第7話 罪と功罪。1/4


「イミト様、大丈夫でございます、ですか?」


 三つ首のバジリスクを断罪し、再び珍妙な一行がジャダの滝から人間界に向かうべく森を進む中で、メデューサの少女は振り返りながら心配そうにまゆをひそめる。後方に居るのは傍らにデュラハンの頭を抱えた異世界人であった。


「ああ……傷の痛みは無いよ。クレアが痛覚を薄くしてくれているんでな」


 右手で樹木の幹に寄り掛かりつつ項垂うなだれたイミトは、あからさまに気怠そうな息を吐き、言葉とは裏腹の疲労感をにじませて。


「しかしまあ、疲労感は尋常では無いな。眠ったら二度と起きれなさそうだ」


「ふらふら歩きおって……我が体ならば、三日三晩は戦えるような体力は欲しいものだ」


 そこから右わき腹に手を移し、左腕に抱えるクレアの小言を受けながら足をズルリと持ち上げる始末。しかし、


「善処するよ。三日三晩も戦って決着を付けられない程度のデュラハンの為にならな」


 イミトも負けじと皮肉で返し、強がって彼らしく不敵に笑う。先のバジリスク達との戦闘で擦り減った神経、慣れないまま使い過ぎた魔力の反動、クレアが加勢に来るまでに受けた傷が彼の動きをにぶらせているにも関わらず、彼はそう気丈に振る舞っていく。


