第6話 あの時の事。3/3


 それはイミトが気絶した後の話。未だ彼女の黒髪がイミトと出会った洞穴を埋め尽くし、封印の水晶がきらめいている過去の世界での一節。


 ——。


「なぜ……笑ったのだ、貴様」


 クレア・デュラニウスは倒れている男に近づき、そう呟く。


 とても切なげに悲しいひとみを浮かべながら。


「我に一矢報いた事が、そんなに嬉しかったか」

「軟弱な人間が……我は、我は——」


 男の首に自らの髪を巻き、安らかに眠る男の顔をうらやましがる様子で眺めて。


「は……情けない話よ。我は貴様でもいいと、そう思っておったのに」


「それとも……貴様もそうなのか。我と同じく」


 彼女は次に祈るように男のひたいを自らの額に当てる。それから互いを嘲笑う小さな笑み。



「貴様も、死を望んで……おったのか。こんな場所でもよい、と」


 或いは、彼がそうであったように。彼女もまた、そうであったのだ。


 ——。

 そうして時は戻りける。


「クレア……クレア!」


 イミトの呼び掛けにハッと我に返り、クレアは地に大剣の刃を叩きつけた。


「なんぞ‼ 我はまだ、満足しておらぬぞ‼」


 左腕に抱える兜をイミトの顔に向けると、血潮に濡れる顔がある。

 その表情は少し寂しげで。


「それでも、もう……止めてやれ」


 己という存在が横シマの白髪に染めてしまった髪から零れ落ちる赤い血の雫が兜に落ち、まるで泣いているかのように痕を残す中で、


『……』


 静かに【敵】へ目を向けるや、彼女は自らが行った所業を思い返す。切り刻まれた肉が生を懇願こんがんするが如く痙攣けいれんし、血が痛みを叫ぶ。


 クレアはふと、兜越しに目を伏せた。


「はぁ……俺もしんどいし、な」


 それでも男は何の罪悪感も無い様子でそう言い、首の骨を鳴らして。いつも通りの軽口も漏らすのだ。まるで——、そうすべきと思っているように。


「……腑抜ふぬけが。戦いとは非情にてっするものよ」


 そんな彼に彼女もいつも通りに振る舞おうとするが、


「お前がやってるのはイジメだ。ひと思いに殺ってやれ」


「ふん。言われずとも直ぐに終わらせてやるわ」


 恐らくは、きっと、自分の動揺は悟られているのだろうとも思っていた。


 それほどに我を忘れ、暴虐に興じていたと彼女は自覚する。


 しかし強がり、彼の手で改めて大剣の柄を握る力を強めるのだ。心にもう動揺はない。それでも——、足は動かなかった。


「……」


「どうしたイミト、今更この蛇に温情でも掛けたくなったか」


 その原因は己ではあるまいと、またイミトの顔を確認すると彼は何やら空を眺めていて。


『た、助けてェ……ね、姉様ぁ……痛いぃ』


 自己再生、回復力を自慢していただけに流石と言った所で、その肉体を回復させていくバジリスクの、錯乱さくらんしていると思われる様子を尻目にイミトはおもむろにこう言った。


「そんな訳も無いが……少しあの時の事を思い出してな」


「あの時の事?」

 ドクリと無いはず心臓が鳴った気さえした。クレアは不思議な感覚を他所に平然を装っていた。するとイミトはこう返す。


「女神との裁判だよ」


 安堵した。イミトに隠しているつもりの【】を脳裏にクレアは安堵する。


「……貴様の罪の話か」


「多分、俺達の罪の話さ」


 それでも懐かしげにイミトが答えた言葉に、彼女は再び目を逸らす。とても遠回しに、心を、意図も容易たやすく貫かれ、返す言葉も無い。


「「……」」

『助け……イタイぃぃ……』


 故に、ずるりと逃げ腰で瀕死のバジリスクが放つ断末魔が丁度よく耳あたりが良かったのかもしれない。



「さぁ……クレア・デュラニウス裁判長。判決の時間だ」


 ふっと嗤ったイミトの冗談に、


「コイツの罪は、なんだと思う?」


 その問いに、悪趣味だと感じながらも、


「ふん。語るまでも無いが——」


 彼女も少し楽しげに言葉を返すに至る。



「我らの前に現れた事だ‼」


 掲げられる大剣。


『シニタクナイィィィィィィィ——‼』


 最後のあらがいを見せたバジリスクの意志を一閃する最中、イミトは結末を見守るデュエラに少し寂しげな微笑みを向けてボソリと非情に呟いた。


「判決、死刑だよ」


 ——。


 そうして戦いとは言えぬ争いが終わり、デュエラの元へ歩きながらグリグリと右肩の肩甲骨を回すイミト。


「ふう……終わった。明日は筋肉痛の予感しかしないわ」


「情けない。この程度で何を言うか」


 語る嘆きの言葉に呆れながら、クレアも兜の状態を解き、少しの疲労を表情に滲ませていて。


「——なあクレア。」


 ヒビの入った虹色の魔石を残し、黒い煙となって世界へと溶けていくバジリスクの肉体をデュエラが感慨かんがい深い様子で見送る中で、不意にイミトは声を漏らした。


 それは——とても歯切れが悪く彼自身、自らの寝言で目を覚ましたような感覚に襲われるものであった。


「……なんだ」

「いや……お互いに、運が悪いなと思っただけさ」


 それ故に、はぐらかす。夢見心地の寝言など気恥ずかしくて人に語れぬものではない。そんな矜持きょうじにイミトは右手でほおを掻いて。


「何の話だ。馬鹿者」

「あー、これからもよろしくって、話だな」


 言い辛い言葉を胸にしまい、別の言葉で茶をにごす。しかしそれも言ってみれば何処か恥ずかしい台詞で、イミトは頬を少し染めた。


「……ふん。やはり馬鹿者だ、貴様は」


 その表面の裏には何かあるに違いない。そんな顔を目撃して尚、クレアが追及こそしなかったのは恐らく、その裏にあるものが聞くに耐えないものであると直観で悟っているからなのだろう。


「そうでもねぇさ、少なくともお前を怒らせない方が良い事は学んだよ」


 上辺だけの会話の中、デュエラが駆け寄ってくることに気付いたイミトは微笑み、冗談まがいの呆れた口調で話を終わらせる。それを受けクレアもまた、んでいた。確固たる繫がりがそこにあるが如く互いに二人で一人、笑んでいる。


 そして——、清々しく。


「さてデュエラ。アイツの姉様とやらが気付く前に少しでも移動しようぜ」


 デュラハン二人の佇まいを伺い、怪我が無いか心配そうに確かめ始めたデュエラへ肩の力が抜けた様子でイミトは案じる。


「予想より弱かったが、もう割と体が限界だ」


「それとも、お前のかたき討ちに俺たちを巻き込むか?」


 それから言葉を続け、皮肉めいて尋ねた。


 すると一瞬、デュエラは胸を打たれた顔をした。


「……いいえ。仇は自分で討つのですよ」


 だが僅かに一間ひとま、胸に両手を当てて考えるデュエラが出した答え。

 晴れぬ心を憂う様子で儚げに彼女は優しく微笑んで。


「今は、お二方様を安全な場所にが、最優先事項なのです、ます‼」


 一転して元気よく、自分の使命を改めて課すデュエラ。


 イミトは、

「そうしてくれると有難いよ」


 諦めに似た安堵の息を吐く。


「……」


 その時、イミトの思惑にさもすれば、と勘を巡らす中、クレアは黙しまぶたを閉じるのである——。

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