第20話 絶望の果てに立つ者たち。3/3


「向こうは、まぁ……何とかなって居そうではあるな」


 一方、イミトが平原には似つかわしくない奇怪に設置された黒い厨房近くに戻るとセティスも座るテーブルの上からクレアが声を掛けてくる。


「ああ。デュエラが残ったからな、アイツも……何というか凄い奴だよ、色々」


 肩の荷の下りた様子で首の骨を鳴らし、テーブルの端を指でなぞりほこりが無いか確かめるイミト。後方にある姫一行に再び目を流し、想いを馳せて安堵の吐息。


 するとそこに、

「それより。私もお腹、空いた。早く」


 セティスが割って入る。彼女はスプーンとフォークを持つ両手をテーブルに置き、覆面の顔を持ち上げてイミトを見上げていた。


「半日前まで熱で倒れてたようには見えないな……いい加減、その覆面外してくれないか? 顔が、すこぶる気になる」


 そんな彼女の子供っぽさ溢れる態度の要求にほとほと呆れながら、些かバツが悪そうに言葉を返すイミト。セティスの覆面を取りたくない言い分には理解を示しつつも、未だ諦めきれていない呪いの解けたセティスの素顔の観察。


 けれど、

「……恥ずかしい。それに、元々の顔に傷跡があって醜いのは変わらない、から」


 やはりセティスは素顔を見られるのが嫌らしく、スプーン等を持ったままに両手で覆面を抑える仕草。彼女も表情こそ見えないが、幾分か申し訳なさそうだった。


「は、クレアより美人だとは想像してないから安心しろよ」

 「くだらぬ世辞よ。人如きの尺度で我を語るなど」



「美人な事を否定してそうでしてないな」

 「……さっさと食事の用意をせよ」


 そんな彼女は鼻で豪気に笑い飛ばし、イミトはクレアと会話を交わしながら厨房に置いていた鍋の下に向かう。


「ほれ、カレーだ」

 そして赤いドロドロした液体で皿を満たし、セティスの前にパンの入った籠と共に置いた。

「ゴクリ。」

 覆面の覗き穴のガラスをくもらせる湯気と共に香り立つ、様々な香辛料の強烈な香りと——根野菜のいろどりに生唾を飲むセティス。キュウとなる胃袋。


「……後ろ、向いていて。食べられない」


 セティスは、またも申し訳なさそうにそう言った。スプーンをテーブルに置き、食事を阻害する覆面を外す為に後部こうぶへ手を回せど、顔を見たがるイミトがジーッと凝視していたからである。


「あ? ああ……面倒な奴が多い事で」


 安直な企みを失敗した舌打ちに悪意は無く、とても小さい。故にイミトは素直にセティスの指示に従い、テーブルに備えられていた自分の椅子も動かしセティスから背を向けさせる。それから自分の分のカレーの用意を始めた。


「これは——どう食べるのが正しい?」


「好きに食えよ。パンとカレーを交互に食べても良いし、食べやすいように千切ったパンにスプーンでカレー乗せて食べても良いし、皿の中にパンを突っ込んだって良いさ」


「……じゃあ、スプーンで乗せて食べる。平たくて薄いパン」


 そして会話をしつつ用意の終えたイミトは椅子に座り、背後で迷い動くセティスの気配を感じながら息を吐いて。


「俺も食うか——トマトの酸味強めで辛さは抑え目にしたけど、初めてのクレアには刺激が強いかもしれないな」


 そこから説明を加えつつ傍らのクレアを横目に、スプーンをカレーが満ちる皿へと差し込んだ。


「ふむ。辛さか……酸味は分かるが確かにそのような感覚は知らぬ」


 すると、考え込むクレア。一見すると神妙な様子ではあったが、


「だが! だからこそ食らうが良い‼」

 刮目した眼光が煌き、白と黒の髪がブワリと波立つ。クレアもまたカレーという料理に興味津々の様子であった。


「じゃ、俺は味見で味は知ってるけど、もう一度そのままで行ってみるか。味覚の共有しても良いぞ」


「頂きます、っと」

「「「……」」」

 そしてセティスとイミトはまるで示し合わせていたかのようにカレーを同時に食し、その味を嗜んでいく。


「? ふむ、果実とはまた違う酸味っぽさは感じるが、別に辛みというもの、は——⁉」


 初めに感想の声を上げたのはイミトと味覚を共有するクレアであった。しかし懐疑的な始まりからの衝撃、クレアは言葉を詰まらせる。


「むう……こ、これは」

 流れる冷や汗、紅潮する頬。眉根をしかめ、両脇から交差し口を塞ぐ白と黒の髪。


「苦手か? 俺としては、もう少し辛味が欲しい所だが」


 クレアの表情の変容に咀嚼をしながら顔色を伺っていたイミトの声。


「……いや、様々な野菜や肉、ふむ。幾多もの香辛料が複雑に交わり合ったかと思えば、程よい酸味の波がそれらを押し退け、ヒリヒリとする辛味とやらが遅れて輝き出したようだ」


