第7話 罪と功罪。3/4


「そうだ、アルキラル。ここに来てくれる?」


 そして話は次の展開、ミリスが何処でもない何処かにふっと首を振り、誰もいない場所へ呼び掛ける。


「アナタは罪人さんの補佐をなさい。材料などを用意して差し上げるの」


「——はい。神の仰せのままに」


 すると、唐突に光と共に現れたのは翼を背にする銀髪の執事。ミリスにかしずくその顔はまだ見えないが、声を聴けば凛々りりしい女性の声。


「ちっ。次から次へと……」


 クレアが慣れた様子で舌打ちするのも無理も無いと、イミトはクレアから遅れて無くなったはずの徒労の息を吐いた。


 体はともかく、心は——なのであろう。


「……天使って奴か。まず、かみ……メモ用紙とペンをくれ、必要な材料を書くから」


 いちいちと紹介されて説明されようが、納得し難い事象の連続に心が疲れ果てていて。故に、今にも新たな登場人物を紹介しようとするミリスより先んじて用意された厨房へ、あからさまに面倒げに向かい、せめてもと言葉に気を遣いながら話を進めたイミトであった。


 そして、ミリスの背後で立ち上がり、アルキラルと呼ばれた天使は言った。


「はい。ド腐れ野郎には反吐が出ますが」


 至極、冷静な声であった。


「——、ははは、俺も血反吐を吐きそうになったよ。気が合うな」


 この時、イミトは本気で安堵していた。無論、アルキラルが美しい女性であったこともその一因でもあるが、何より天使と聞いて想像する善性が全くといって無かったからである。


 自らにハッキリと向けられる淡白な悪感情は、己の猜疑心さいぎしんに飽き飽きしている今の彼にとって薄ら寒い同情や建前の優しさよりも遥かに居心地が良く、その安堵を現すようにイミトはわらう。


 そうして二人、厨房に向かう中、残されたものが三人。


「さ。私たちは彼の料理を向こうで、お茶でもしながら待ちましょうか」


 空間のあるじだろうミリスが場を取り持つようにそう言う。


 が——、

「「……」」


 イミトの居なくなる現状で深まるばかりの警戒心。デュエラとクレアは、ミリスの言葉にただ黙す。


「あ、クレア。」

「喧嘩、するなよ」


「……分かっておるわ、馬鹿者が」


 去り際、イミトが思い出したように言い放った意味深々なげんに、増々と不機嫌にそして仕方なくクレアは呟くのだった。


 ——、


 新たな白タイルが紺碧の空間の中で繋がれ、そこには茶会のテーブルが一つ、椅子が三脚用意されていた。テーブルに乗るものは、三つであった。


「ふふふ、それで何の話をしましょうか?」


 その内の一つ、紅茶のカップを静かにすすった後、テーブルに戻しながらミリスはその問いを投げかける。


「ふん……話だと? 神に語らう言葉など、我が持っておると思うか」


「そもそも我は、イミトが貴様の試練とやらを受けることを了承しておらん。付き合う義理も無いわ」


 すると或いは二つ目、テーブルの上に座布団を敷きそこに座す頭部が真っ先にその問いにせせら笑いながら答えた。テーブルの下にまで流れるイミトとお揃いでもあるクレアの白黒髪が普段より長く伸びていて。


 恐らく彼女の意志で髪の長さを変えているのであろう。


 神とデュラハン、互いに見つめ合い、互いを牽制けんせいし合う。


悔恨憎悪かいこんぞうおの思念で生まれた肉の塊ならば、そうでしょうね」

「けれど……アナタはクレア・デュラニウスでもある」


 そうしている内、先手を打ったのはミリス。

 彼女は不敵にテーブルへ両肘を突き、身を乗り出す。


「私は——アナタが知りたいと思っていることも、知りたくないと思っていることも全て知っているのだけれど」


「貴様……‼」


 ミリスの首をかたむけ、ささやくような言の葉は、クレアの血相を変えさせるものであった。瞳孔をこれまでにない勢いで開き、ミリスを睨みつける。突如として逆巻いた美しい白黒髪が彼女の怒りと動揺を如実に表していて。


 しかし、ミリスはクレアの急変した態度を嘲笑うが如く視線から外し、次なる標的へと目を向けた。


「アナタはどう? デュエラ・マール・メデュニカ。さっきから一言も言葉を口にしていないのは緊張しているからかしら」


 デュエラである。ミリスの眼差しにドキリとひるんだデュエラへ投げかける質問。表情に浮かぶは微笑みであっても、やはりその威圧感は凄まじい。ある意味、クレアの怒りと同等以上の圧迫感があって。


