胎動編

第10話 そこから新たに。1/4


 山々に囲まれた木々生おいしげる周囲の景色の中、ポツリと空いた丘の上で男は煙をいていた。


うさぎ……みたいなもんをさばくのは初めてなんだがな」


 自然の作り出した丘にしては場違いな黒地の厨房ちゅうぼうに向き合い、小さな角の生えた獣の死骸と向き合う男の名は、イミト・デュラニウス。一度死んだはずの彼は死後の世界にて、この世界で発動された転生魔法に巻き込まれた末に異界で旅人として新たな人生を送っている。


 否、送り始めたばかりである。

 彼の現在の境遇は、まさに数奇であった。


「イミト。貴様、あまり我らを待たせるなよ。我は別に食事などせんでも良いのだ」


 不服そうに彼に語り掛ける凛々しい女性の声こそ、数奇と表せる代名詞。彼女はデュラハン、首と胴が分かたれた希少な魔物の一体で尚且なおかつ失われた体の代わりにイミトの体を奪おうと試みて失敗した、今は頭部だけの存在。


 ——名は、クレア・デュラニウス。

 イミトと魂が結合してしまった美しいデュラハンの騎士。


「イミト様、ワタクシサマに手伝えることがありましたら」


 そしてメデューサ。金色の瞳と褐色の肌に蛇模様が刻まれ、イミト達には効かないが目が合った他者を石に変えてしまう呪われた力を持つ一族の少女、デュエラ・マール・メデュニカ。


 彼女はイミトが昼食の支度をする厨房の様子を興味深そうにオドオドとうかがいつつ、クレアの言葉の後に自信なさげに続く。


「そうだな……さっき見つけてきた香草をり潰しといてくれるか? 道具はそこに用意してあるから」


「は、はい……えっと……」


「ああ。そこの器に草入れてその棒で潰しといてくれ。こうき回しながら、な」


「は、はい! なのです‼」


 デュエラとはジャダの滝と呼ばれる荘厳そうごんな滝のある森で出会い、旅は道連れと流されるままに旅を共にすることになった間柄である。如何いかんせん森の中で幼子の頃から隠れ育ち、世間や文化とは隔絶された環境で育った彼女は世間知らずで、ましてや異界で習得した知識を用いて行うイミトの料理支度を彼女が知るよしも無い。


 それに遅ればせながら気付いたイミトが、言葉に加えて身振り手振りで工程を説明するとようやく不安げな彼女は理解したと鼻息を荒くして。


 懸命に黒いばちで香草をつぶし始めたデュエラを見てイミトも微笑む。そして彼は意を決したように改めて、まな板の獣の死骸と向き合うのだ。


 さて、そうなるとひまな者が一人。クレア・デュラニウスである。


「鹿とか烏とかならさばいたことあるんだがな……」


「何をもたもたしておる。さっとやらんか、さっと。魚は手早かったであろうが」


 片手で死骸である獣の毛並みを探りながら包丁を向かわせる先に迷うイミトに、じれったくその様を眺めていたクレアは語り掛けた。


「簡単に言ってくれるよ、全く……まず内臓を取り出すだろ、そこから首を落として」


「ええい、じれったい。八つ裂きにしてしまえばよかろうが‼」


 鬱陶うっとうしいクレアからの横槍に、イミトは投げやりな気持ちに落ちつつも、これからの解体の手順を小さな動きで反復し、しかと頭の中に計画をえがいていく。


「馬鹿言うな。丁寧に調理しなきゃ気分も味も悪くなるんだよ」


「暇ならそこの器に水魔法かなんかで水を溜めといてくれ」


 そして、ひとしきり。想像の中で作業を終えたイミトは、クレアの頭部の傍らに黒い半球状の器を置き、素朴に言った。


 しかし、

「何を言うておる、我は水魔法を使えんぞ」


 クレアが豆鉄砲を喰らったような顔で言葉を返す。それはイミトにはあまりに予想外であった。火と風の魔法、豊富な知識、それらを実際に使う様を間近で見て、万能と思えていたクレアのその一言がイミトの脳裏に不思議と馴染なじまなかったのは、獣の解体に夢中になっていたからでは無いのだろう。


