第9話 故に、生く。4/4


 クレアが言葉を唱え終えたのを契機に蓄積された魔力が爆発的に溢れ、天へと吹き出す黒い煙。それは広がったデュエラの【空歩】の足場へと落ち、新たな形へと変わっていく。


「うおぉぉぉぉお‼ デッケぇ……」


 ——巨大なおおかみであった。イミトが倒したものより遥かに大きく、毛並みも銀と思える程に美しい白狼はくろうである。


「こやつらには悪いが、使い捨てさせてもらおう」


 イミトがその狼の誕生に受けた衝撃を他所に、クレアが淡と語る。


「何をするんだ? 空は飛べなさそうだが」


「デュエラ、貴様も後から乗ってくるのだぞ」


「は、はい‼」


「おい……少しは説明を」


 しかしまたも説明をはぶき、空歩の範囲を広げ更に苦境に立たされているような表情のデュエラに告げるクレア。そのクレアの言葉、【】が気になるイミトである。


「黙っておれ。体は暫く我が操る、それで万事解決よ」


「嫌な予感しかしない、んだが……な」


 けれどやはり、そうなった。勝手に動きだした体、狼に近づきながら全身を鎧が覆っていく。きっと、あの巨大な狼に跨がるに違いない。


「クレア、俺にも兜を被らせてくれるか」

「……? 何ゆえよ」


 そう思うと、ふとイミトはそんな事をクレアに頼んだ。


「理由は聞かないでくれると有難い。強いて言うなら振り回されて首が痛そうだ」


「よかろう。では——行くぞ‼」


 そしてイミトの顔もクレアとお揃いの鎧兜に覆われ、二人の体は白狼の背に飛び乗る。


「【駆けろ、群集大狼‼】」


 ——。


「ふふふ……荒っぽい降り方するわね」


 鏡面きょうめんに映るは、跳び上がった白狼が分裂し幾多もの小型狼が空から大河の如く落下し始める景色。空中にて狼が狼を踏み台に地へと降りている様は壮観そうかんかつ残酷。イミト達が乗る一匹を生かす為の群れは己の使命、種の使命を何一つ疑うことなく全うしていく。


 そんな様を眺めながら、心底しんそこ愉快そうに酒を一口舐めたのは彼らをその状況におとしめた女神、ミリスであった。


「神ミリス、ルーゼンビュフォア様を無事に地上へと送り届けて参りました」


「ありがとうアルキラル。彼らと違って正規のルートで送ったのだから、まぁ問題は無いでしょうね、ふふふ」


 帰還した己に振り向き、微笑んだ神の傍ら空中の鏡面に映る景色をアルキラルは一礼の後にジッと見つめた。映るのは、イミト達の乗る白狼を追うデュエラの姿。落ちる狼の群れをくぐり抜けながら空中を駆けていく。


「……彼らは堕とされたのですね」


「心配? あの子なら、大丈夫よ。アナタが教えた龍歩が役に立っているわ」


「おたわむれを……私は、何も教えてなどいません」


 懸命な様を冷静な顔で伺うアルキラルに口角を小さく持ち上げたミリスが感情を尋ねると、アルキラルは悟られまいと瞼を閉じる。空中にて、カシリと繋がったイミト達とデュエラの手を見ないようにするようでもあった。


「そう。アナタは……ね」


 それを受け、テーブルに片膝を突き意味深く呟くミリス。


「彼も勘のいい子よね。まさか、あんな突拍子も無い推理をしてしまうんだもの」

「……」


 片手の中で揺らぐ日本酒の水面、楽しげに感想を漏らすミリスの様を横目に、アルキラルは再び鏡面のデュラハンたちを眺める。アルキラルの瞳に、今度は慣れた様子で同族を踏み付け、空を駆け降りていく白狼に身を委ねるイミトの鎧姿。


