第20話 絶望の果てに立つ者たち。2/3

 ——。

「という訳で、」

「ゴハンの時間なのですよ、姫様方!」


 イミトとデュエラの二人は、各々に野菜スープの鍋とパンの入ったかごを持ってマリルデュアンジェ姫とカトレアの下へと足を運んだ。


「「……」」


 何処となくほがらかなイミト達を警戒する二人を尻目に、彼女らが座っている場所の近くに鍋を置き、視線を動かすイミト。


「スプーンと皿は、ちゃんと拭いてくれたみたいだな」


 目に付いたのは、彼女らに洗浄を指示していたマリルデュアンジェ姫の旅の積み荷にあった食器類。それらの様子を確かめると、イミトは少し満足げで。


「どうする? ここで食べるか、俺達と一緒に食うか?」


 そして彼は足下に置いた鍋の傍らに立ちあがり腰に片手を当て、選択権をほうるように、もう片方の手を軽く差し出して姫と女騎士にそう尋ねた。


 しかし、

「イミト殿……食事の用意してくれたところすまないが……」


 大平原の未だ沈み切らぬ太陽の下にあって暗雲立ち込めている粛々神妙とした雰囲気のカトレア。そしてそのカトレアの服の袖を掴むマリルデュアンジェ姫。

 暗に示される食欲の喪失。大勢の仲間を失った悲劇当日の自粛ムード。何より、イミトが危惧していたように愛馬の変わり果てた姿を見る予感。


 そんな雰囲気が二人の周りの空気には蔓延まんえんしている。


 けれど、

「お前たちの料理は道具から何から何まで馬の肉の油すら触れないように気を遣って手間が掛かってるんだ。出来たら俺のろうをねぎらって欲しいね」


 そんな事は想定済みと蹴飛ばすが如く、カトレアの言葉を言葉で蹂躙じゅうりんしたイミトは鍋のふたを開け、改めて鍋の中身を掻き回す。


「……そう思うなら姫のお気持ちも察しては頂けないだろうか」


 カトレア・バーニディッシュ。忠義に厚い彼女の拳が表すように不快極まりない様子をえにえ、カトレアは軽々なイミトの無配慮を諫める。


 それでも、

「察してるさ。だから言ってんだ、無理してでも食えってな。馬の肉を無理やり口にねじ込まれないだけ感謝しろ」


 イミトは揺るがない。しかし淡白な眼差しと口調は何処か白々しく、本当の顔を隠しているようである。ヒリつく空気にカトレアは頭に血が昇るのを感じた。


「貴殿という男は……‼」

 「カトレア! やめて!」


 再沸する激情、怒り。前のめりに立ち上がろうとしたカトレアはマリルデュアンジェ姫が服の袖を掴んでいなかったならば躊躇ちゅうちょなくイミトの胸ぐらを掴んでいた事だろう。


「食わなきゃ人は死ぬんだ。テメェは姫様に死んで欲しいのかよ」


 だが、仮に胸ぐらを掴まれていようとイミトはその言葉を続けていたに違いなく、


「そんな事は言っていない。時期を見ろと、私は——」


「姫様もだ。アンタが飯を食わなきゃ、お優しいコイツも気とかいう奴を遣って飯を食わないだろ。それでいいのか?」

「……」


「貴様……‼」

 喧嘩腰の言い争いは続き、いよいよと開戦が迫る。


 ——そんな折だった。

 「それ以上はダメなのですよ! カトレア様! お引きください‼」


「イミト様も! ワタクシサマ方はゴハンのお誘いに来ただけなので御座いますでしょう?」


 慌てたデュエラがあいだに割って入り、懸命に喧嘩を止めに入る。


「——ああ、まただな。悪い癖が出た、悪かったよ」


 イミト側に振り返った際に揺らめいた顔布から覗かせた真剣な瞳に気圧され、過去を思い返してバツが悪そうに俯き頭を掻くイミト。


 そしてイミトを完敗させたデュエラは次にマリルデュアンジェ姫を顔布越しに見つめ、言葉を続ける。


「ワタクシサマ……姫様のお気持ちも解るので御座いますよ、多分なのですが」

「大切な方々が死んでしまって……寂しくて、辛くて」


 胸に両手を当て、俯き、祈るように。


「涙が止まらなくて体に力が入らなくなって……動けなくなって、えーっと——」


 けれど彼女にも言葉が足りない。


「自分にもっと力があれば、とか。あの時、自分に何か出来てればとか、余計な事をしなければとか色々考えるんだろ?」


 そんな記憶の中の言語表現を探るデュエラを補填ほてんしたのはイミトだった。

 さりげに横から言葉を流し、掻き回していた鍋に蓋をする。



「は、はいなのです……イミト様もそういう事があったのですか⁉」

 「……後悔って言うんだよ、そういうのは」


「生きてれば、大小それぞれ色々とあるんだろうさ」


 自分の思考の先を行かれ、驚いたデュエラのいななきに細やかな微笑みで返すイミト。呆れながらの表情ではあったが、デュエラの頭に置いたてのひらには、かつて教示を受けた気配もあって。