 しかしすぐさまクレアは心を整え、凛々しく瞼を閉じカレーの感想を並べていく。


「悪くは無い。むしろ、その複雑さが興味を引き好奇心をくすぐられておる」

「そうか。次はパンと一緒に食うぞ、酸味と辛味は食欲をそそらせる」


 そんな饒舌で満悦が滲む表情をイミトは、いつもの如く茶化さない。言葉通り、空腹による食欲のせいもあったのだろうが、何処か嬉し気で。


 そうして振り返らないようにパンを手に取って一口大に千切り始めた頃合い、



「——……昔、焦げた下手くそな料理を作りながら師匠が言っていた」

「ん?」


 おもむろに放つセティスの静やかな声が空気を裂いて。


「いつか——毒地帯の暗雲が晴れたなら、世界の色んな食べ物を探しに旅をしようって」


「私に、色んな物を見て、楽しんで、欲しいって……」

「「……」」


 唐突な思い出話に華を咲かせるようにイミトとクレアに想いを馳せさせる。セティスが思い出していた過去の情景、継ぎ接ぎだらけのローブを羽織る師匠マーゼン・クレックが焦げた料理に苦笑いをしているさま


 そして楽しげなイミトとクレアが料理の感想を語らい合う先ほどの姿。


 陽の沈み行く平原の赤き夕景に、セティスは茜色の空を見上げた。


「クレア、さん。イミト——」


「綺麗な景色がまた見れて、美味しい御飯が、また、食べれた」


「ありがとう——本当に」


 夕日気味に染まる蒼白な髪が揺らぎ、目尻から溢れ出る涙の雫は感謝と惜別。額の十字傷と顎から頬に延びる一筋の傷跡には幼げな彼女の人生が滲んでいた。


 しかし、絶望の果てから一歩踏み出し始めた美しい笑顔がそこにはあったのだ。


「からくて、涙が出るけど、美味しい」

 すぐさま俯き、平たいパンで顔を隠したもののそれは、とても印象的な表情で。



「——ふん。この程度でみっともない事よ」

 クレアは、そうはうそぶいて悪態は付けど、本心ではないように瞼を閉じる。


 そしてイミト、

「……つらいもんだな。食わせがいのある奴が多いってのも」


 彼は途中だったパンを千切り、夕陽に切なげに呟きながらパンの欠片をひとかじり。カレーを付けるのをどうやら忘れていたようである。


「イミト様ぁ、姫様方にお水を用意して欲しいのです」

「あいよー。セティスも飲むか? からい、だろ?」


 後方から聞こえたデュエラの声が救いであるようにイミトが立ち上がり、厨房に置いていた水差しを取りに行く。


「うん——飲む」

 セティスは頷いた。服の裾で顔を拭いながらに。


 ——絶望の果て——


 ——師の死を憂いていた覆面の魔女は、改めて師の死に対峙し。

 ——女騎士は多くの仲間を失い、その生を愚弄されて、歪な命を取り留めて。

 ——全てを失いかけ残酷な現実と光景に打ちのめされた一国の姫君は、未だに温かいスープすらを食べられないでいる。


 やがて果てより一歩を踏み出した覆面の魔女は、未だ過去を背負いながら世界を改めて見つめる。


 果ての先の先——、とばりの降りる夜の予感に更なる絶望を想いながらも、今そこにある希望の味を忘れぬようにを大事に飲み込んで行くのであった。


 ——。


 そして共に同じ道行くデュラハン達は、傍らに水差しと器が三つ入った籠を持ち、先へと進む。


「時にイミト。貴様も無論、気付いておろうな」


 道すがら感傷にひたるセティスを気遣い、イミトに抱えられたクレアが唐突に問い詰めて。


「あの仮面の女の事か? 多分、アルキラルと一緒にカトレアとの戦いを見てただろ」

「そしてもう一人よ」


「ああ。ルーゼンビュフォアがお前の宿敵の側に付いた可能性があるって話か。中身が無い殻に包まれたような独特の気配だからな、数くらいしか分からないが」


「それだけ解っておるのなら十分だ。否応なしに我らは姫側に着くが吉であろう」

 「後手後手だな……まさか、こんなに早く俺達を狙ってくるとは思わなかった」


「ふん。先手の些末な予測を覆すのが後手の楽しみ所よ……我らならば容易に出来よう」


「我らと言ってくれるかよ。頑張り甲斐に胸が躍るね」

 「それにしても、個人的に気になるのは——あの仮面の女だ」


「かなり嫌な予感がする……なんか後ろから頭をぶん殴られそうな気分でな」


 イミトとクレア。少なくともこの時——イミトは暗躍する影たちに、途方もない戦いと惨劇の予感を感じていたのであった。



 ——断頭台のデュラハン~絶えかけの姫君と覆面の魔女~

                        続。

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