第7話 罪と功罪。2/4


 今や昔、ささやかなルーゼンビュフォア・アルマーレンとの会話を思い返しつつ、割と印象的であった名称と予感を口にするイミトに、若き貴婦人は尚も穏やかにむ。


 そして手品でも魅せるかのように閉じられた日傘を優しく光弾けるが如く消失させ、てのひらからっぽになった白レースの手袋を見せつけ、


「ね? 可哀想な、デュエラ・マール・メデュニカ」


 武器は持って居ないから警戒を解いて欲しいと、彼女はえておびええに近い態度のデュエラに、その笑みを向ける。


 しかし、だ。


「……⁉」


 初めて出会った貴婦人に少なくともフルネームを名乗った覚えは無い。唐突に自らの名前を呼ばれ、不穏な想いを沸かせて一歩退くデュエラ。


 その頬には一筋の冷や汗。


「クレア。デュエラを落ち着かせろ」


 すると、そんなデュエラを背中越しに心配したイミトがクレアへ言った。それでも彼は本能的に貴婦人を装う神、ミリスから視線を外さない。


 否、外せないのである。警戒こそ表情には出さないが、彼もまたミリスの行動に予測が付かず油断をいましめているようだった。


「し! しかし、コヤツは貴様を——」


「大丈夫さ。多分、な」


 無論、イミトの事情を少なからず知るクレアは、心配と敵意をそれぞれに向けねばならないと思っていた。けれどそれをさえぎるイミト。


「後は、ハハ……神にでも祈っといてくれ」


 更に一歩前へ、ミリスからようやく視線を逸らして振り返った顔には気丈な、これまで通りの不遜ふそんな笑顔。


 また——親しき死と遊び始めるような、そんな顔。


「「……」」


 その表情が放つ終末感に、返す言葉が見つからず、心だけが喉を通るような面持ち。



「ふふ、そうですね。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、デュラハンの娘さん」


 それが面白かったのか、口に指先を当てミリスもクスクスと笑って。


「ちっ、我を娘扱いとは……如何にも神を名乗りそうなやからの物の言い方よ」


 我に戻るクレアの舌打ち、何とか冷静を保とうと慟哭どうこくする心を抑えつけるために彼女は眉をひそめる。言うまでも無く、ミリスの一挙手一投足を見逃さぬようににらんだままに。


「さてと。それで、俺の処遇はどうなったんだ? ちゃんと言葉にして聞かせてくれると有難いんだが」


 そしてイミトは、そんな背景を背にミリスに向けて話を進める。イミトと共にこの世界に飛ばされたルーゼンビュフォア・アルマーレン曰く、『神の定める規律の中で不法に異世界に転生されたイミトの処遇』について、ミリスと神々で話し合いを行い決定されるという事であった。



 それの意味する所は、明確に分からないもののおおよその見当は付いている。イミトはそんな面持ちで首を傾げた。


 かつてこの世界に来る前、首を刈られて死んだ、今は無き傷痕きずあとをなぞりながら、再び訪れるかもしれない死の宣告を受け入れる覚悟も当然していて。


「せっかく見つけたマツタケ様を無駄にしたくも無いんで、な」


 元から無かった命だと諦観ていかんを決め込みつつ、名残惜しそうに鎧の左手に目線を落とす。そこにあったのは腰に巻いていたかばんと、そこから顔を出す独特の形、色合いのキノコ数本である。


「んんん?」


 そのキノコの不意の登場に、ふとミリスは首を傾げた。その鞄から顔を出す姿を興味深そうに眺めたのだ。そしてスタスタとイミトへと近づき、イミトの事など二の次になったが如く少し腰を落とす。


「……上物だ。俺の世界じゃ、まぁ五、六万円ってところか」


「うんうん。確かに立派なものね」


「閉じているのが一般的なんだが、実は傘が開いたのが普通に美味かったりする」


「へぇ、そうなのね。小さいほうが美味しいのかと思っていたわ」


 イミトが様付けするほどに立派なにミリスは目を釘付けになったのを見て、少しいぶかしげに言葉を漏らすと彼女は間を置かず頷く。


 二人はそのキノコについて現状二人にしか解り得ない感想を交わしていた。それまでとは違う、共通の趣味でも語り合うような雰囲気で。



「おい、貴様ら。いったい何の話をしておる。その汚いキノコは何だ」


 故に、その会話が理解できない他の二人はどうしていいものかと困惑し、クレアに至っては不機嫌を滲ませたままデュエラの手の中で頭を傾け、彼女の体で精一杯に様子を伺う始末。


