第5話 森の征服者1/4


 「それで、この森の事はどれくらい知ってるんだ? 外に出る方向でも分かればおんなんだが」


 時が戻らない事を告げる森のざわめきも、止まない滝の音も尻目に、イミトは大雑把に欲しい情報を示しながらデュエラに文脈を並べた。むしり食らう焼き魚は、もうじき豪胆ごうたんに食える部分は無くなるのだろう。


「あ、えっと……人間界の方になら、案内は出来ると思います」


 そんな中でデュエラは答えた。既に食べ終えている焼き魚だった骨を名残惜しそうに未だ持ちつつ、恐らく【】というものがある方向に顔をのぞかせて。


「そうか、助かるな。クレアもそれで問題ないよな?」


 イミトは色々な意味で安堵した。魔界やらと少し耳にしていて、人間に会う為に次元を超えるなどゲームさながらのファンタジー設定を予感していたからである。その安堵を抱えたまま決定のような事後報告をクレアに向けるイミト。


「……好きにするが良い」


 けれど先程のやり取りをまだ引きっているクレアは、あからさまに不貞腐れて顔を背けたままの生返事をした。


 そして——、

「お前の体の手掛かりってのは、人間界にあるのか?」

「……知らんわ」


「……?」


 二人の間を漂う険悪な雰囲気、その原因を食事に夢中で見逃していたデュエラは不思議そうに「何かあったのか」と口にしないまでも首を傾げて。



「まぁいいや、これを食い終わったら案内してくれるか、デュエラ」



 それでも様々な歯切れの悪さを抱えながらも、イミトは話を進めた。


「は、はい、それは大丈夫です!」


 するとクレアとは違って素直にクシャリと笑うデュエラ。それはイミトが思わず目を逸らし、揺らいだ髪すら笑っていると思える程にハツラツとした笑みだった。



 故に、なのだろう。ふと想いに更け回想へとおもむくが如き遠い目をするイミト。しかし、その原因の一端であるクレアが横目で様子を伺っている視線に気づき、己を嘲笑する笑みを浮かべ、改めてデュエラに向き合う。



「……それで、デュエラはどうするんだ? このままこの森に残るのか?」


「え……」

「独りで暮らしてるんだろ? この森を出ようとか思ったりしないのか?」


 さして意味を込めた話でもなかった。イミトからすれば些細ささいな話のタネでしかなく、沈黙を嫌った為に苦しまぎれに出した話題でしかなかった。


「……」


 それでもデュエラはとても意味深く受け取り、まるで開ける事すら考えなくなってしまっていた開かずの扉が勢いよく開けたような驚きと感動に、思考が作り出す表情を白紙に戻す始末。


 ——瞬間、イミトは「」と思った。


 しかし感動するデュエラの手前、そういう顔をする訳にもいかないと優しさか、或いは見栄みえか、それらが言語化される前にイミトは本能で表情を固め、


「独りで食う飯は美味いかもだが、楽しくは無いからな」


「——⁉」


 助けを求めるために無理やりクレアの頭をで、怒りを買ってでもクレアを話の中に引き込もうとするイミトである。


 けれど、だからこそ——それは本音であったと、ここで敢えて描写しなければならないのだろう。


「き、貴様⁉ 軽々しく触れるでない‼」


「触れたくなる髪なんだよ。容赦してくれると有難いんだが」


 目論み通りクレアがイミトの手をむちの如く操る髪で弾き、戸惑うクレアの、その想定内ぶりが不思議と嬉しく、強めに弾かれた手を撫でながらイタズラな微笑みで返すイミト。


「……不愉快極まるわ」


 クレアもまんざらではないようだった。気恥ずかしさに目のやり場を失いつつ、いつものように不貞腐れた言い回し。それでもそこに先程までの嫌悪感は無いようで。



「ふふふ。ワタクシサマは……ワタクシサマは、この森でやらなければならない事があるので御座いますので森を離れるわけには行かないので御座います」


 仲が良いなとデュエラが羨ましがった。まるで自分には手に入らない夢物語を読み聞かせられているような感覚。


「それに……メデューサ族は同族と以外は相容れない生き物で御座いますから」


 懐かしき母を恋しがる子の如く彼女の手が太ももの服を握る様をイミトは見る。



 裏腹。言葉とはきっと、裏腹なのだろう。


「気を遣って頂けてありがとう、なのです」


 そんな深々と感謝をささげてくるデュエラの背景設定にいったい何があるのか、気にならない訳も無いのだが、そんな折——、ふとイミトは物語の主人公について想いを馳せていた。



