第4話 デュエラ・マール・メデュニカ4/4


「——あひゅ⁉」


 間の抜けた声が周囲に響いて焼き魚を食べる寸前だったイミトをとどまらせ、振り向かせた。


 無論、デュエラの声では無い。


「熱いわ、この馬鹿者‼」


 クレアである。密やかにイミトと味覚の共有をしていたクレアが、焼き立てホカホカの焼き魚に耐えきれず声を上げたのだ。


 そんなクレアに呆れの溜息を吐き、イミトは少し首を項垂うなだれさせて。


「……これくらい我慢しろよ、焼き魚は焼き立てが一番うまいんだ」

「あっちゅい‼ ……む、むう——これは、ほう中々」


 改めて焼き魚にかじり付くと、またもクレアは苦悶の表情でうつむく。けれど今度は耐えきれたようでイミトから伝わってくる焼き魚の皮の向こうにある白身の風味を感じるに至った様子。


「……?」


 そんな事を毛ほども知らないデュエラが首を傾げたのは言うまでもない。はたから見ていれば、クレアが急にホフホフと口を動かし出した奇行にしか見えないのだから。


 それでも——、

「ほろほろと解けていく魚の身の広がっていく味を塩とやらの強烈な味が突き刺し、一つにまとめようとしている。そんな感覚であるな」


 何となく焼き魚についての感想を言っているのだと理解し、また小さく腹の鳴ったデュエラも思い切って焼き魚に噛みついた。


 すると、

「! ……ホントに美味しい」


 まさにクレアの言った通りだとデュエラも思う。言葉を呟いて、もう一度彼女は魚の熱き肉汁にその味覚をひたす。


「ワタクシサマは、いつもそのまま焼いてるだけだったから」


 「ま、調味料なんて文明の中に居なきゃそうそう見つけ出せるものじゃないからな。別に見つけたのは俺じゃないから何を偉そうな事を言っているんだって話だが」


 イミトは、実に美味しそうに魚を食べ始めたデュエラに安堵あんどの笑みを、


「くだらん御託ごたくはよいわ、早く次を食わんか」

 「はは、要らないんじゃなかったのか?」


 急かすクレアには親友をからかうように笑う。


「む……そ、そうよ‼ たまたま間違えて共有してしまっただけよ、勘違いするでない」


「はいはい、じゃあこっちも試してみるかクレア?」


 そしてイミトのからかいに目を逸らし少し頬を染めたクレアに、子を育てる父親の如く尋ねた。腰回りに備え付けられるバックから取り出したのは黄色の果実である。


「それは……昨夜食べた酸っぱい果実では無いか。その味はもう知っておる、我に何を試すというか」


 得意げに果実を魅せつけるイミトにいぶかしげなクレア。食というものに通じていないクレアにはイミトの意図が解らない。


 どころか、またイミトの嫌がらせかとすら疑っていて。


「魚に果汁をしぼるんだよ。俺が知ってる奴とは味が違うかもしれないが」


 そんなクレアに鎧の腕で果実を軽く宙に放りつつイミトは告げ、右掌に魔力の渦。今度はナイフを作り出した。


「デュエラも試してみるか?」

「ほふ? は、はいなのです‼」

 デュエラは既に魚の身を三分の一ほど食べ尽くす程に食事に夢中になっていたが、イミトの問い掛けに手を止め無条件に頷いた。そうして黄色の果実を二つに切り分け、その片方を不思議な様子で見守るデュエラに渡すイミトは、


