という言葉をしばらく耳に残しながらに。


 ——。

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