第4話 デュエラ・マール・メデュニカ1/4


「ん? あの子はどこ行ったんだ? 逃げられたのか?」


 小便を済ませ、河原で手を洗ったイミトがクレアの待つ岩場に戻ると、共に居るはずのメデューサ族の娘・デュエラの姿は無く、イミトは素朴にクレアへ尋ねる。


「……食い物を採りに行かせた。小娘とはいえ、この状態の我と二人きりという状況は落ち着かんのでな」


 すると、如何にも機嫌の悪そうなクレア。男が小便をする様など見たくはないとは思いつつも、自分を一人——それも素性の知れないデュエラと共に放置したイミトに行き場のない怒りを持つのは不思議な事では無いのだろう。


「ま、賢明な判断か。帰ってくるかは分からない話だが」


 それを察してか、特に異論を唱える事も無くイミトはクレアの傍らに。滝の音だけが聞こえる静かで妙な雰囲気。


 すると、

「それならそれで構わんよ。仲間を呼んだらすべからく殺すまでの話」


 諦めた様子で溜息を吐き、クレアは淡々と言った。対するイミトの沈黙はまさに同調の様相。特に反論する気も同情する気すら無さそうであるが、


「まぁ……それは、無いと思うぞ」


 それでも、イミトはびちゃびちゃに濡れた布切れをクレアの位置から見えるように前方へと放り捨てる。


「なんだ、このボロ布は?」

「あの子の服、なんだろ多分」


「……それは、服なぞとは言わんと思うが」


 川の水をへばり付いた岩へ吐き出す布切れは、朽ち果てた古民家の瓦礫がれきの下に眠る雑巾ぞうきんの方がマシと思えるような色をしていた。更には所々が擦り減り、裂け、クレアの言うように到底、服とは認識できない代物しろものである。


 しかし人気ひとけの無い森に住んでいるならば、もしやとクレアも一考いっこうするのだった。


 そして、

「メデューサってのは、どういう一族なんだ? お前と同じ魔物なんだろ?」


「話を聞いてた感じじゃ、魔物同士で戦争でもしてたみたいじゃないか」


 話はデュエラ・マール・メデュニカのものへと自然に流れいく。


「ふむ。まず教えねばならんか。魔物と魔族は全くの別物よ」


「例えるなら魔物は災害、自然現象と言った所か。怨念や魔力の集約によって唐突に発生するのだ。群れで動く獣や、我のような意思を持つ者がいるから混同する者もいるがな」


 しかし、その前にイミトが誤解していそうな事実をまず正さねばとクレアは語り出す。まるで己をケダモノと評するような面持ちでまぶたを閉じたクレアの話を、横目で見つめながら黙ってイミトは聞いた。


 質問とは違う答えではあったが、その背景は後々重要になると直感したからだ。


「一方の魔族は、一説では神に呪われし人間たちの末裔と言われておる。メデューサ族は族と言うように魔族なのだ」


「神様、ねぇ……」


 それでも、ここではない異世界で育ったイミトにとって、神や呪いや魔法などは未だとても縁遠い空想や妄言でしか感じられていない部分があって。


 しかしここに至る、女神【ルーゼンビュフォア・アルマーレン】との出会いからを振り返り、飲み込むしかない事実だということも当然わかっては居るのだ。


 イミトは、おもむろに空を見上げた。太陽は、太陽で、相も変わらず一つだった。


「しかし、そうよな。確かにあの小娘が仲間なぞ連れてくる訳も無かったわ」


 一方、イミトが変わらぬものに想いをせるかたわら、ふとクレアも想いける。


「? どういう意味だ?」


 その意味深な言い回しを探るイミトに、クレアは答えを返す。



「奴は、混血児だった。通常のメデューサにしては肌の蛇模様へびもようも少なく、色も薄い」


 まるで衝撃の事実を語るようにイミトの眼を真っすぐに見つめたクレア。が、根底に必要な知識がいちじるしく欠けている為、その何が衝撃なのかイマイチ伝わらない。


 歯がゆい思いがしたイミトなのだがクレアの言葉の意味を尋ねる言葉を探し始めた最中、ある事に気付いてしまう。


「回りくどいな。前情報が欲しかったのに、戻ってきちまったよ」


「ていうか、どうやって滝の上まで行ったんだ」


 デュエラ・マール・メデュニカが戻ってきたのだ。白糸しらいとたばのような高い滝が流れる崖の上にその姿が見て取れて——この短時間でどうやって、とイミトは思った。


 てっきり近くの森の中に木の実でも取りに行ったものだと先入観を抱いていたからだ。


「——⁉」


 けれど、その理由は直ぐに分かった。彼女が崖から跳んだのだから。


「……あーいう風に、だな」


 そして不可思議な事に何も無いはずの宙へ直ぐに片足で着地し、イミトの眼を疑わせる。


「マジ、か……見えない床でもあるのか?」


 空中で行われるケンケンパ。正直、異世界に来てから一番まともに驚いた出来事かもしれない。そんな顔のイミトである。


「アレは【空歩くうほ】とかいう魔法の一種だな。使える者は多くは無いと聞く」


「へえ……、俺にも使えるといいが。便利そうだ」


 段差を降りるように近づいてくるデュエラを前に、会話を交わしながら待ち受ける二人。小脇に抱えた葉っぱで作ったらしい大きな緑色の包みには、まだ何が入っているのか分からない。


 そして、デュエラ・マール・メデュニカはイミト達の前に満を持して降り立った。


「あ、あの……採ってきましたのです、魚と木の実」


 片膝を着いた上に深々と頭を下げ、緑の包みを差し出す自信なさげな献上けんじょうの構え。中には色とりどりの木の実とキノコがあって、そのいろどりかざられた中心には二匹の光を反射する銀色の魚がある。



「「……」」


 クレアとイミトは顔を見合わせ沈黙する。それには幾つか理由があり、真っ先に浮かぶのはクレアが与えたばかりの衣服と彼女の体がずぶ濡れになっていた事である。恐らく魚を急いで取る為に服を脱ぐ時間をはぶいたのだろう。


 しかし沈黙の一番の理由は、この短時間でよくもここまで食料を集めたものだと二人が感心していたからなのだ。


 が、その沈黙が怒られるまでのだと思ってしまったのかうつむいている体を更にちぢこませてしまうデュエラである。


 その時——、

「え……こ、これ、ワタクシサマの服……」


 彼女は視界に入った足元の布切れを見つけ、すこし茫然ぼうぜんとした面持ちで採ってきた食料を丁寧に置き、ベチャリとした布切れを水滴すいてき垂らしながら拾い上げる。


「拾っていてくださったのですね、ありがとうございます、です」


 そして土下座による感謝の振る舞い。


「と、取り敢えず、髪を乾かして新しい服を作ってやれよ、クレア。俺は飯の支度でもするから」

「う、うむ……」


 二人がデュエラの卑屈なまでの奴隷根性と生活水準の低さに同情しなかったと言えば嘘になる。けれど、二人は互いにそれを悟られぬように互いから顔を逸らし、それぞれの作業を始めるのだった。



 ——。


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