第7話 罪と功罪。4/4


「あら? 料理はどうしたのかしら、まだ休憩するほど働いてないでしょ?」


 一区切りついた様子の突然の彼の再来に、ミリスが不思議そうに尋ねるや、彼は未だひざまずいたままのデュエラに目線を落としつつ、こう答える。


「材料調達に行って貰うんでね。その前に嫌いなものでも聞いておこうかと思ったのさ」


 ポケットから取り出した右手で後頭部を押さえ、遠くに目線を向かわせる。取り敢えず、デュエラの有様は見て見ぬふりする事にしたようだ。


「私は特に無いわよ。あ、お酒も用意するように言っておいて、日本酒が良いかしら」


「さぁな。生憎、『お酒は二十歳になってから』が座右の銘でね」


 しかしながら、どうにも居心地の悪い環境にミリスの返答と質問返しを雑多に返したイミトは、小さく息を吐き、再び彼女に向き合う事にしたのだった。


「所で……なんでデュエラは跪いてるんだ?」


「イミト様……」


 デュエラの前に腰を落とし、かがむ。真正面から彼女と見つめ合うと、デュエラがたまらずチラチラ目を泳がして。するとイミトも思考を巡らす表情で首を傾げ、彼女を視界から外した。次にイミトが視線を移したのは、テーブルの上のクレアにである。



「ふん。ソヤツの母の裁判をした者がルーゼンビュフォアとやらでは無かったという話よ」


「ああ……なるほど」


 そしてイミトを見もせず、横から事実を端的に語らってきたクレアの言葉を聞くや、イミトはおおむねの状況を理解したらしく首を項垂れさせてから立ち上がる。


 想定出来ていた悪状況より酷いものでは無かった安堵、というよりは呆れているといった様子であった。


「気の利いた事、言ってあげたら?」


 故に、皮肉めいたミリスの言葉と表情を興味なさげに彼は受け入れて。



「……言葉なんてねぇよ。たぶん、何も響かないのさ」


「死ぬことだけが、最後の希望なんだ。そうだろ? デュエラ・マール・メデュニカ」


 他人事の如く自分事を語るような口調で、イミトはデュエラを見下ろしそう言った。



「…………」


 返ってくる言葉は無く、胸を貫かれたと言わんばかりの視線だけがイミトの心に向けられて。そして諦めて肯定するように、デュエラ・マール・メデュニカは頭を垂れる。


 その様はまさに、断頭台に首を差し出して死を懇願しているようであった。


 しかし、彼女を裁くものなど未だなく、居るはずも無い。


「ま、強いて言うなら俺の飯は残さず食ってから死ねってくらいだ」


 声ひとつで一息ついた罪人は悪鬼羅刹あっきらせつとは程遠い表情でそう語り、格好つけて鼻で嗤う。


 ——すると、であった。



「——ふげっ⁉」「——ふげっ⁉」「——ふげっ⁉」



 その場に居た三者三様、様々な角度から見ても見事と言えるタイミングと勢いで、突如としてイミトが蹴られ押し倒される。


 蹴ったのは彼女、執事服を着たミリスの天使であった。



「……こらこらアルキラル。良い雰囲気の所、突然」


 唐突なアルキラルの行動に、呆れた様子で諫めるミリス。それでもやはりティーカップ皿に備えられた銀の匙で、軽やかに紅茶を掻きまわす辺り、大して怒る気も無いのであろう。



「申し訳ありません。しゅの試練の最中に女を口説く不遜ふそん不埒ふらちだと判断いたしました」


 そんなミリスにも丁寧な謝意を口にするアルキラルには確かな忠誠心こそ伺えたのだが、しかし言葉とは裏腹、彼女の体はイミトを蹴ったまま未だ動かない。


「手加減はしましたので、こちら……下げて頂けますかデュラハンの頭部様」


「果たして、我の体を足蹴にする罪より重きものがあろうか」


 何故ならば、クレアの白黒髪が伸び、刃の如く幾つも突き付けられていたからだ。クレアの瞳孔の開き具合と、アルキラルの喉元で鈍く光る黒い刃の鋭さが彼女の怒りを明確に表していた。


「「……」」


 睨み合う両者。まるで戦争直前の雰囲気。それでもミリスは紅茶を啜り、待ち合わせをしているかのように佇んだままであって。



「あいたた……許してやれよ、クレア。おかげでデュエラが泣き止んだ」


 無論それは、アルキラルの蹴りが殺意を持って放たれたモノでは無かったことも一因なのであろう。腰を押さえながら体を起こすイミトが、大した驚きも無いままにクレアへ向けて刃を引くようにそう言った。


