第23話 アウーリア五跡大平原。2/3


 そうして更に時は行き過ぎ、


「あーサッパリした。所で、何個か気になる事があるんだが」


 「その前に服を着ろ。また耳障りな悲鳴を我に聞かせる気か」


 布地で髪の雫を拭き取るイミトに、クレアが溜息を吐き、彼の素行を遠回しにいさめて。


「上が裸の方が落ち着くんだがな……その方が楽だし」


 風呂上がりに一杯の水をすする道中、チラリと横目で彼の帰還を待ち侘びていたカトレアやマリルティアンジュを見つめると彼女らは自分から視線を逸らしている。



 寛容さの無い世の常に息を吐きながらイミトは魔力によって服を作り出し、身を包んだ。そして、近くにあったテーブル前の椅子に腰を落として熱い湯に当てられて溜め込んでいた疲労感の息を吐いたのである。



「んで、この平原の事だ。綺麗な湖と見通しの良すぎる地形なのに何で村の一つも無いんだ? 野菜が普通に自生してるくらい土も肥沃ひよくだし、おかしくないか?」


 それから話し始めたのは、彼いわくの気になる事。周辺の穏やかな気候に目を配りながら不意に浮かんでいた疑問を口にして。



「今更それを聞くか。さんざ腑抜ふぬけて遊んでおったくせに」


 確かに今更——その問いにクレアが呆れ果てるのもまた必定。


 しかしながら、

「……ごほん、イミト殿は東方から来られて、この辺りの歴史や地理には詳しくないと見受ける。この平原はツアレスト王国の領土管轄下にありますが、いささか複雑な理由がありまして」


 クレアに任せてばかりでは、また話が言い争いから横道に逸れかねない。ここまでの経緯でそう学習していたカトレア・バーニディッシュはわざとらしいせき払いで二人の間に割って入り、クレアの代わりにとイミトの問いに答えようとした。



 けれど、けれど、

「ん。ああ、東方ね、東方。そうなんだよ、着の身着のまま流れ流され国の事情なんかは確かに詳しくない」

「……白々しい」


 カトレアの放った文言に、自らが彼女らをたばかる為にこぼしていた虚言を失念していた事を思い出し、意図しない横槍を入れて苦笑い。そのあからさまに飄々ひょうひょうと見せた笑いに、彼が東方からではなく異世界から来た事を唯一知るクレアはボソリと声を漏らす。


 これは——都合が良くない流れだ。

「それで? ここに人が住まない理由ってのは?」


 イミトは自らの失態を誤魔化すべく足早に疑問を再沸さいふつさせ、口調を早めて無理矢理に話題を元に戻した。だが、幾許いくばくかの違和感は残ったのであろう。ジッと、そんなイミトの様子を眺めて声を殺すカトレアとマリルデュアンジェである。


「ドラゴンよ。この辺りは奴らの回遊領域になっておるのだ」


 すると、見かねたクレアが助け船の如く、ため息交じりに言葉を紡ぐ。


「ドラゴン……憧れの食材一位だな。魔物か?」


 イミトからすればまぎれもない渡りに船。共犯者を得たとクレアに浮かべた悪辣な表情は、いたずらっ子に見える程の無邪気さで。



「いや、普通、とは言えぬが動物だ。トカゲと同じよ、あんな者ども」


「くく、イメージだと筋肉の塊だから肉は固いだろうな……煮物が良いかな。爪に毒とかもありそうだし解体も骨が折れそうだ」


 仕方なしと言った大人びた風体のクレアを他所に、失態を救われたと思うと同時に沸いた興味心を嘘偽りなく声で漏らす。


 それが——彼女らの疑念の意識を引きずり出す話題だと知りながらに。


 敢えて、口にしたのである。

「ど、ドラゴンも……食べるおつもりなのですか?」


「姫様、それは私が全力で止めます」


 愛馬の解体、食肉への加工——過去にイミトの手によって目の当たりにさせられた惨劇の光景を思い起こされたマリルデュアンジェは震えあがりそうな腕を抑え、怯えの滲む青ざめた表情を浮かべて、カトレアに凛々しく体調を気遣われる。


 カトレアは、キッと元凶であるイミトを睨んだ。


「不要な争いは避けて頂きたい。ツアレスト王家とドラゴン族は古来より深きつながりがあるのですから」


「持ち帰って善処しとく。面倒な奴らなのは分かったよ」


 それも含めて、イミトの思惑通りと言っても過言では無いだろう。彼女らの中には既に、イミトが漏らした『東方の生まれ』という虚言のすきを突く余裕など無かったのだから。


 そして、話は本筋——アウーリア五跡大平原における危険性の話へと向かうと思われたのだが——。


「それで? 今回、ドラゴンと遭遇する確率はあるのか?」


 その話題の始まりであるイミトの疑問に答えたのは、しばらくの間、静観というより静聴していたセティスであったのも問題の一つだったのかもしれない。


「ゼロ、だと思う。今は回遊期じゃなく産卵期だから」


 イミトが風呂に入っていたという黒い塀の向こう側からようやくと声を上げて話題に参加し始めたセティス。彼女らは、今——風呂に浸かっている真っ最中。


「そうなので御座いますかー、確か山奥の誰にも見つからない聖域で子育てをするので御座いましたよね。昔、ハハサマから聞いた事があるのです。みゅー……熱いのですー」


 これまで川の水で体を洗う程度の経験しか出来ない環境で生きてきたデュエラも、初めての湯船に溶け込まれるような快感を味わっていたのだ。



 すると、風呂に入るのは裸体と相場が決まっている世の常か。


「けしからん乳などお湯の中に溶かすべき。もっと熱くする」

「ひゃー‼ セティス様、駄目なのです、近づいちゃ‼」


 同じ年ごろの娘が抱く成長具合のねたみかそねみか、悪いふざけかの、乳比べ。


「目が合わなければ問題ない。私はアナタのけしから乳しか見てない」

「「「……」」」


 黒い塀の向こうからの音響に、溜息を吐いたクレア以外が微妙に居心地の悪い座り心地のような表情でソワソワと息を飲む。


 しかしその中でイミトは意を決し、何事も感じぬように椅子から立ち上がろうとした。それは、この場で唯一の男子であるという言い訳にもならぬ礼節と矜持きょうじだったのかもしれない。


 そして——、


「さて。もうひと風呂浴び——るか」

「「そこを動いたら、斬る」」



「ですよね」

 彼は太古よりのお約束であるかのように両手を上げて柄が握られたカトレアの剣と、クレアが髪を操り作った黒い刃に降伏を表しながら、ゆっくりと椅子に剣先を向けられている腰を戻しゆく。


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