「……そうか、罪人さんは——、あった。飲食店でバイトの経験がありますね」


 しかし、それらを他所に腰を上げたミリスが片手を上げる。その掌に白い光を現すや、光は何やら一冊の本へと変わり、彼女はペラペラとページをめくった。


 夢中であった。


「それじゃあ——もしかして、マツタケを美味しく調理出来ます?」


 確かめたい情報を確認してそう尋ねるミリス。


「ん……ああ、まぁ取り扱っていたからな。焼く以外も見様見真似でいいなら……調理道具と材料さえあれば、それなりに」


 ミリスの意外な反応にイミトは頭を掻き、考えを巡らしながら答えた。マツタケのレシピについてか、或いは——である。


「土瓶蒸し、とか? 茶碗蒸し、とか」


「蒸してばっかかよ。そりゃ出来るけど鯛とマツタケのホイル焼きとか炊き込みご飯とか、定番の炭火焼きとかも忘れんなよ。天ぷらにしても美味いし」


「……」

「マツタケ、好きなのか?」


 そして何より、ミリスも考えていた。イミトがミリスの思考について問うたのもつか、彼女は結論を出す。


 パチン‼ 指が鳴る、無論ミリスの指である。


「「「——⁉」」」


 すると瞬然しゅんぜん、或いは突然とつぜん。ミリスを中心に世界が塗り替えられ、足の下には白タイル。頭上を見上げれば紺碧の星空のような世界が現れる。一瞬の状況の変化に驚愕するのはイミトを初めとして背後に控えていた他の二人も同様で。


 小さな光が飛び交う中で、遠くを見れば空に浮かぶ今の足場と同じようなも幾つか見える。記憶の中でイメージする宇宙に似ていると表すればそうであり、しかし宇宙では決して無いと言えるのはであろうか。



「コホン……故意では無いといえ、許可の無い世界転移という大罪を犯したアナタの処遇については、この世界を管轄する私に一任されています。なので、神からの試練としてマツタケを使った料理で私を満足させて下さい」


 そんな、あまりに唐突に変わり果てた状況に、言葉も無く驚いたままの三人にわざとらしいせきばらいで注意を引き、ミリスが説明口調で語り始める。



「なんだ、その異世界グルメ漫画のような展開は……」


「ふふ、神とは気まぐれなものなのですよ。知っていますでしょう?」


 そしてその滑稽な言葉たちにイミトが軽く右手で頭を支えると、すかさずミリスは笑いかけ、それ以上の文句を言葉の裏で押さえつける。それから彼女は掌を横にかざした。


 すると遠くに浮かぶ別の白タイルが動き出し、目を凝らしてみるとそこには厨房のような建築と色とりどりの食材らしい物も見て取れて。


 その隙に、少し振り返るイミト。後ろに控え、こちらの様子を伺っている二人の姿を視界に収めたのだ。


「「……」」


 彼女らは、イミトの顔を心配そうに見つめるだけで言葉を放たない。


 二人の困惑と動揺に呆れて彼はふと、小さく笑んだ。



「ま、選ぶ気は起きないわな」


 諦めの息を吐き、彼はまた頭を掻く。



 彼の言葉通り、選択肢など最早、彼の中では無いに等しいのであろう。



「オーケー、ミリス。その代わり、そこに居る連中の分も作らせてもらうからな」


「ええ、勿論そのつもりですよ。特別にアナタの怪我の治癒もして差し上げますので」


 語りと音も無く移動してきた別の白タイルが今の足場と繋がり、ミリスは次にイミトに向けて掌をかざした。すると今度はイミトの体に光がともり、それを見たクレアがミリスの言葉を聞いて居なければ、デュエラに抱えられている彼女の髪が僅かに逆立つだけでは恐らく済まなかったであろう。


「——、ああ成程……凄いな」


「問題は無いか、イミト」


 まるで絹糸とたわむれるように光をまとうイミトが自らの体の具合を確かめる最中、疑わしくクレアが尋ねる。デュエラもまた、クレアの頭部を抱きかかえる力を強めていて。


「そう心配してくれるなって、むしろお前に頭突きした頃より調子は良いさ」


 そんな二人に改めて振り返り、自身の健在ぶりを示すべく肩を回しながら首の骨まで鳴らすイミト、彼の傷は確かに疲労感を含めて不思議と無くなっていた。


 眠り明けの如き感覚の中、神の力といえば聞こえは良いが、納得しかねる非常識な事象にイミト自身、掌を二、三度ほど開いては握りを繰り返す。


 ミリスが背後で得意げに笑った。

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