 イミトが言うように、デュエラだけがあたふたと驚き、どの状況から片付けるべきか困惑して、悲しみを何処かへと置き忘れてしまった忙しない佇まいである。



 それでも——もはやクレアの怒りは引かないのだろう。


「そのような事は知らぬ……我の機嫌の良し悪しは、にぶい貴様とて既に分かっておろう」


 侮辱を嫌うクレア・デュラニウス。彼女なりに耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、満を持して轟々と燃え上がった業火の如き怒りは、今まさに凄惨たる姿で花開かんとしていて。



 しかし、だ。


「んー。けど、少なくとも今は待ってくれねぇか。そいつが居ないと、料理の材料がそろわないからな」


 気持ちはかいせど水を差さねばならない、イミトは困り顔でガサツに頬を掻く。そして鎧の左腕で今もアルキラルの喉元に突き付けられている髪の刃を恐れることなく掴み、クレアに真っすぐに微笑みの瞳を向ける。


 その時の事、



『別件で聞きたいこともあるし、よ』


「——⁉」

 クレアの脳裏にイミトの声で響く言の葉。それは、クレアが魂で繋がるイミトと語る時に用いる魔法のような特技であった。イミトからそれを用いクレアに話しかけたのは初めての事であり、彼女は少々面を喰らった顔を見せた。



「……よかろう。貴様の腹が減っておる事も知っておる。今回は我が折れよう」


 それから暫く、衝撃の余韻が通り過ぎた後でイミトの言葉を再び思い返し、まさしくイミトの顔に免じた様子で渋々と息を吐いて瞼を閉じ、刃となっていた怒髪を解き梳く。



「だが、二度は無いぞ。羽付きの貴様」


 そして、再び開かれた双眸そうぼうで流し目気味にクレアが言った。


「……記憶しておきましょう」


 クレアの言葉を受けたアルキラルは執事服のえりを正しながら言葉を返し、ひと段落、事なきを得た雰囲気。しかし、クレアもアルキラルも腹にイチモツ残しているように互いに互いの姿を瞳に映し、とても冷ややかに険悪な因縁を刻む。



「じゃあ、さっきのメモに書いたのと日本酒を用意してくれ」


 それを知りつつ、イミトが話を進めるや、


「あ、日本酒は私の棚にあるものを持ってきてね」


「多分だが、ビールも用意してた方が良いぞ」


「そうなの? じゃあビールはサーバーで用意しといてくれるかしら」


すすめといてなんだが、全力で飲む気だな……大丈夫かよ」


 存在感を消していた空間の主であるミリスも続き、またもクレアやデュエラの知らぬ話を交わしていく。


「はい。直ちに用意させて頂きます」


 それらを受け、アルキラルはミリスへ一礼し一歩後ろに体を引いてから、命令を果たすべく後方に現れた光の中に消えていった。


「っと……じゃあ、俺は有り物の材料で下準備でもしとくか」


 そして、ぐーっと背伸びをしつつアルキラルを横目に見送り終えたイミト。雑念を振り払うべくこれからの行動を口にし、ミリスへ顔を向ける。


「マツタケは炭火からでいいよな」


「ええ、お願いするわ。七輪もあったわよね」


「確認済みだ。あんまりそこの二人をイジメないでくれよ」

「ハイハーイ」


 これからの計画を一応とミリスに伺い立て、イミトは厨房へ歩き出した。それを見送るミリスが手を振り、にこやかに会話が終わる。すると少しの間を置き、おもむろにクレアがイミトには聞かれたくは無いと案じつつ、慎重に声を発する。


「……座れ、デュエラ。乳飲ちのみ子でもあるまいに、いつまでも泣いておるな」

「は……はい、なのです」


「——我が無神経であった。すまぬ」

「……」

 諦めをかかえ床に居たデュエラが椅子へと戻る最中さなかの謝罪、デュエラは少し虚を突かれ言葉の味を噛みしめた表情。



「……いえ、クレア様が謝る事は何も無いので御座います、ですよ」


 小さく笑み、彼女は椅子に腰を落とす。いつわり、では無いのであろう。ただ謝るべきは自分なのだと両ひざに手を置きうつむいたデュエラはそう思っていたのだ。


 そして——、

「あ、そうだクレア」


「⁉ なんだ貴様、はよう下準備とやらをしてこんか‼」


 再び自分のせいで険悪な雰囲気になりそうな状況に、イミトが再来したことは、この時のデュエラにとっては、ひとすくいの救いであって。



「いや……その前にこの腕の鎧、外してくれよ」

「——……馬鹿者が」



 きっと罪人は、その功罪を愚かしく、偶然の神の御業みわざのたまうのだろう。


 ——。

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