「……おいおい。何を言ってるんだ、ハイスペック・マスコット」


「その呼び名は止めよと、申したぞ! このタワケ‼」


 禁句とされていたクレアに対する敬称を思わず口にしたイミトに、クレアは自身の白と黒のマダラ髪を操る力を用い、拳の如く固める。


 行おうとしている事は明白であった。


「マジカ⁉」

 殴り飛ばす、イミトの顔。驚きの中でクレアの頭部から伸びる攻撃を受け入れつつ、さりげに包丁をまな板の上に置いていたイミトは物の見事に黒い厨房から少し離れて地に倒れ込む。


 それでも、

「……マジか、お前が水魔法を使えるって前提で料理を考えてたんだが」


 さしてダメージは無かったように直ぐに起き上がり、彼は嘘くさく片頬を撫でながら頭を悩ませる。


「一応聞くが、デュエラは水魔法……」


「磨り潰す、磨り潰す——」


 ちなみにと、薄い可能性に賭けて別の仕事を頼んでいたデュエラの方を見るイミトだったのだが、デュエラが呪われた金色の瞳をきらめかせて作業に没頭する様を確認し、言葉途中で溜息に変えて。


「また焼き料理だな……塩と香草でやれば形にはなるだろ。余裕があったら先に煮込んで獣臭さを消したかったんだがな」


 立ち上がり、何事も無かったように厨房へと戻るイミト。


「そのくらいで良いぞ、デュエラ。焚火の様子を見といてくれ」


「え、あ……ハイ、なのです!」


 道すがらデュエラへ改めて声を掛けた彼は、このまま液状になってしまいそうなデュエラが持つ器の中身を心配し、次の指示を適当に与え、自身も改めて包丁を握る。


 そして——、

「旅するにしても最低限の旅支度を整えたいもんだが、ここは一体何処なんだか」


「神様ってのは、どうも気配りが足りねえよ」


 腹に一刺し、恨み言を漏らしつつ彼はようやく獣の腹に包丁の先を入れる。まるで自分たちを森深い山々に囲まれた現在地へと堕とした神に八つ当たりでもするかのようであった。


「ふん。あのような輩どもに期待したところで何になると言うか。あの腹の黒いミリスの事だ……この近くに何か企みがあるのであろうよ」


「そうならそうと正式に伝えて欲しいもんさ。この掌の上で踊らされている感たるや」


 包丁の腹を伝い、流れ出る赤血せきけつ。あらかじめ首筋を刈り絶命させていたとはいえ、さながら血袋のようである。クレアの投げやりな言葉を受け答えしながら裂いた獣の腹にイミトは指を入れ、【】の様子を触覚で探る。


「確かに腹は立つが、しかし伝えられたところで神ごときの頼みなぞ、我が聞かぬことは貴様も知っておろう」


「まぁそうなんだが……しかし水が手に入らないのは厳しめだぞ。どうしたもんか」


 そしてそれは皮肉だったのだろうか、指越しに掌全体に纏わり着いた液体を力強く地に払い、邪険に扱うイミト。水滴は刃の後が如く一本の赤い筋にて地をいろどって。


「ふむ……何処ぞに地下水脈は流れているのだろうが」


「お水なら、あちらの方で湧いているのをんできましょうか?」


 さて話は彼らの会話へ。水を求めるデュラハン達の会話を聞き、話に割って入ってきたのはデュエラ・マール・メデュニカであった。焚火の様子を見終えた彼女は何の気なく四方森に囲まれる状況下で、何の迷いもなく、とある方向へと指をさす。