 きっと、こんな時、彼らはきっとヒロインの事情に土足で踏み入っていくのだろう。


 それがヒーローなのだろうと。


「……そうか。ま、俺たちには関係の無い話だな」


 けれど自分は、そうはなれない、なってはいけないと、様子を伺うクレアの横でイミトは自らをまた淡と切り捨てる。


 クレアはただ、黙していた。



「はい、関係ない話なのでありますよ! お二方様たちの事はワタクシサマが安全に外まで送り届けるので御座いますから、安心して欲しいのです、ます‼」


「ワタクシサマ、少し手を洗ってくるのです、ますね!」


 デュエラもデュエラで彼らを巻き込んではいけないのだと心に決めているようだった。食べ終えた魚の串を地面に壁の如く静かに建て、明るい口調で言い放ちながら逃げるように川辺へと向かっていく。


 その背を眺めるイミトに、不機嫌ながら皮肉めいた口調でクレアが問うた。


「……今のは、ラノベとやらが言う所の【】という奴なのでは無いか?」


 静かにクレアへ振り向き、気の利いた表現に対等に返し得る粋な答えを探す少しの間に風がそよいで、イミトは小さく嗤った。


「勉強熱心な事で。まぁ、裸を見た時点で多少の痛みは覚悟してたさ」


 結果として——、結果として(コヤツ)はあの子の為に動くのだろう——以前生きていた世界で命を投げ出したようにあの子の為に英雄ヒーロー気取りで犠牲になるのだろう。


 イミトはこの時、或いはクレアもその時——、確信めいて予感している。


「万が一の時は、お前が何とかしてくれるんだろ? クレアさん」


「……しょうもない男よ。貴様は」


 二人で一人の女は悩ましげに諦めの溜息を吐き、男は空を見上げ、罪を想った。何やらゆっくりと川辺で手を洗うデュエラを他所に二人のデュラニウスは別れの決意をしているようだった。


 ——。


「じゃあ、そろそろ行くか」


「はい‼ 火もちゃんと消したのです、ます‼」


 ひと休みを終え、背伸びをしたイミトに焚火の跡を木の枝でつつき、火の気が無い事を確認したデュエラが続く。


「因みに外までどのくらいの距離なんだ?」


 そんなデュエラに振り返り、素朴にイミトが尋ねる。


「えと……確かめた事が無いので分からないですますが、昼間だけ走っても二日くらいだと母から聞いているので御座います、です」


「……あー、ちょっと待とうか」


 すると、少し考え遠くを眺めたデュエラの返しにイミトの表情は一瞬固まり、頭を抱えるに至る。それはデュエラの答えが彼にとって予想の斜め上を言っていたからに違いないが、


「魔界ならば、あの巨大な滝を越えれば一日の距離で済むぞ。昔、魔界側にある要塞都市でそんな話を聞いたことがある」


 ある程度それを悟っていた岩の上のクレアは、イミトの見当違いに気付いた上で皮肉笑いを浮かべつつ更なる事実をイミトに伝えた。


「滅多に人が踏み入らない、本来は飛行船でも迂回うかいする場所だからな」


「あー頼むから、少し待ってくれ」


 矢継ぎ早に入り込んでくる情報は、異世界から来たばかりで地理的知識の無いイミトにはやはりこうべ重く、若干の気だるさと面倒くささが漂って。


 片手が頭痛で頭を抱えるような仕草。


「すぅはぁ……」


 彼は、こんな時にこれまでの彼が行ってきたように深く息を吸い、呼吸をする。

 すると、そんな彼から放たれる奇行を幾度か見てきたクレアが言う。


「また叫びよるか」


 ぴくり、イミトの体がその言葉に些細な挙動。



『まず、魔界ってのは飛行船を飛ばせるくらいの文明レベルなんだな?』


 だからなのか、イミトはクレアの予想通りの行動を避け、至極冷静な面持ちへと戻りクレアに状況確認の指摘。そんな彼ではあるが、やはり何処となく見て取れる不完全燃焼な感情のくゆり。


