第8話 誰が為に振る舞うか。1/4


 厨房に戻ったイミトは椅子に座りながら鼻歌を歌っていた。向かい合うのは小さな寸胴鍋ずんどうなべ、何やらが一つ沈み、それはイミトと共に静かに時を待つ。



「……気楽なものですね。神の試練の最中だというのに」


 そんな折、彼の背後から僅かになげきをにじませ声を掛ける銀髪の執事。女神ミリスの忠実なる天使、アルキラルである。


「気楽なもんかよ。昆布こぶの旨味は沸騰ふっとうさせずに採るべきなんだよ、火の取り扱いを舐めんなよ」


「そうですか。それはすみません」


「しかし、まさか神の厨房がオール電化とはね……世も末だ」


 傍らに紙袋に入った荷物を抱えるアルキラルに椅子越しに顔を向け、愚痴ぐちをこぼすイミト。


「注文されていたものは、ひと通りそろえたと思うのですが、確認を」


「いいさ、そこは信頼してるよ。それより、ホントに俺の居た世界まで買いに行ったのかよ」


 アルキラルの次なる言動へ移った頃には、一度立ち上がり椅子の向きを変えて本来とは真逆の座り方で背もたれを前にまた寸胴鍋と向き合い始めて。



「はい。あの世界の神は中立なので申請し、ルールさえ守れば我々は普通に通行が可能です」


「……それは大変に誇らしいね」


「そこに七輪の用意はしているから、酒と一緒に持って行ってやれよ」


 質問に答えた自身に背中を向けたまま淡々と片手を上げて返事をし、あまつさえ次の指示までし始めたそんな無礼なイミトに、冷静なアルキラルは調理台へ荷物を置きながら沈着ちんちゃくな面持ち。


「マツタケは、表面の水分が沸々ふつふつしてきたら食べ頃だ。そうなったら醤油を少し垂らして食べるように言っといてくれ。もちろん塩も用意してる」


「……はい」


 タイヤキャスターが付いた荷台に赤き力を内に秘める陶器とうきあみが一つずつ、それから幾つかの食器と雑に手で裂かれたであろうマツタケの姿。


 その前に立ったアルキラルは少し考えた後、何の文句なく、ミリスたちが待つ隣接された茶会場へと向かう。カラカラとキャスターの音が鳴り遠ざかっていく中で、


「——何処が中立、なんだかね」


 イミトが珍しく、とても小さな声で、不機嫌そうにそう呟く。


 ——。


 一方、その少し前、厨房に隣接された空間の茶会場では——


「それでね、彼は本当に凄かったのよ?」


 神であるミリスが、さも目撃者であるように楽しげに語り出す。


「襲い掛かってくるバジリスクを翻弄ほんろうしながら素人とは思えない動きで一匹、二匹と倒していったの」


 イミトとバジリスクの戦い、かつての武勇についてである。


「「……」」


 しかしながら、先程から身振り手振りと言葉だけで口伝くでんされるそれに、理解を示せずイマイチ共感できない二人。デュエラとクレア。無論、未だ彼女に対しての警戒心もあった。


「アレには流石の私も驚いて、かつてのイルマエールの英雄を思い出したわね」


 それでも不意にミリスが口にした言の葉には、クレアの白黒髪が僅かにピクリと反応を示す。


「ふん、それはめ過ぎであろうよ。かの有名な【】と同列に扱うとは」


「あら、私がそう思ったのよ? 彼には若かりし彼と同じぐらいの素質があるわ」


 ミリスがイミトと比較した人物に心当たりがあったクレアが、別の通り名を言葉にして否定すると、ようやく話題が沸騰し出したかのようにミリスが更なる反論を始めて。


「眼球が腐れておるのか貴様、【閃剣舞踊】とは戦った事がある。時間稼ぎの殿しんがりで決着が着かなかったとはいえ、全盛期の我を相手に戦い抜いた男ぞ」


 若干の対立の雰囲気。いさかい、再来の予感。


「……あ、あの‼ その方は、凄い方なのです、ますか?」


 それを察してか、見つめ合う二人の間に入ったのはデュエラであった。彼女は一瞬、目を泳がして厨房に居るイミトを探そうと試みたが、事態はそう足遅くないと本能で察し、一抹いちまつの勇気を抱えながらテーブルに身を乗り出して声を大にする。