「アナタも付き合いなさいな、アルキラル。祝福に酒は付きものよ」


 すると、横から差し出されたのは空っぽのガラスのコップ。


「はい——感謝を尽くします、偉大なる神ミリス」


 かしづくアルキラルへ受け取らせたそれに、とくとくと注がれていく澄んだ透明な日本酒。とても静かな空気感の中で、微笑むが如く器が満たされていって。


「ふふ、子等の魂に穏やかな日々が続かんことを」


 片手で小さく掲げたミリスは、乾杯の音頭がてらに言葉を送り、アルキラルもそれを受けて冷静な顔のままではあったが神にならいい、器を掲げる。


 ——カラン。空気に浸透する接吻が如く器同士の衝突音と時を同じくして、


 鏡面の中のイミト達は地上へとようやく降り立っていた——。


 ——。


 「あー、死ぬかと思った。次があったら【デス・ソース】喰らわせてやる」


「なんぞ、甘美な響きであるな。それはどのような技だ、イミト」


 久方ぶりの地上を恋しがるようにかがみながら、神に毒づいたイミトに対しかたわらでひれ伏す忠実な白狼の頭に乗る頭部、クレアが好奇心をくゆらせる。


「……味覚を暫く消し飛ばして悶絶させる技だよ」


 疲労感。イミトは雑草を下敷きに腰を落とし、右手を後ろに突いてガクリと首を項垂れさせ、強い辛みを持つ調味料について面倒げにそう説明。


 因みに語れば、【デス・ソース】とは酒場の帰らない客を平和的に追い返す為に、とある国とあるバーテンダーがチキンに激辛のソースを塗り、これを完食出来たらまだ遊んでいてもいいとゲームを持ちかけたことがキッカケで生まれたものである。


 酒好きのミリスにはぴったりのものであるのかもしれない。


「あー、疲れた。デュエラ、お前も怪我は無いか?」


 そんな与太話は置いておき、再びイミトは天に向け恨み言を吐いて、近場に座るデュエラの様子を伺って。


「は、はいぃ……今更ながら腰が抜けただけで御座います、です」


 彼女もすこぶる疲れた様子であった。へへへ、と笑い安堵も告げる。


「所でイミト、貴様も気付いておるか?」


 そんな折、クレアが尋ねた。時間が来たように白狼がイミトの下へクレアを運び、頭を差し出す。そういう事なのかと、クレアの質問を前に白狼の意図を汲むイミト。


「何のことだ?」


 クレアを受け取って質問の意味を問い返しつつ、役目の終えた白狼の頭を右手で撫でてねぎらうイミト。少し狼は誇らしげで嬉しそうであったが銀に近い白の毛並みからくゆり始めた黒い煙が別れの時を知らせるのだ。


 天へと昇る黒煙、今度は魔石すら遺さない。


「この場所の事だ」


 白狼の消失。それを見送り、切なげなイミトにクレアが再び問う。


 すると、

「ああ、さっき空からも確認してる。あの腐れ神のことだ、何かあるんだろうぜ」


 心新たに問いに答え、背伸びなど軽いストレッチを行い始めるイミトである。


「な、何の事であります、です?」


 一方、彼らの意味深い会話を受け、デュエラは不安げで。これまで以上の騒動がまた巻き起こるのかと案じる始末。無論、動きたくないと祈るが如く彼女は地面にへたり込んだままであって。


「ここが貴様の故郷のジャダの滝近辺では無いと言う話よ」


 しかし、現実をクレアが語れば別の意味で彼女の顔色は蒼白になるのだろう。


「え——……っ⁉ ホントで御座います、ですか?」


 ある意味、彼女にとっては大事件である。不思議と今の今まで気付かなかったが、彼女達の居る場所は森では決してなく、近くに森が見えるものの山岳に囲まれた風薫る草原地帯のようであった。遠くを見渡そうが、あの途方も無く巨大なジャダの滝すら確認できない。