「そこからか……うむ、とはいえ貴様の居た国で見たような鳥を模した船では無い。気球やら何やらとか言ったか、あのようなものよ」



 しかし、クレアはこれ以上イミトを追い詰めることなく話を進めた。イミトの記憶を覗いて得た異世界の知識と自分が持つ文明の知識を比較しながら言葉を紡ぐ。


「文明の進化ってのは意外に早いからな、今では普通に飛行機が飛んでるって可能性もあるぞ」


「小生意気を言いおって」


 それはイミトの居た世界への称賛であり、イミトは何故だかムズガユイ感覚に陥り、右耳下の顎の境目を指で掻くのであった。



「ま、でもお前の体の心当たりは人間界の方にあるんだろ?」

 「うむ……しかし呪術関係は魔界の方が発達しておる」


「……結構な分岐点だな」


 そしてイミトもそこからは素直に話を進め、真剣な面持ちで【】の行く末を考える。魔界に行くか、人間界に行くか。クレアとイミト、それぞれの思惑が交錯こうさくして。


「デュエラ。魔界の、あの滝の越え方は——



         『魔界はダメなのです‼』」


 けれど、もう一人の登場人物であるデュエラ・マール・メデュニカは様々な意味でさえぎるために叫んだ。拒絶するが如く、その顔色は心なしか青ざめていた。


「「……」」


 そんな唐突なデュエラに対し、デュラハンの二人には不思議と驚きは無く静かにデュエラの様子を見据みすえていて。


「すみませんなのです、魔界は、魔界の方向にはお二方様たちをお連れできません、です」


 二人の視線にハッと我に返り、デュエラは目を逸らして前髪を弄りながら如何にも気まずそうな玉虫色の返事を放つ。するとクレアとイミトはそのような態度のデュエラに対し、互いに顔を見合わせて、どうするかをさりげなく示し合わせていた。


「ま。何があるかはこっちからは聞かないが、な」


 恐らくは、彼女の事情にとっては重要な事柄が隠されているのだろう。或いはそれがこの先、自分たちにも関わりのある事になるかもしれない。そうは思いつつ、イミトは隔絶かくぜつするように溜息を吐く。


 出来れば、関わりたくないという想いを力の抜けた肩が語っていて。


「……」


 そんなイミトに、そしてクレアに、バツが悪そうに黙すばかりのデュエラ。


「決まりで良いか、クレア」


 選択肢が絞られた会議の末、暗にクレアへ承認を求めるイミト。



「……我に異論は無い」


 すると、なにやらいぶかしげにクレアは考え込んでいた。そして短い間とはいえ、深い思考の果てに彼女は少し不満げに答えた。そんなクレアにイミトは小さく息をまた吐いて。


「じゃ、人間界とやらに向かうとするか。話も脱線し過ぎだしな」


 いよいよと面倒そうに巨大な滝に背を向け、イミトは再び背を伸ばす。

 それから鎧を纏わぬ右腕を地面と水平に伸ばし、掌に黒い魔力の渦。



 彼が作り出したのは一本の小さな黒い槍であった。


「うむ。デュエラ、案内せよ」


 そして岩の上からクレアも頷き、彼女も自らを魔力の渦を纏い、その頭部だけの身を兜に包む。僅かな兜の隙間から覗くクレアの瞳が赤く、デュエラへと向けられて。



「は、はい‼ 行くのです‼」


 デュエラは仕切り直しのようにクレアから頂いた黒い衣服を整え、その具合を確かめながら歩き出そうとした。


 しかし、その時である。


「そうだ。クレアの頭は、お前が持っててくれるか」


 不意にイミトが言い放つ。試しに振った槍が空気を裂く音と共に。


「なっ——⁉ 貴様、いきなり何を言う⁉」



 それは、彼の左腕にいだかれる心づもりでいたクレアにとっては耳を疑うような信じがたい発言であり、デュエラに至っては声も出ないような予想外の発言であった。


 それでも、イミトには思惑があった。思惑があったのである。


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