 すると、

「「……」」

 キョトンであった。二人で一人、一人で二人のデュラニウス。唐突なデュエラからの提案に言葉を失う。


 そんな間だったのだが、卑屈なデュエラには余計なお節介で二人の気分を害したと思わせてしまったのだろう。


「あ、ごめんなさいです!」

 反射的に謝るデュエラに、顔を見合わせたるデュラニウス二人。


「いや。なぜそれが貴様に判るのだ、デュエラよ」


「え、えっと……水が流れている気配がしますから、ですが」


 まずはクレア・デュラニウスが先鋒せんぽうを切って問うと、返ってきたのは至極不可思議に「何でそんな事を訊くのか」と言わんばかりのかしげ顔。


 それを受けてイミト・デュラニウスが続く。


「よし。試しに、これに水を汲んできてくれるかデュエラ。魔物とやらが居るかもしれないから気を付けてな」


 血濡れた右掌に黒い渦巻きを宿し、少し大きめの水筒を形作る。魔力を物質に変換する力——、元々はクレアが持ち、クレアと魂が半分繋がってしまったイミトが習得した能力。


 黒い厨房も包丁も、この能力で作られているものである。


「は、はい、急いで汲んでくるのです、ます!」


 イミトが片手一杯で持った水筒を両手で抱えて受け取り、デュエラは満面の笑みで使命を請け負う。そして彼女は一礼し、イミト達に背を向けて走り出していった。



「魔物が居たらちゃんと逃げて来いよー」


 デュエラが用いる魔法、空中に足場を作り、空を駆る【龍歩りゅうほ】と彼女が呼ぶ魔法の便利さと瞬く間に移動していくデュエラの脚力を目の当たりに、イミトは大声で声を掛けた。


「……解るか、クレア」


 しかし心は別の所。背後にしてかたわらの頭部に問うは、デュエラの直感に対する感想。


「いや、かいもく見当も付かん」

 「だよな。メデューサ族の特技とかなんだろかね」


 デュエラが進んでいった先の森を見渡そうと、彼女曰く【】などは微塵みじんも感じることが出来ない。考えても仕方ないかといった風体で、後ろ髪引かれるようにイミトはクレアの居る方向に振り返る。



 というよりも、

「知らんというておろう。だがアヤツの言うことが本当ならば水不足は解決する」


「それで貴様は何を作るつもりだったのだ?」


 厨房に未だ横たわる獣の死骸に向き合ったのだろう。包丁を再び手に取り、まな板の上に添えるように置いて。


「蒸し料理だよ、道具は無くともデュラハンの便利な力であらかたの道具は作れるからな」


 裂いた腹に手を突っ込み、内臓を引きずり出しながらイミトはクレアの問いに答える。そして半ば疑心を抱えるクレアを他所に、デュエラの勘に賭けたイミトは次に右掌をかたわらへとかざし、まな板の横に寸胴の蒸し器を作り出す。


「……我の高尚な力を無駄に使いこなしおって」


「で、その蒸し料理とは火を使わぬ料理なのか」


 しかしクレアにはよく解らなかった。首と胴が離れて存在するデュラハンとは本来、食事を採らないのだ。そんな彼女に料理に対する知識があるわけも無く、イミトが作り出したものがどんな道具かなども知る由も無い事ではあったが、恐らく器用な事をしているのだろうと彼女はイミトに問う。


 けれど、その問い——。

「いや? 普通に使うよ、水をお湯に変える時に出る蒸気で調理する料理だからな」


 なぜ、そんな事を口にするほどに疑問に思ったのか、不思議に思うイミト。そんな感情を滲ませながら答えると、次にクレアが納得した様子をかもしつつもイミトの心中、不思議の霧を晴らすように新たな疑問を口にする。


「ふむ。しかし、その鍋……否、我の魔力で作った物体にいかにして火を通すのだ」


 「……んー?」


 鍋、というものとは似て非なるものなのであろうか。不足した知識に自信なく言い回しを気にしたクレアが言い放つ。無論、イミトが気になった表現はその先のものである。


「生半可なそこらの火では人肌の温もりすら、それらは通さんぞ」


 クレアは知っていたのだ。鍋というもので湯を沸かしたり、食材に熱を加える事くらいならば知っていた。知っているが故に、気にする、気になる、イミトの技術——異界の知識。


「——にわかには信じ難い便利さで涙が出るね」


 しかし、イミトは知らなかったのである。デュラハンの余りある魔力の有能さを。

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