第23話 アウーリア五跡大平原。3/3


「まったく……戯言ばかりで一向に話が進まぬ……そろそろ仕度を始めるぞ。貴様らも、あまり長居はするなよ!」


「「はい」なのです!」


 それからのクレアは、もうウンザリだと早かった。イミトが椅子に座ったのを見届けて髪の刃を解きほぐし、美しい黒髪の長さを元に戻しながら黒い塀の方へと顔を向けてセティスとデュエラへと告げた。


「それでどうするんだ?」


「イミト。貴様、姫の馬の骨を綺麗に取っておったろう。アレを持ってこい」


 もう彼女も、ウンザリだった。長らく続いているアウーリア五跡大平原に流れる平穏な茶番がデュラハンとして性に合わないと腑抜ふぬけた元凶のイミトの言葉を無視し、命令口調で会話を避けて。


「ん、待て。アレを使う気か? 砕いて馬骨でスープでも取ってみようと思ってたのに」

「ひっ⁉」


「……貴殿ら」

「もう戯言は要らぬ。早う持ってこいと言った」



「いや、だから食材としてだな……まぁ良いけどよ」


 それは例外なくカトレアやマリルティアンジュに対してもそうであった。よって、さしものイミトでさえ彼女に普段通り言葉で食って掛かろうとしたものの、クレアの表情と憤前ふんぜんの活火山の静けさの如き雰囲気を感じ取り、頭を掻いて指示に従う始末。


 そして——それを僅かにカトレアも察したらしく、彼女は仕えている姫をおもんばからない無礼な態度を残して去っていくイミトを糾弾きゅうだんする事は無かった。


 だが、それでも——なのであろう。


「クレア殿。貴殿らが手段を問わず目的を遂行しようというのは解る。しかし——」


 言わずには居られない。傍若無人なイミトに対して唯一に近く強い影響力のあるクレアに対し、暗に遠回しに気を遣うように諫めてくれと言おうとしたのである。


 けれども、


「ふん。気に入らぬなら去るか、戦うかであろう。無理強いはしておらん」


 その言葉の先に居る者もまた、唯我独尊。カトレアの要請を鼻息で突き返し、挑発めいた文言を言い放って瞼を閉じる。


 カトレアは、己の無力と二人のデュラハンに対するいきどおりで拳を握った。


 その時——その場に居たもう一人が身を震わせて声を上げる。


「……よ、良いのですカトレア。今は何より調印式に間に合うかが重要。確かに彼らの言うように襲撃を受けた以上——私の持つ印が、本物かもしれないという可能性が高まりました」


 マリルデュアンジェ・ブリタエール・ツアレスト。

 ツアレスト王国の王族の姫君は。王家たる責務を全うしようと従者である騎士カトレアの服のそでを掴み、悩ましげな瞳を揺らめかせる。


「失敗すれば、もっと多くの民と命が争いで苦しむことになるのですから」

「姫……」


 その意気は——、一見すると弱々しく儚げだった少女が魅せた強い意志。

 王族の威光。祈り、願い、夢。


 カトレアは、その強い意志にすべからく忠誠を尽くす他は無いと、クレアらに放とうとしていた諫言を名残惜しそうにしつつも喉奥に引っ込め、代わりに尊意そんいを声で漏らす。


 だが、やはりと言うべきなのか。


「おう。その調子で行ってくれ、いつまでも雨上がりを待つような顔じゃ、こっちが滅入めいっちまうからよ。それとカトレアさん、姫の視界を塞いでくれ」


 外様とざまの彼らにとっては他人事。ズカズカと神聖静寂な空気を踏みにじっていくように大きな荷を抱えながらに不躾ぶしつけで無神経な声を放つイミトが戻って来ていて。


「‼——……ああ……そうだな」

 そんなイミトの態度に、カトレアは姫のおかげで忘れかけていた怒りを思い出し、キッとイミトをにらんだが、直ぐに彼の言葉の意図する所を理解し、姫の視界からイミトが抱える荷物を立ち位置を変えて見えないようにした。