「後は、ちょっと握り潰す感じで実の汁を少ししぼる。ちょっとでいいからな」

しぼる……」


 お手本を示す為に自らが持つ焼き魚の白い身が露になっている噛み跡に果実の果汁をそそぎ込む。すると、その後を追いデュエラもイミトの真似をして。


 そして、

「で、食べる」

 言葉を発するや否や、再び魚にかじり付く一行。


「「~~~⁉」」


 そうするとデュエラとクレアの二人は体中に戦慄せんりつが走った様子で目を見開いて——感動、その一言、だった。


「か、完成しておる……ガチリと三種の味が噛み合い、最初から出会うべくして出会っておるようだ。なんだこれは、なんと言えばよい!」


「……さっきから反応が凄いな。食レポかよ」


 そこから漏れるクレアも感想に呆れるイミトだが、ふと焼き魚に目線を落とし想いに更けるように。


「まだまだ美味いモノは幾らでもあるし、もしかしたらこの世界は俺が居た場所より美味い料理があるのかもしれない」


「向こうに居た頃は旅なんてする気は更々無かったけど、まぁそういうものを探すのも一つの道だったのかも、な」


「……」


 或いは、その目に映るのは後悔か。

 ささやかな楽しみに微笑むイミトをクレアは見た。


「すっごく美味しいです‼」



 しかし、満面の笑みのデュエラが放った明瞭な感想で現実に戻り「そりゃ良かったな」ともう一口イミトが焼き魚を喰らう。すると、一瞬の躊躇ためらいい、想いを溜めてクレアはイミトに尋ねるのだ。



「……イミト。貴様は生きる事の素晴らしさ、楽しさを知っておる。理解する脳もある」


「だから解らぬのだ。何ゆえに貴様は死に急ごうとするのか」

「……」


 魚の身を咀嚼そしゃくしながら、クレアの問いまでの弁舌を意味深く聞くイミト。ゴクリと飲み込むも、未だ彼女が何を問おうとしている事は分からないが彼はクレアには振り向かない。まるで既に知っていて向き合いたくないと言わんばかりに焼き魚を眺めたままである。



 けれど、

「女神と話しておった時もそうだ。貴様は助けた女の為にと、小綺麗な思いやりに溢れる祈りを口から放っておったが……本当の所は貴様は極刑に処される事を目論んでおったであろうが」


「なぜ、わざわざ自分を不幸な方へと導こうとするのだ」

「……」


 静寂な森が騒ぐ風の中で、放たれたクレアの問い。それを受けたイミトは少し沈黙した。漠然と水を吐き出す滝は何が正解か間違いかも教えずに、ただ、そこにあって。


 イミトは、切なげに微笑む。答えが真横にあるように。


「それは——お前も同じだろうよ、誇り高きクレア・デュラニウス」


 そっと嫌味を吐き平淡に食事に戻る。たったそれだけの動作が、あまりに意味深く。


「——どういう意味だ」


 眉根まゆねを寄せ、冷静に言葉の意味を問うクレアだが内心に渦巻く感情は、これまでにあった陳腐ちんぷな感情とはまるで異質なようで。互いに線を引き、触れようとしなかったものを握り締めようとする緊迫感がにじむ。


 そして、

「生きる目的があるのに、お前は俺を殺さなかった」


 気軽に、


「それは、貴様の反撃を受け——『嘘だろ?』」


 真面目に、


「アレだけ長い髪を自由に操れるのに、俺が反撃できる位置にお前の頭があるのはおかしいだろう」


 希薄に、

「——っ⁉ それは、たまたま」


「そんなご都合展開を受け入れられる程、俺の性根は真っ当じゃないんでね」


 言葉で、殴りつける。そんな言葉たちの裏でイミトはこう言っていた。


『——先に始めたのは、お前だ——』


 その分厚い城塞の中から見てくるような狂気交じりの眼差しには、クレア・デュラニウスの攻める意欲を失わせるほどの堅牢な雰囲気があって。


 そして、

「……今は我の話をしているのではない、話を逸らすな」


 彼女自身、彼女の城塞から足を踏み出すことを恐れているようである。


 故に——、

「そうだな、今は——デュエラ・マール・メデュニカの話をしなきゃいけない時だ」

「……ほへ?」


 険悪な想いを引きずりながらも、イミトは未だに食事に夢中なデュエラへと逃げるに至ったのだった。



 呆けるデュエラの前に居る二人で一人の間には、未だ固い壁がそびえ立つ——。

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