「……わ、ワタクシサマはその……」


 おびえながら目を泳がし、デュエラは言葉を詰まらせる。


 すると、彼女は優しく手を引くように次の言葉を吐いた。


「ふふ。復讐したいなら止めはしないけど、無意味な事よ。例え復讐が叶っても世界のことわりも、私も、アナタの下にアナタの母親を返したりしないもの」


「——⁉」


 テーブルを指先でなぞりながら椅子の背もたれに背中を預け、実に楽しそうにデュエラの心の変容を楽しむミリス。


「月並みな言い回しだけどね」


 揺れる紅茶の水面が三つ目、デュエラの前にデュエラの為に置かれたティーカップ。その真下で拳が形作られた事を横に居るクレアも感じ取る。


「ふん。因みに聞くが、コヤツの母は地獄にでも送ったか。神の……ミリスとやら」


 そのせいか、多少の落ち着きを取り戻したクレアは挑発じみてミリスに問う。


「さあて、ね。ふふふ……死後における魂の裁判は私の管轄では無いですもの」


「調べることなど、全知の神ならば容易よういであろうよ……神と聞いて呆れるわ」


 そしてティーカップの取っ手を指先でつまみ上げて茶を濁したミリスに対し、更に嫌味たらしく吐き捨てるクレアであった。


 そのやり取りの間に、心を整えられたのはデュエラも同じ。


「あ、あの‼ ……か、神様‼」


「——ハハサマの事を、どうか……どうか教えて欲しいのです、ます‼」


 彼女は意を決したようにテーブルの下で握った手をテーブルの上に広げ、そう訴えかける。悔恨の果て、願うように、思い馳せるように、罪をつぐなうが如く、訴えかけ、


 そこから、テーブルから離れて白タイルの床に両ひざひざまずき、頭をこすりり付けた。


 あまりに必死で懸命なその訴えを、神たるミリスは少しの沈黙で見下げていた。感情を伺わせないものの見下げたまま紅茶を再び一啜すすり。


 そして返答を口にしようかと、目に掛かりそうになった前髪をさらりと掻き上げる。


「全く……無神経なデュラハンちゃんのせいで可哀想な事になってしまったわ」


「シリアスって、遠くから見るから素敵なのに」


 しかし口にしたのは、どうやら前置きらしい嫌味であった。無論、言葉にもあるようにはデュラハンのクレアへと向けられたものであって。


 「悪趣味な……つべこべ言わず教えてやらぬか。それでこそ、踏ん切りが着くというものよ」


 それに対して返す言葉はやはり敵愾心てきがいしんあふれ、それでも遠くで何やら野菜のその手に持ちミリスの部下と話をしているイミトの忠告を思い出し、反吐を吐くように目線は逸らすクレア。


「うーん……そうね、あまり詳しくは言えないのだけれど」


 すると、クレアが嫌悪を口にする合間に思考に線を引き整理し終えたミリスが、如何にも未だ考えている様子で重くなりかけている腰を上げるが如く口を開いた。


 「アナタたちが想像するような地獄、には送られてないわよ。今の状況が幸せかどうかは本人の問題だし?」


「デュラハンちゃんは知っているみたいだけど、担当者はルーゼンじゃなかったから、そこら辺の所は安心して欲しいかな」


 端的に、不要な情報をはぶき、或いは余計な情報を与えないよう漠然とした答えを放つミリス。


「後はノーコメント。ただ……とても胸を打つ裁判だったわ」


「そう——彼の裁判と同じくらいに」


 しかし、意味深く彼女はイミトが作業をする光景に目を配り、遠い目をした。小さな微笑みは子を見守る母の如く、女神たる哀愁あいしゅうを漂わせている。


「……」


 そこから彼女は二人にも笑んだ。黙すばかりの二人の感情をすべて慈愛で以って受け入れる覚悟ある表情。故に、余裕を持ちすぎるその態度に対してクレアの中で不快感を勢いを増し、眉を更にひそませたのであろう。


 そうしてデュラハンは言った。


「デュエラ。もう席に戻れ、今以上の事は決してコヤツは口にせんであろうよ」


「力ずくで勝てる相手かも分からんし、な」


 八つ当たりのように、テーブルの下へ冷たく言い放つ。

 言い放った後、続けてまぶたをヒタリと閉じ、彼女は自らすらも侮辱した。



「ふふ、懸命で賢明ね。流石、戦闘に長けたデュラハンと言った所かしら」


 そんなクレアの面持ちに、ミリスが褒めてあげると妖艶ようえんかつ尊大そんだいな微笑みで返した時の事である。白タイルに響いた足音が一つ。


「おいおい、あんまりソイツを褒めてやるなよ。茹でたタコを今回は使わない予定なんだ」


 イミトであった。右手を服のポケットに入れ、鎧の左腕を腰に当てる佇まいは、如何にも空気読まずのようで。ピリピリとした空気を道端の石ころが如く雑多に蹴り飛ばす。

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