 それは——、


「ほらよクレア。どっかの馬の骨だ、結構な重さだぞ」


 昨日、イミトがマリルティアンジュの目の前で解体し食肉へと加工した馬の遺骨。

 ドスリと重い、束ねられた亡骸は意思なくテーブルの上に置かれ、それぞれの胸に想いの欠片を呼び起こす。


 その感情は、様々なのであろう。


 マリルティアンジュ姫やカトレアは言わずもがな、


「……ふむ。すべて揃っておろうな」

「ああ。元から折れていた前足の欠片までな」

 クレアやイミトの思惑も錯綜さくそうし、黒い魔力は溢れ出す。


「ならばよい。始めるぞ」


 ——そうして時は、またも行き過ぎて——


「——湯上り。さっぱり」

「ふひゅー……なんだか肩の力が抜けたのですよー」


 セティスやデュエラが風呂から上がり、各々の髪や頬の雫をタオル地の布で拭き歩く頃合いにまで至り、


『ブルルルシュ……』

 その何処からともなく聞こえたる獣のいななきは、平原の片隅に再び芽生えていた。


「「ん?」」


 風呂上がりの黒い塀から扉を進み、場の仲間と合流した二人は、真っ先に視界に入った見覚えの無い黒い獣を見上げて声を漏らす。


 されどその獣は、獣と言うにはいささか命を感じさせない風体であった。


「骨を基軸に我の魔力で生成した首切れ馬よ。これならば道中早かろう」

「なんというか裸足で逃げ出すレベルの不吉さだな」


 ——首の無い体だけの馬。首から上の切断面も体表と同じく漆黒の彩、しかし息づく命の鼻息は確かにそこにあるようで、勇猛に巨躯の身を震わせる。


「凄いのです‼ この動物様に後ろの物を引いてもらって旅をするので御座いますか?」


「しかもかなり凝った造形の馬車、巨大。二階建て?」


 恐らく彼女らの語る首切れ馬の後ろに控える馬車も、クレアの魔力で作ったのだろう。色合いこそ黒で統一されているものの、燭台の二か所も馬車の扉も小窓も、凹凸によって太陽の光を反射し複雑な色合いを帯びていて。


 しかしそれでも、クレアは語る。

「生前の白き美しい姿とは言えんがな。マリルデュアンジェ、詭弁きべんではあるが貴様の愛馬の最後の旅路だ。遠慮せずに乗るが良い」


「……」


 首切れ馬の原型である遺骨。それはマリルティアンジュの愛馬シャノワールの物。

 白い体毛も、金のたてがみも黒く染まり似て非なる佇まいではあるが、確かに残る面影にマリルティアンジュは来た唇を噛みながら服の胸に付いたブローチを握り締め、憂いの瞳で見上げるばかり。


「首切れ馬の伝説は聞いた事があったが、まさか本当に目の当たりにするとは……」


 そんな姫の傍ら、彼女を気遣い姫に肩を寄せて呟くカトレア。


 様々な想いがカトレアとマリルデュアンジェの中で巡る中、その起因となった言葉を放ったクレアは小さな息を吐き、二人を置き去りにするように淡白に次の言葉を吐く。


「貴様らも、いつまでも呆けてないで積み荷を乗せ始めよ。このつまらぬ平原を早う抜けるぞ」

「は、はい‼」


「了解。直ぐ仕度する」


 ——馬に対して感傷に浸る二人はそっとしておけ。

 そう、暗に示すような空気感で場を進め、クレアは瞼を閉じたのである。

 そして同時に、傍らに近づいてくる足音も感じる。


「……お前って、ホントにハイスペックだよな」

 「ふん。マスコットとは言わぬだけ成長したようだ」


「自分で言ってりゃ世話無いけどな」


 イミトもまた、二人を見守るっているような声色。遠く——紙の中の御伽話を眺めるような瞳の表情の口元には己を自嘲じちょうするような笑みを浮かべていて。


「——貴様も早く準備をせんか、馬鹿者が」

「へいへい……」


 けれどその事に目をつむったクレアの一言で、イミトも彼女らに背を向け歩き出す。

 そして最中——

「……姫、大丈夫であらせられますか?」

「ええ……でも、もう少しだけこのまま……見させてください」



『ブルルルシュ……』

「はい……仰せのままに」


 小耳に届く、想いの重さに肩を凝らし、イミトは首の裏に手を当てて空を見上げた。

 イミトは——小さく、とても小さく息を漏らす



「……。ふぅ、どうしたもんかね」


 こうして長らくと身を置いていた気さえするアウーリア五跡大平原を一行は旅立つ事になる。先に吹き抜けていった一陣の風が、何処に向かうかも知れぬまま。


 ——。

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