「ああ、そうね。五十年位前にそんな戦士が居たのよ。イルマエールって戦場で百数十人を踊るように切り裂いた英雄の一人ね」


 すると、デュエラを置き去りにしていたことを思い出したミリスが彼女の質問に答える。


「奴は剣術もさることながら、雷の魔法をたくみにもちいて戦う強者であった」


 続けて負けじと、クレアも得意げに感慨かんがい深く補足して。



 そこから始まったのは、


「まぁ、彼に魔剣を与えたのは私なんだけどね」


「なに! あの【雷閃剣】は貴様の与えたものだと言うか⁉」



 仲が良いとは思えぬ二人の思わぬ意気投合。


「そうそう。昔から雷魔法が得意だったし、英雄に相応しい性格もしてたしね」


「なるほど……確かにアレが神の武器と言われれば納得も出来よう」


 再びデュエラのぞんぜぬ所で思い出話を噛むが如く交わされる会話。困惑しながらも、心なしか穏やかになった雰囲気に小さく息を吐きつつ、椅子に座り直すデュエラであった。


「ま。クレアちゃんに叩き折られちゃったんだけどね」


 しかしながら、困り顔でささやかな悔しさの滲んだ声で放たれたミリスの言葉に、彼女の体は心に引き上げられた様子で椅子から飛び上らんばかり挙動を見せる。



「ク、クレア様が折ったので御座いますか⁉ 神様の武器を⁉」


「容易い事よ。自慢にもならん」


 口元に片手を当て畏敬いけいを以ってクレアを見るデュエラ。クレアはまぶたを閉じ、如何にも不遜に言葉を返す。


 その意味する所をデュエラは漠然としてでしか理解できなかったが、クレアの様子を確認するや直ぐにミリスの顔色を伺った辺り、クレアとミリスの関係性や相性について点が線で繋がったような感覚で確かな納得感を得たようである。


「実際、アレには驚いたんだけどね……まぁ、あの子が増長しない丁度いいタイミングだったし、私も武器回収の仕事が減って助かったところではあったかな」


「ふん、悔しいと素直に言えばよい。我は貴様の思惑を一つ潰せたと知って嬉しく思うぞ」



「ふふふふ……」

「はははは……」


 故に、デュエラは無理だと思う。この笑い合いながら火花を散らさんばかりの二人の間に割って入り、例えばイミトのように事を上手く、事無き事にすることなど自分には無理だと、そう心内で嘆いて。


「……」


 頬に冷や汗を一筋浮かべながら一刻も早いイミトの帰還を祈るデュエラ。しかし厨房に目を向けた彼女の金色の瞳に真っ先に映ったのは、銀髪の執事であった。


「ミリス様、炭火の準備が出来ましたが如何なさいますか?」


 からからからと、七輪の乗った荷台を転がしミリスへと一礼を捧げるアルキラル。伺いを立てながらも荷台に積んでいた瓶の入ったバスケットを両手で持ち、テーブルに音を立てずに丁寧に置く。


 飲み物だろうことは、世間知らずのデュエラにも分かった。


「あら、アナタも良いタイミングね。お願いするわ」


 しかし、次に置かれた透明な器が入った木製の箱、ますが何なのかは分からない。デュエラはそれを興味深そうに眺める。


「かしこまりました」


 そして興味はテーブルの中央に置かれる七輪へ。興味を持っていることを悟られまいとソワソワしながらも目を泳がし、七輪の中の炭火の色を確認して。



「こちら、表面に水分が沸々としてきましたら醤油を垂らし、お楽しみくださいとのことです。塩も用意しておりますので、お好みでそちらも」


「分かったわ。アナタは引き続き、彼の手伝いをしてあげてね」


 更にミリスとアルキラルの会話を耳に、今度はに乗せられたマツタケというキノコに目を配る。それらは裂かれた無残な姿でありながら、土色に隠れた綺麗な白い身が露にされ、美しく並べ飾られている。


「はい。おおせのままに」


「……さぁ、マツタケを焼きましょうか」


 ミリスは手に取った箸を器用に用い、その身の一切れを七輪の網の上に乗せた。満を持してといった佇まいである。



「我らはそれが何かも知らんのだがな……」


 クレアは不満げにそう言ったが、デュエラは何故だか分からぬままにゴクリと息を飲んでいた。


 ——。

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