「……ふん。もう貴様のその手には乗らんぞ」


 無論、彼と感覚の共有できるデュラハンのクレアがそれを知らぬ訳もない。双眸そうぼうを横へ流し、彼女はそう言葉を吐き捨てた。



「デュエラ、貴様が我を持て。コヤツの乗り心地は気分が悪い」


 そして唐突とも言える思い付きを装い、クレアが呼び掛けたのはデュエラである。


「え……あ、ハイ‼ なのです!」


 デュエラは目の前の枝を折りながら、その言葉に気付き、言葉の意味する所を条件反射の後で理解したようだった。


「両手で持つのだぞ、露払いは我がするゆえ」


「は、はい! お願いするのですよ」


 駆け寄ったデュエラが差し出した両手にイミトの左腕が勝手に動く。大事そうにクレアの頭部を受け取り、それを絶対に落とさぬように抱き抱えるデュエラ。


 そして彼女は天真爛漫てんしんらんまんな笑みでこう言うのだ。


「イミト様は、ゆっくり後から着いて来て下さいませね」



「——……あいよ、二人の優しさで泣きそうなるね」


 イミトは、全身の力が抜けたようだった。いつの間にか片足を突っ込んでいた森の茂みに足を取られ、樹木へ肩越しに寄り掛かる。それを誤魔化すようにまた笑って。


「ふふ。イミト様の優しさに比べれば、でございます、です」


「はは、デュエラよ。それは皮肉になろうぞ、その男に優しさなぞあろうものか」


 恐らくは、前方へと振り向きかけていた二人には見えていなかったのだろう。安堵の息を吐きながら体を持ち上げるイミトを他所に楽しげに言葉を交わす二人。


「イミト様もクレア様もお優しいでございます、ですよ。ワタクシサマのような者と関わって頂いて、ワタクシサマ……このような楽しい時間は久しぶりなのです、ます」


「「……」」


 デュエラが語る想いが遠く、イミトは首を振った。そして首後ろに右手をあてがい意識をハッキリさせたのも束の間、


「あ。す、すみません、です‼ イミト様は怪我をなさっているのに楽しい時間なんて‼」


「こ、こらデュエラ‼ 急に動くでないわ‼」


「ああ‼ ごめんなさい、ごめんなさいです‼」

「もご! き、貴様、もごふ‼」


 慌てた様子で振り返ったデュエラと、それに翻弄ほんろうされるクレアの驚いた様がはっきりと視界に飛び込んできて。


 悪循環の如くクレアの注意にデュエラの心は更に波を増し増し、両手からスベリ落としそうになった様子で彼女は咄嗟にクレアの頭部を強く胸に抱きよせる。



「……ふ、ははっ、落ち着けよデュエラ。笑い殺す気かよ、ホント」


 そんなクレアやデュエラの反応が新鮮で滑稽こっけいで、イミトは吹き出すように笑う。また、とは言えない純朴な笑みはとても楽しげ。


 脇腹を押さえる鎧の左腕に違和感も無い。


「ご、ごめんなさい、です‼」

「も、もうよい‼ はよう進むのだ‼」


「は、はい‼」



 きっと、彼は後悔をしていた。遠ざかっていくおぼろげな景色に、上下左右にブレる視界に。


「まったく……どうしたもんか。たまらねぇ……な」


「「——」」



 最早、聞こえるはずの言葉が脳裏に届かない。痛みなど無いはずだと反抗心で踏ん張りながら、彼は自らを嘲笑する。


 心臓の慟哭どうこくだけが、やけにハッキリと聞こえていた。


「本当に……度し難いって奴だ……な」


 そう呟いて、彼はすがった。再びそこにあった樹木の力強さにすがり、己の脆弱ぜいじゃくさにほとほとの嫌気を吐く。


 ズルリ、音の消えた世界が白に染まっていった。


 ——。


 樹木を背に、イミトは眠ったように首を項垂れさせている。


 風に揺らめく横シマの黒白髪が寂しげにカラカラと、深淵な森に命が溶けてしまっているようで。


 そんな彼に向け、足音が一つ。


「罪人さん、罪人さん。私の声が聞こえますか?」


 その声は、クレアの声では無くデュエラの声でも無い。しかし可愛らしい女性の声ではあった。


「君が可愛いお嬢さんなら……きっと世界の果てででも」


 項垂れたまま静寂の森にイミトは声を響かせた。いつも通り、彼らしくはあっても動き出しそうな力は無い。儚げな笑みが、殊更ことさらそれを表していて。


「は……センスが良いな。良い日傘だ」


 ようやく顔を上げると、真っ先に飛び込んできたのはレース地のヒラヒラした白い日傘。彼女の顔はうかがえず、他に目に入った情報といえば中世の貴婦人のドレスといった風体であろうか。


「それはどうも。私が誰だか分かりますか?」


 骨董品ながら丁寧に手入れされている人形と言われれば、そうは見える。しかし、イミトは初めて目にする名も知らぬそんな彼女の正体には薄々と気づいていた。


「バジリスク、では無さそうで。死に神ならどうか勘弁願いたい所なんだが」


 気付いていて彼は嫌味たらしく、何より皮肉めいて首を傾げながら答える。それは或いは、彼の今の想いを如実にょじつに表していたのだろう。


「ふふ、惜しいですね。神……というのは正解ですよ」


 対して穏やかに言葉を返す女性。彼女の声は笑んでは居ても、顔を隠す日傘と同様に感情を伺わせない。少なくとも憎しみも、怒りも無く、ただ時を無為むいに過ごすようなそんな独り言の乾いた響きがあって。


 イミトがそんな彼女の言葉に独善的な印象を受けてしまうのも無理からぬことである。


「そうか。アンタがそうなんだな。いや……何となくそんな気はしていた、か」


 そして何より、イミトは貴婦人の女性がただよわせている雰囲気が気品を越えた不可思議なものである事に気圧されていた。


 かつて経験した中で類似するものを挙げるなら、秩序の女神であるルーゼンビュフォア・アルマーレンのそれではあるが、この貴婦人がかもす雰囲気はまるで【】と表記する他は無いといったものである。


 故に、これが神かと疑いつつ、イミトは胃のにストンと落ちる想いで納得せざるを得なくなっていた。


「なら用件も、なんとなく分かっていますか?」


 そんな神を目の前に、また問われるイミト。ルーゼンビュフォア・アルマーレンを思い出し、少しわずらわしくあったが、今はそんな事より、である。


 心内に響く叫び。


「その前に——はは、後ろには気を付けろよ」


 諦めたのか、或いは安堵か。再び首を項垂れてイミトがそう伝えれば——


「イミトぉぉぉ‼」


 すぐさまとどろくクレアの声。そして神を名乗る貴婦人の背後に、今にも蹴りを振り抜かんとするデュエラの飛ぶ様があった。


 しかし、であろうか。神。


「……ふふ」


 ようやく日傘の下に隠された顔を露にした貴婦人は、待ちかねていたかの如く不敵な笑みを穏やかなままに放ち、デュエラの蹴りが当たる寸前にその姿を丸ごと消した。


「「⁉」」


 クレア達は当然知らぬことだが、まるで電波の悪いテレビの画面が揺らぐように。一瞬にして姿を消した貴婦人に空を切ってしまった蹴りの勢いで回転しながら驚く二人。


 一方のイミトは、クレア達の背後に貴婦人が瞬間的に移動した瞬間を確かに目撃し、その表現を【】と、そう理解する。


「ちぃっ、イミト‼ キサマ無事か‼ 何者だ、アヤツは⁉」


「落ち着けよ……自称、神様らしいぜ。っと……」


 着地するデュエラを他所に、突如として消え、背後に現れた貴婦人を全霊で警戒しながらとめどなく感情を吐露したクレアに、力を振り絞りながら立ち上がるイミト。


「神⁉ 神だと⁉ あのルーゼンビュフォアとかいう輩の仲間か‼」


 そのイミトが漫然と伝えた事実にクレアは受け入れがたいと言った面持ちで、荒ぶる感情を隠さない。クレアにも解っていたのだろう、貴婦人が放つ尋常ならざる未知の気配に彼女の本能が危険を叫んでいるようで。


 そして、クレアの警戒に触発されたデュエラに至っては、状況を把握出来ないまでも異常をみ取り、金色の瞳にまさしく蛇の一族らしい一本の黒線の瞳孔が滲み、野生の本性を露にしてすらいた。


「その言い様は失礼過ぎるだろ。この世界を担当する女神さまに……」


 そんな二人を制止するようにイミトは二人の前に出る。すると、今度は貴婦人の番。


「あら、本当に罪人さんは解ってくれているのね。ルーゼンなんかと一緒にされるのは、とても不快だもの」


 日傘をクルリと閉じながら、貴婦人は首を傾げ機嫌よく言った。しかし言葉の後半は少し頬を膨らませ同僚の女神に対する自身が抱く悪印象を吐露していて。


「確か……ミリスとか、そんな名前だったか? 流石に、本人が来るとは思っていなかったよ」


「正解。名はミリス、親しみを込めて呼び捨てで構わないですよ」

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