「「……」」

「それで、デュエラ。だったら何で、お前も俺も生きてるんだろうな」


 彼は黙すカトレアとマリルデュアンジェ姫を再び他所に、鍋の前に腰を落として今度はデュエラへと問いを向ける。


「生きるなんて腹も減るし、辛い事とか面倒な事ばっかりなのによ」


「ワタクシサマは……殺された母の生きてという最後の言葉を守りたくて……それから勿論、母を殺したアイツら方に復讐する為、です、ます」


 挑発めいた気怠さで楽しげに皿を一枚手に取って、お玉ですくう野菜のスープ。耳にするデュエラの答えに想いを馳せながらに。


「ふふ。イミト様は?」


 すると今度はデュエラの番。茶化すような純朴な少女は軽々と高い敷居を飛び越えて、触れられぬ琴線を弾く。


「……死なせたくない奴が居るからさ。いや……理由をもう一度、探してみたくなったから、かな。だから飯を食って明日も生きる。」


 けれどイミトは変わらなかった。少し言葉を躊躇ためらいながら、イミトは答え自嘲気味に笑ったのである。僅かな感情のさざ波に、スープの水面を揺らがせながら彼は皿に優しくスープを注いで。


「ほれ。味見しろ、デュエラ。特別に、先に食わせてやる」


 むしろ感謝を示すが如くデュエラへとそれを差し出す。僅かに薫り立つ湯気が皿から立ち昇り、ゴクリと鳴るデュエラの喉。


「えへへー、やったーなのです。顔の布を半分だけ上にあげますね」


 飲んだつばよりも期待できる味の予感に胸がおどり、恥じらいながら顔を隠しメデューサの呪いを防ぐ顔布の前髪をかき上げる様にまくって、スープ皿を受け取るデュエラ。


 すると次にイミトが銀のスプーンを彼女に贈った。

 「スープのベースは玉葱がメインだな、塩やら他の調味料で味を整えてる。中に入ってる丸いのは小麦粉を固めて団子にして食感が楽しめるよう他の野菜を小さく混ぜ込んでる、まぁ肉の代わりだ。キノコと野菜ばっかりじゃ味気ないしな」


 そして料理の詳細な解説を始めたイミトだったのだが、


「はうわぁー、胡椒がピリリとしていますけど優しいお味なのですー、ゴロゴロ野菜も柔らかくて、この白い丸いのもモチャモチャと初めてで楽しみなのですよー」


 もはやデュエラは話半分、蚊帳の外でスープを啜り、食材を頬にしまい込んでいて。


「……別に俺を信用しなくても良いし、好きなだけ恨めばいい」


 イミトは満悦な様子のデュエラを穏やかに一瞥し、その感情を引き継いだままに姫と女騎士に視線を流す。


「でもな。テメェらにも、まだ死にたくない理由が一つでもあるなら今は食っとけよ」


 そして直ぐに新たな皿を取り、スープを注ぎ始める。

 当然、マリルデュアンジェ姫とカトレアの分である。


「腹が減ってフラフラな奴を守るのは、こっちもリスクが増えるからよ。俺達と一緒に居る間は、しっかり食え。気分悪くなって吐いたとしても食え、不味くても食え」


 先にマリルデュアンジェ姫へ。


「死んだ奴をとむらうのは生きてりゃ幾らでも出来るさ。だから姫様はカトレアさんの足手まといにならない為に。カトレアさんは姫をちゃんと守る為に、今は食ってくれると有難い」


 次にカトレアにもスープを手渡し、紡いでいた言葉も締める。


「毒が入って無いのはデュエラで証明済みだ。皿もスプーンも、洗ったのはお前らだし安心だろ?」


「「……⁉」」


 そして追伸の如く、去り行く背中越しに彼女らに振り向いて言葉を添えて驚かす。策謀に溢れる悪辣な笑みは、やはり楽しげで。


「じゃあ、俺はセティス達の分を用意しに向こうに行く」

 「デュエラはしばらくそいつらと飯食ってろ。飯は沢山で食べた方が美味しいんだろ?」


 通りすがりにスープに夢中のデュエラの頭を撫で去りながら悪童の無邪気さを振り撒いていく。


「……はい‼ 了解なのですよ、あ‼ で、でもワタクシサマはカレーも食べたいので御座いますよ、イミト様‼」


「へいへい、ちゃんと用意しとくよ」


 団子を急いで飲み込んだデュエラが思い出したように焦って見送り、ついでに要望を述べると、イミトは気だるげに片手を振って立ち去っていった。


「「……」」

「ささ、お二方様も、スープが冷めない内に食べると良いのですよ」

 突風が去った後の如き顔を浮かべていた二人に、デュエラの勧め。呪われた眼を顔布で隠しながらも僅かに

 唇が潤う笑みにカトレアとマリルデュアンジェ姫は顔を見合わせて。


 そして、手元のスープに各々、目を落とすと、


「……姫、お先に頂かせて頂きます」

 カトレアは決意したように姫に伺いを立ててスプーンでひとさじ、スープをすくった。


「——これは、美味い」

「カトレア……」


 そこからスープが喉を通るや、カトレアの手元の野菜スープが突如として輝き出したかの如き反応を表情に浮かべ、不安げに見つめていたマリルデュアンジェ姫の視線を再びスープへと落とすに至らせる。


「イミト様は神様を楽しませられる程に料理がお上手なのですよー。凄い料理の作り方を沢山、知っているのですー……もみゅ、もみゅ」


 波紋。皿を満たす黄色に近い半透明のスープに写り込んでいる己の心が揺らぐ。そんな最中に遠慮なく団子をたしなむデュエラ。


 そして——

「姫、あまり無理はなさらぬよう……それでも、私は——少しでも食べて頂けたらと、願っております」

「……」


 忠誠厚きカトレアの声が姫の中で溶けていった。


 ——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る