 イミト曰く、空からすら影も形も見つけられなかったのだろう。


「しばらく、バジリスクとは会わなくて良さそうだな、デュエラ」


 困惑する彼女に皮肉めいて楽観的にイミトがそう投げかける。


「……」

 するや、彼女は当ても無く途方に暮れて唖然としていた心を一度取り戻し、二人のデュラハンを茫然と見つめた。すがるような金色の眼にも見えた。


「ふん。戻る道が分かるまで、神の問答の答えなど出さなくてもよいわ」


 クレアの言う通り、彼女が思い出していたのはミリスの言葉である。


 ——行くべきか、戻るべきか。恐怖が滲み始めるデュエラの胸中。


「デュエラよ、貴様が今考えるべきは一つ」


「今、我らと共に行くか、独りで行くか。そこだけであろう」


「後先など、後で考えればよい」


 そんな彼女の胸中をまたも察してか、イミトに抱えられる鎧兜のクレアは選択肢の上澄みだけを掬い、彼女に突き付ける。重厚な口調ではあったが、それはミリスの言葉より遥かに浅く、そして深い、デュエラの心を軽くするものであった。


「クレア様……し、しかし、ワタクシサマはメデューサで——」


「俺たちはデュラハンだろ?」


 何よりも、恐れながら口にした言葉を塗り潰すイミトの言動。


「——……行ってもよろしいので御座いますの、でしょうか」


 デュエラの心は既に決まっていた。草原に膝を落とし、項垂れた彼女はそれを確かめるべく胸にグッと手を当てる。


「ワタクシサマは、お二人に付いて行ってもよろしいのでしょうか‼」


「好きにせよ。我らの行く道などロクなものでは無かろうが」

 「全く以って。なんせ、これから眼鏡の神様に八つ当たりに行くんだからな」


 そして思いの丈を訴えられた彼らもまた、答えが決まっているようである。どころか、話は既に決着が着いているが如く次の話を進めてすらいる。


「ふふん。それが我は楽しみでたまらん。どのような戦い方をするのやら」


「きっと勇者みたいに神の力を与えられた仲間を引き連れてくるぞ。魔剣とかな」


「それはそれで一興。返り討ちにしてくれる」


 やがて訪れる時を想い、いずれ来る祭りの季節を語らうように。

「……クスッ」


 不謹慎に楽しげな二人に、デュエラは心惹かれて微笑む。神をも恐れぬ豪胆さが、やはり羨ましくも思えていた。目尻に浮かぶ涙は、つらさ故に溢れたものでは無いのだろう。


「お、お二方様! こ、これから、よろしくお願いするのです‼」


 ——生きる。深々と勢いよく頭を下げたデュエラは、涙を拭いた笑顔で決意出来ていた。


「「……」」


 ——生きる。慟哭の中で、クレアもイミトもそれぞれにそれを想う。


「さてと、それじゃまぁ……生きますか」


 死なせたくない者が居る。彼らには、それだけだった。それだけしかなかった。


「あ、イミト様。クレア様はワタクシサマが持ってもよろしいです、ますか?」


「ああ、そうだな。頼む」


「き、貴様ら‼ 我を荷物扱いするでない‼」


 ——故に、生く。


 草原を、荒野を、山々を、街を、海を、すべからく、世界を。

 生きていく。断頭台に立つ、その瞬間まで——生きていく。



「そういやクレア、お前……俺の昔話、聞いてたろ?」


「……何の話か分からんな」


「同情して神様に救済を求めてくれるかと思ったが、お前も冷たい奴だよな」


「ふん。あの程度の与太話、そこらに転がっておろうて」


「はは、そんなに俺と離れたくなかったのかよ。嬉しくて涙がちょちょ切れるね」

「な——‼ そんなわけなかろうが、このボケが‼」



「ドブロフスッ⁉」


「い、イミト様⁉」



        ——断頭台のデュラハン。転生編


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